九、白沢夏都
入学式、校門を跨いですぐのところにあるクラス編成表が貼ってある掲示板を見ている俺に近づいてきて、いきなり声をかけてきた奴がいた。
「何組?」
驚いた。最初に声をかけるとしたら「初めまして」とか「こんにちは」とか当たり障りない初対面として不思議ではない言葉ではないのか。俺とこいつは初対面で名前も知らないのに、なんで、顔を見知った俺ら友人ですというでもかのような当然の顔をして、別々のクラスになっていないか確認し合う仲の良い友人のふりをしているのだ。
しかも、爽やかににこやかに話しかけてくるその様は俗に言う、イケメン。これが世間にかっこいいと言われるリードする男! 流石イケてるメンズ。イケメンとは出会いからしてそもそもが一般とは違うらしい。
訝しむ俺にイケメンは声を潜める。
「悪いけど、友人のフリしてくれない?」
は? 何を言っているんだこいつは。
イケメンはチラと後方に目を見やる。
無茶苦茶怪しい。正直関わり合いたくない。こいつは絶対変な奴、いわゆる変人だ。誰もがそう思うに違いない。
「ふぅん……C組か。一緒だ」
俺は何も言っていないのにひとり語りだすイケメン。「一緒だ」と口にするときには笑顔も忘れない。俺たち仲良いですよ、友人ですよという雰囲気が漂っている。
怪しさがどんどん増していく。
最早、怪しいというよりも、触れてはいけない人なのではないだろうか。疑問が確信へと変わる。
空恐ろしいのが、こいつが口にした「C組」が俺の割り振られたクラスなところだろう。何故わかるのか。当てずっぽうで言ったものがたまたま当たっただけなのか。たまたまにしてもどんな確率なのか。
掲示されているクラス表も名前で書かれている。俺は相手に名を名乗ってなどいない。だから余計にどうしてわかったのかがわからず、背中に寒気が走る。
かなり怖い。逃げ出したい気持ちに駆られる。誰か助けてくれないか、そんなことを思って辺りを見回すが、誰も俺達に気をかける人などいない。当たり前だ。この高校に俺の知り合いは一人を除いて誰もいない。その一人も居たとしても声をかけることなんて出来ない。
「うっわ、ひっでぇ……そんなに嫌そうな顔をするなよ。これからもよろしくな」
俺の反応を無視し続けながら一人、イケメンがぶつぶつと喋る。頭を患っている人にしか見えない。嫌そうな顔というのが分かるなら気を遣って俺に関わろうとする事を止めてはくれないものか。
行こう、とイケメンが歩き出す。もう何が何だかわからず、ただ立ち尽くす俺を振り返り、早く! 始まるぞ! と追撃をかける。
もう、どうとにもでなれ。
俺は腹を括った。
俺はイケメンの後をついて歩いて行く。靴を履き替え、階段を上る。
「そろそろいいかな」
イケメンが階段の踊り場で立ち止まり、こちらを振り返る。
「突然ごめん、ありがとう。助かったよ」
ここでもイケメンは笑顔だ。立ち振る舞いがスマートでまさにイケている男で何だか少し腹立たしさもある。
数秒の沈黙。
やはり、俺は対応が出来ずに立ち尽くす。全くもって何一つとして理解できない。見ず知らずの人間にいきなり友人面されたあげく、礼を言われる筋合いなどない。なんなんだ、こいつは。
俺が何も言わないでいたからだろうか。イケメンは困った表情を見せる。
「さっきから一言も喋らないけどさ……せめて何か言って欲しいんだけど」
「頭は大丈夫ですか」
「……え?」
イケメンがきょとんとした顔をする。顔に似合わず、何ともお間抜けな声が発せられる。何か言えと言われたから言ったというのに、この仕打ち。不思議な顔をされる筋合いなどない。変な奴に変な絡まれ方をしたから、相手の脳が正常かどうかを心配しただけだというのに。相手の反応を見るに間違っている、おかしいのは俺の頭なのだろうか。
「あははは! ごめんごめん、大丈夫。俺の頭は正常だよ」
イケメンが突然笑い出す。一人で、そっか、そうだよね、などとぶつぶつ言っている。その姿を見るからに正常のようには残念ながら見えない。更に恐ろしさが募る。何とか逃げれないものかと、そろりと足音を忍ばせ、ゆっくりと後ずさる。
「あっ、待ってよ。何だか今のままだと凄く誤解されたままのような気がするから釈明させて」
速攻でバレてしまった。こうなれば、取る方法は一つ。イケメンに背を向け、俺は今来た階段を駆け下りる。背後から驚きの声が聞こえるが気にしない。今の俺にとってあの男から離れることが一番の目的だ。俺を追うような音は聞こえてこない事を考えるにどうやら逃走は成功したようで、角を曲がったところで俺は一息つく。後ろを振り返ってもイケメンの影は見えない。
だが、油断は禁物だ。遠回りになるが、正反対の階段を使って自分のクラスへと向かう事にした。
自分の教室に入って俺は脱力することになる。
イケメンが既に教室内にいて俺を見てにこやかに手を振ってきたからだ。
そういえば、最初の時に「一緒のクラス」などとわけの分からないことを言っていたことを思い出す。一緒、というのは本当だったのか。出まかせであるとか、てきとうな事を言ったわけではないらしい。
黒板に張り出されている自分に割り振られた座席を確認し、俺は更に力が抜けた。今現在イケメンが座っている席の前の席だ。最低最悪だ。
「さっきぶり」
俺が自分の席に近づくとイケメンが甚くにこやかに、親しげに話しかけてきた。
「会いたくなかったよ」
毒々しげに吐き捨てるが、イケメンは意にも介さない。
「まぁまぁ、そう言わずに。仲良くしようよ」
「本当に頭は大丈夫ですか」
まさか初対面の人間に親しげに話しかけられ友人面されたあげく、再会しても自己紹介もなしに仲良くと言われるとは誰も想像もしないだろう。俺も微塵にも思いもしなかった。
「何度も言うけど、正常だからね。さっきはその弁明をさせてくれなかったんじゃないか。折角、人が説明しようと思ったのに。酷いよな」
「それは酷いね!」
俺が否定をしようとしたところで別の声がした。
なゆだ。
俺とは遅れてやってきたらしい。一緒のバスに乗っていることは確認していたが、いつの間にかどこかへふらっと消えていたようだ。
そのなゆがイケメンへと声をかける。
「祐くんは最近酷いんだよ。気を付けてね」
「ご親切にどうもありがとう。気を付けるね」
何をどう気を付けるというのか何とも不思議な会話をしている。なゆもなゆだが、イケメンもイケメンである。突然話しかけてくる人は、他人から突然話しかけられても反応出来るのだろうか。スマートな対応である。流石、イケてるメンズ。
「俺は白沢夏都。実はここに知り合いがいないんだ。良かったら仲良くして欲しいかな」
にこやかに笑って右手を差し出す。なゆはその手を握り返しながら笑って答えた。
「私は小鳥なゆ。こっちは祐くん、青空祐大だよ。よろしくね」
何故、俺の名まで勝手に名乗るのか。
「へぇ! 青空! 夏と言えば青い空! 俺と相性がとても良さそうだね、いい関係が築けそうだよ。よろしく」
何やらイケメンが一人で勝手に盛り上がっている。
「俺、友達が欲しかったんだ。良かったら友達になってよ」
なゆと同様に握手が求められるが俺は応じない。訳の分からない怪しい奴に何故友好的になれるというのか。警戒心を持たぬまま握手に応じることが出来る奴がいるとすれば、そいつは脳足りんなだけだろう。
空いたままの手を見て肩をすくめてみせる白沢。そんな動作もどこか芝居めいていていけすかない臭いを感じる。まるで二次元の中のようだ。
俺が無愛想な顔をしていたせいだろう。二人は顔を見合わせ、眉尻を下げて笑う。二人の気の合い様はここから始まったのかもしれない。
「白沢君はどうして北鈴に?」
「よく聞いてくれたね! ありがとう!」
なゆの何気ない一言に感動する白沢。ようやっと今までの事が説明できると目が輝きに満ち溢れている。そんな白沢の反応にいささか驚いたのか、なゆが目を白黒させている。
「俺、友達が欲しくて来たんだよ」
なんのことやら。友人など、どこに行っても出来るだろうに。先ほどの握手の際にも「友達」という単語を口にしていたが、初対面時に言う常套句、「これから君と親しくなりたい」そんな意思の表明だと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
「俺の両親ってさ、所謂教育ママというやつで最終的な職業、人生設計まで決められているんだ。だから最初は南進に行くことを親に強制されていてさ。そういうのもううんざりだったから無理を押し通して友達作りに来たんだ」
なんともコメントのしづらさになゆが何度も瞬きを繰り返し俺を見る。そんな目で見られても俺もどうしもうない。
あんまりにもなゆが俺の事を見つめ続けるので、仕方なく口を開く。
「南進なんて言ったらエリート中のエリート、有名坊ちゃん、お嬢さんがわんさかいる進学校じゃないか。そんな所に行く予定だった奴が、なんでわざわざこんな僻地中の僻地、北鈴に来るんだよ」
「だから友達」
「それはもういい」
白沢の言葉を遮る。友達が欲しいという旨は何度も聞いた。もう覚えた。充分なのだ。
南進、正式名称は私立南羽《なんば》高等学校といい、この辺では有名中の有名高校でバンバンとエリートを輩出している金持ち達が通わせる進学校である。入学した生徒たちは皆、揃いも揃って大学に進学し、進学率百パーセント、中でも難関大学と言われるところへの進学率も世界に誇れる数を叩き出している。そんな進学校だから、略名の中に進学の進が使われている。
そんなところに通わせようとしている家庭だからこそ、通学に時間のかかる山の上の高校になんて行かせるわけがない。往復で何時間かかるのかわかったもんじゃない。その時間を勉強へと費やした方がはるかに有意義で将来のためになるだろう。
「親の目から一番遠く離れそうだったから、かな。南進以外だったら別にどこでも良かったんだよ」
成程。時間を逆手に取り、通学時間をより親の目から離れるための手段として選んだわけだ。そこまでして得たかった自由というのは如何なるほどのものなのか。
俺たちが何も言わずにいるからか、白沢は一人で更に語り出した。
「ずっと勉強、勉強って、学校にいるクラスメイトは全部敵、人よりいい成績を取ってエリートになれ、人は蹴落とすためにあるって交友は制限されて、家に帰ってもひたすら塾通いだよ。そんな生活ばっかりで気が狂いそうだった。それに……」
「それに?」
「やっぱり友達が欲しかったんだ。友人ってどんな感じ? いると楽しいの? 面白い? 下校したらみんなで一緒にどこに行っているの? よく、塾に行く途中で見かける学生たちが楽しそうに笑い合っているのを見ては羨ましかったんだ」
俺となゆは今度は別の意味で無言になる。白沢は何度も友達と口にしているが、本当に唯の一人も友達がいないなんて想像もしていなかった。そもそも、高校生にもなるという一人の人間に友達と言える存在が誰もないなんて事があるのか。驚きのあまり、まじまじと白沢の顔を見つめてしまう。白沢は何を勘違いしたのか、にこにこと笑いながら近距離で手を振る。何をしているんだ、お前は。と思わず声が出そうになったが、よくよく考えれば友人がいないあまり、同年代との距離の掴み方、接し方を知らないが故の行動なのか。ならば、とやかく言うことは出来ない。
金持ちボンボンの坊ちゃんが、友達が欲しいという極々当たり前の理由からこんな僻地を選ぶ。親の目から遠ざかって自分の夢を叶えるために。
一見、現実離れした理由に、なんだそりゃと思ったが、考えてみると確かに、そういうこともあるのかもしれないと思えてきた。事実は小説よりも奇なり、だ。金持ちならば家のしきたり、規則も厳しいのかもしれない。そんなガチガチに固められた中で自分の人生もカチコチ、北極に浮いているような氷のように固められたら確かに枠から外れたくもなる。なるほど、こいつは氷を割りたかったわけか。
俺は白沢に同情を覚え始めていた。
当たり前が当たり前でない事があること俺は知っているからだ。
「それが、どうやったらあんな声掛けに繋がるんだよ」
俺は当初のこいつと関わり合いたくない気持ちなんてどこかへ吹っ飛び、すっかり白沢という人物に興味が出てきていたのだった。
何故だろうか。久々に胸の奥底で湧き上がる何かを感じている。
こんな感覚は久しぶりだ。これは何だろうか。俺はこれを知っている気がするが、喉まで出かかる前のくすぶりで、もやもやとしたものが胸の内に浮いていて、なんなのかがわからない。
「唯一無二と言える友人が北鈴に進学するからって言って来たんだ。我ながら苦しいとは思ったんだけどね、親がいつの間にそんな友人なんて作ったんだって感動したらしくって納得してくれたよ」
それはいくらなんでも無理がないだろうか。本当にそんな程度の理由で別の高校への入学を許して貰えたのだろうか。疑いたくなってくる。
俺が訝しい眼で見ていたせいだろうか。白沢が更に説明を付け加えた。
「どうやら俺の両親は友情という言葉に弱いらしい」
これでも「そんなものか」と納得するのは難しい。それでもまだ俺は訝しげな眼で見つめ続けていたのだろう。白沢が「俺も訳わかんないよ」と肩をすくめて見せた。
「だから、さっきは本当に俺に北鈴に友人がいるのかどうかの確認でドライバーが俺を監視してたんだよ。ずっと勉強尽くしだったし、友人がいるのかって疑うのも当然だよね。それで君に友人のふりをしてもらおうって一芝居うったわけ」
だから、俺の頭は正常でしょう? とでも言わんばかりの目をしている。
正常かもしれないが、色々と言いたいことは沢山ある。山盛りだ。
「お前の親の頭は随分、部品があちこち飛んでいるようで」
友人、友情という言葉一つで疑いがあったにも関わらず、愛息子の将来設計図を変更するとはネジがぶっ飛んでいるとしか思えない。
「あはは、面白いこと言うね! 君、変な人だと思ってたけど本当に変だね! 面白い!」
「お前には言われたくないよ」
白沢は腹を抱えて笑っている。俺からすれば変な奴は白沢自身なのだが、それを言ってもこいつは分かってはくれないのだろう。文句の一つでも言いたかったが、諦め、話題を変えることにする。
「そういえば、何で俺のクラスがわかったんだ?」
そう、ずっと疑問だったのだ。どんな方法で俺のクラスを割り出したのか。少々薄気味悪さを感じていたので、是非ともトリックを知っておきたい。謎を謎のままで終えておくから気持ち悪いのだ。
「まぐれ。だから、本当に同じ教室で俺も驚いてる」
そう言ってカラカラと笑う。
ただのまぐれだったようで俺の緊張が解ける。変に身構えて損した気分だ。
俺たちの横でなゆだけが、ちんぷんかんぷんな顔をしていた。