第三章 1 農夫
第三章
1 農夫
お嫁入りしても、勉強時間はそのまま同じなんて、不公平な話だとジュナは思った。
やって来た家庭教師マレムは、一昨日の夜の騒動の名残に、片目に大きな青痣を、頬に擦り傷を作り、体がこわばって痛そうだった。
不機嫌の極みの顔で冷たくジュナに聞く。
「それで?誰が残ってくれたのです?」
「先生と、女官が十人と下女が六人、男性の召使いが八人・・・」
私も入れて、たった二十六人。
マレムはため息をついた。
「まったく・・・あなたのする事ときたら・・・」
「ごめんなさい。あんまり頭にきたものだから・・・」
マレムはしぶしぶ頷いた。
あまりにもジュナの意志を無視した、阿呆な廷臣共の自業自得なのだ。娘といえども女王の臣下、その命令は絶対。なんて理屈はこの姫には通らない。この姫が泣き寝入りするような殊勝な娘だとでも思ったのか。
しかし、この事態をどう収拾していいものやら・・・。初夜の翌日に王家の花嫁がヒステリーをおこしたなど、前代未聞の珍事だ。
「あなたの望みだという格好の理由がついたために、竜族達はこれ幸いと、シトリア側の家臣と兵士をすべて追い出してしまった訳です。とどまっていなければならない者まで叩き出されてしまった。
こうなったら、誰がこの竜族達の真意を探るのです?」
「真意?」
「気位の高い高位の廷臣達が、この粗末な砦に来ていたのは、何のためだと思うんです?
この竜族達は本当に、定住して落ち着きたがっている、ただの傭兵なのか。
もう仲間はいないのか。母国は?その人口は?将来この国にとってどういう存在となりうるのか?
まだ、何もわかっていないのです。
敵か味方かを判断し、場合によってはあなたをシトリアに脱出させる。そのためにこそ、彼等がここにいる必要があったのですよ。
少しは王女としての責任と自覚をお持ちください、ジュナ様」
「馬鹿な子供扱いしたのは、母様と家来達よ!」
頬を怒りに染めてジュナは叫んだ。
「私は絶対にあいつらを許さないから!
たとえたった一人でここで暮らさなきゃいけなくなっても!!」
バン!と机を叩いて、身を翻して走って行ってしまった。
あの姫をこれほど怒らせた馬鹿な廷臣共の首を締めてやりたい。嘆息したマレムは心からそう思った。
先生にお礼も言わずに怒ってしまった。
飛び出したジュナは広場が見えるベランダに座り込んで後悔する。
私はここで何をしているんだろう。竜族の長の、妻ですらないのに。
ジュナは結婚を拒否したのではなかった。
髪まで染めて姉様のふりをし、竜族の長をだますのが嫌だと言ったのだ。真実を話して彼に選択させろと言いたかったのだ。
それを。
誰もジュナの話など聞こうともしない。
姉様の身代わりなんて絶対にいやだと、地団太を踏んで怒り狂い、廷臣達に当たり散らすジュナに、ため息をついた女王は手に持つ笏をジュナに向けると、ただ一言、呪を唱えた。
それだけで、ジュナの身体はぴくりとも動かなくなってしまったのだ。大地の女神の化身、シトリア・マイナの巫女王の使う、強力な呪によって。
母様さえも、私を裏切ったのだ。あんな卑劣な手段でジュナを拘束した人々の住処には、二度と帰りたくなかった。
だが、彼は、私などいらないのだ。
あの夜の、凄まじい怒り。
奴隷娘と蔑んだ、あの鋼鉄の青の眼。乱暴に唇を奪い、汚いものに触れたように口を拭った、あの男。
思い出しても頭が沸騰して、ジュナはジタバタした。
私は「偽りの妻」。いいえ、妻なんて呼ばれたくもない!
『何でも望め』
あいつはジュナを追い出してしまおうと思って言ったのだ。絶対にあの男の思い通りになどしてやるものかと、意地を張ってここに残ってしまったけれど。
あの人が欲しかったのは、姉様。
竜族と同じ金髪で、どこへ出しても恥ずかしくない、美しい姉様。
あの人が欲しいのは、私にくっついている持参金のこの土地だけ。私自身はいらないんだ。私はここで、これからどうすればいいんだろう。
ため息をついたジュナは、ふと視線に気づいて振り返った。
広場の隅にかたまって、こっちを見ている農民らしい一団。
ジュナが気がついたのを知って、代表らしい一人が近づいてきた。
ジュナのものすごいごちゃごちゃの髪に怯んでから、声をかけてくる。
「お嬢さん、シトリアのご家来衆に、取り次いでいただけないでしょうか?」
「あなた方は?」
「シトリアから連れてこられた農夫で。三つの村が丸ごと、この連中に引き渡され、この砦を作らされて来ました。
シトリアの姫様がお輿入れなさったと聞いて、直訴に来た者です」
直訴とは、おだやかでない。
「私がジュナよ。なあに?」
「ひえっ!」
男は飛び上がった。
農夫が王族にむかってこんな物言いをしたら、鞭打ちどころか首を切られてもしかたがない。
ジュナはからまった髪をうるさそうに振って、言った。
「私が王女、ジュナ・ラデ・ライド。
直訴っていうのは、私に直接訴えたいって事よね。いいわよ。なあに?」
話が通じそうだと、ぞろぞろやって来た一団に、男はあわてて怒鳴った。
「皆の衆!この方が嫁いでいらした王女様じゃ!ジュナ・ラデ・ライド様じゃ!」
「ジュナ・ラデ・ライド様!」
「ジュナ姫様!」
「ジュナ様!」
皆は駆け寄って、口々に叫んだ。
「どうかわしらを村に帰してください!」
「私達は竜の餌にされちまうんですよ!」
「やだ、みんな、そんな事怖がってたの?」
驚いたジュナは安心させるように笑いかけた。
「あの人達がマイダーの軍隊をさんざんにやっつけてくれた話、聞かなかったの?」
「戦に勝ったのはありがたい事で」
「でも、この仕打ちはないですだ」
「私等をいきなりこんな荒れ地へ追い立ててきて、重労働ばかりさせるんです!」
「わし等は奴隷じゃない。ちゃんと税を納めて来た農夫ばかりです」
「ある日いきなり兵隊がやって来て、引っ越しだ、荷物をまとめろと言われて!」
「住み慣れた村を追い出され、恐ろしい竜族に引き渡されて!」
「こんな所で、テントに押し込められて、重労働の毎日です!」
「なによ、それ!」
ジュナはびっくりした。
「ちゃんと説明、されなかったの?」
農夫達は首を振る。
「マイダーの軍隊に備えるためなのよ。東の砦が全滅したでしょう?」
皆が頷く。ジュナは続けた。
「この人達が一度は追い払ってくれたけど、もしもマイダーの軍隊が風の峠を越えたら、都まで一直線に押し寄せちゃうわ。
それを食い止めるには、絶対に、ここに砦が必要なのよ」
とん、と足踏みして、強調する。
「今度いつ攻めて来るかわからないから、大急ぎで、一生懸命作らなきゃいけないのよ。それでね、あの人達は戦ってくれるけど、ごはん食べなきゃいけないでしょ。
ずっとここにいてあたし達を守ってくれるんだから、この土地で何でも作っていかなきゃならないの。
あたし達は、そのごはんを作る役。
あの人達が元気いっぱい戦ってくれるように準備する、大事な役なのよ」
納得したようなしないような顔を見合わす人々の中から、大柄な女性が進み出た。
「みんな、泣き言をいうのは止めようじゃないか。
あのでかいトカゲ達が戦ってくれれば、あたし等の子供が兵役に取られずにすむってわけだろ」
仲間達を見回して、言った。
「知ってるだろう、あたしの長男と、次男と、二人とも兵隊に取られて、死んじまったのを。
カイルはマイダーが初めて攻めて来た時、ミトはトラビス将軍と東砦で。三番目のヤンしか、あたしには残っていない。あの子のかわりにあん人達が戦ってくれるんだ。腹いっぱい食わせて、負けないようにしてやんなきゃ」
「腹八分でいいわよ。おいしいもの食べさせすぎて太っちゃったら、竜に乗れなくなっちゃう」
ジュナが笑いながら言うと、どっと笑い声が返った。
「ですが姫様、年寄りや子供は、こんな生活を続けられません。
皆、竜が恐ろしくてたまらんのです」
「わかったわ。私が文句言ってくる。みんなちょっと待ってて」
あまりにもさばけた物言いにあっけにとられた人々を置いて、アウド・ヤールを探しに行こうとしたジュナに、指導者らしい最初の男が声をかけた。
「姫様。
もう一つお願いが。
あの人達は、とにかくここに畑を作れ、種を播け、芝麦と蕎麦が取れればいいと言う。
だが、それじゃいかんのです。この土地は荒れてる。しっかり耕して、土を肥やしてからでなければ、一年目の収穫はあっても、土地が痩せてだめになるんです」
ジュナはちょっと考え込んだ。
「それって、言わないと後で大変な事になるじゃない」
「言おうとしました。だが、聞いて下さらない。
怠けるな、しっかり働けと、そればかりで。
あの人達は、畑仕事の事が、何もわかっとらんのです」
「冗談じゃないわ!」
竜舎から出て来たアウド・ヤールと数人の戦士は、農夫達をぞろぞろ引き連れてやって来たジュナに驚いて立ち止まった。
竜が怖くて固まってしまった農夫達を置いて近づいたジュナは、竜族の長の顔を見上げた途端、カッと逆上せてしまった。
はるか上から冷たく見下ろす、青い眼。ジュナを奴隷娘と蔑んだ鋼鉄の色の眼。
「この人達を無理やり連れてきて、ひどい目にあわせているのはどういう訳!」
いきなり、怒ってしまった。
「無理やり?ひどい目?何の話だ?」
アウド・ヤールは冷たい声で言った。
「何を吹き込まれたのか知らんが、彼等はシトリアが送って来た農民達だ。
求めたのはこちらだが、勝手に選んだのはシトリアの方だ。
どういう方法で選択したのか、我々は知らん」
「お年寄りや子供たちまで、三ヶ月も狭いテントに押し込められているわ!」
「テントのどこが悪い?我々も同じだ。砦を完成させるまで住居に人出は裂けない」
「戦士と子供達を一緒に考えないでちょうだい!」
「戦への備えが先だ!口を出すな!」
苛立ってめずらしく声を荒げた竜族の長の前で、ジュナは腰に手をあてて、ふんぞり返った。
「黙ってたらひどい事になるんだから!じゃ、もっと悪い話を聞かせてあげる!」