プロローグ
人の生にどれほどの意味があるだろうか。
こんなことを言うと、たぶんきっとイタイ奴認定される。若者たちは「あいつ、キモい」と笑い、大人たちは「昔そんなことを俺も思った」と感慨深くしみじみと言い、まだまだ若いなぁと嘲笑するのだろう。
そんなやつらに言いたい。
じゃあ、お前は、お前たちは、どれだけ「生」に意味を見出しているのだ。
生きていることに意味があるか⁉
自分の生に意味があるのか⁉
自分は何のために生まれ、何のために生きているのだ!
はっきりと意味を言う事が出来るか? 自分は何かのためになっている、何かを成している、誰かのためになっている、誰かの頭の片隅にでも生き続けることが出来ている。
はっきりとそれを言う事が出来るか?
当然、言えるやつもいるだろう。極端な例を挙げると国のトップ、日本で言えば首相、アメリカで言えば大統領。権力の最先端にいる人達なんてものは何かを成している、誰かのためになっているなんてレベルでないくらい、国を動かし、世界のために政治をしている。
そんな極端なところまで行かなくても大企業の社長だとか、学園の理事長であるとか、どっかの集団のリーダーやっているとかそんな人達だってきっと何かを成している。意味のあることをしているだろう。
そんなトップに輝けない人達。いや、こんな言い方は適切じゃあない。ただの一般人。日々を淡々と同じことを繰り返ししている人達。いうならばサラリーマン、学生、フリーター。そんな人の生に何の意味があるのだろうか。
いやいや、この言い方も適当ではない。上手い言葉が見つからない。ただ、言いたいのは生きていることに意味があるのかっていうことだ。
国のトップだって、どこのトップだって、何かを成していたって、誰かのためになっていたって、それって意味あることだろうか。私は素晴らしいことをしている。そんな言葉が返ってきそうだが、本当にそうだろうか?
死んでしまっては終わりじゃないか。
死んだ後に何が残るっていうんだ? なんだ、記録か? 名前か? 世界中の、いや、世界中でなくたって、誰かの記憶の中に名前が残る、歴史の教科書に載る? それって意味あることか? そんなもののために生きていて楽しいか?
人が生きるってなんなんだ。なんのために生きているんだ。
こんなこと、人は笑って一蹴するだろう。
しかし、人類みな平等に死があるんだ。生きている限り必ずやってくる。じわじわと忍び寄ってくるかもしれないし、突然かもしれない。
半年前、俺の両親が死んだ。