3 新生活
3 新生活
朝日が、まぶしすぎる。
がんがんする頭を抱えて、ジュナは呻いた。
「お目覚めですか?おはようございます、ジュナ様」
ティアが声をかけた。
顔をしかめたジュナはもう一度毛布をかぶり直す。
「廷臣達全員と、女官の半数以上がいなくなってしまいましたわ」
がば、と毛布を跳ね飛ばし、もう一度頭を抱え、呻く。
ああ、そうだった。
癇癪をおこして廷臣達を追い出した後の記憶がなかった。
「あいつらの顔は二度と見たくないわ」
意志は奪われていても眼と耳は動いた。ジュナに聞こえないと思ったあいつらが、旅の途中で言い放った、酷い言葉の数々。
『出来そこないの姫にも、うまい使い方があったものだ』
『あの蛮族共に、美しい姉姫は勿体なすぎるからな』
『この様子が怪しまれぬといいが』
『なに、押し倒してしまえば女は誰でも同じさ』
『とにかく一晩一緒にいたという既成事実を作ればよいのだ。あとは何とでも言いつくろえる』
・・・アウド・ヤールがジュナの様子がおかしいのに気づいてくれなかったら。
あの時、マレム先生が飛び込んで来てくれなかったら。
思い出しても頬が燃え、頭が沸騰しそうになる。
一番若い侍女のイルシャが入って来た。
「姫様、竜の戦士のお一人が、お目にかかりたいといらしています」
ジュナはどきりとした。
「竜族の長ではないのね」
「はい、あの、とても綺麗な方です」
侍女がぽっと赤くなったので、誰だかわかった。
身支度して出ていくと、ライラスが微笑んで風変わりな所作で優雅に頭を下げた。
綺麗な金髪がさらりと揺れる。
落ち着いた雰囲気の青年で、アウド・ヤールより少し若いだろうか。整った容姿の多い竜族の中でも、女官達の一番の人気になるのは間違いない、極上の美形だ。
「これが御入用ではないかと」
大振りの蓋つきのマグを差し出す。
「頭痛に良くききます」
二日酔いとは言わない、礼儀正しさ。
ジュナは喜んで受け取って、一口啜った。
さわやかな香りとほろ苦さが乾いた喉に心地よく、こくこくと半分ほど飲み干してから、ちょっと驚いているライラスの顔を見て、侍女の手を通さず、毒見もさせなかったと気付く。
しまった。忘れてた。
ま、いいか。
「金剛は元気?」
ジュナが彼の騎竜の名を覚えていたので、ライラスの顔が少年のように輝いた。
嬉しそうに笑って言う。
「ここの暑さが気に入って、張り切っていますよ。竜には最高の土地です。
今度竜舎をご案内しましょう」
「うれしい!約束よ!今日?明日?」
喜んだジュナは急き込んで言う。
本当に竜の好きな姫君だ。
つい、にこにこしてしまったライラスは、はっと気が付いて咳払いし、居ずまいを正した。
「王女、私は昨夜の謝罪と感謝にまいりました」
ジュナはびくりとして背筋を伸ばした。
「私に謝罪するべき人は、一人だけです」
吐き出すように続けた。
「アウド・ヤールは決して謝罪なんかしない人なんでしょ?」
「あの方は、長でおられますから」
ライラスは窓の外に眼をやった。
小高い丘に建つ砦の西向きの窓からは、どこまでも広がる荒野が見える。
乾燥した大地をさらに西へ進み、わずかな緑すらない赤茶けた丘陵を越える。
その彼方。
果てしない大砂漠。
「誰一人越えることの出来なかった砂漠を、我々は越えて来ました。
長く、過酷な旅でした。
統率者がアウド・ヤールでなかったら、我々はあの地で全滅していたでしょう。
だが長は、我々の命を救う代償に、自分の心を殺してしまった」
金髪の青年の声が、深い苦痛の響きを帯びる。
「それが私に何の関係があるの?」
昨日の屈辱を思い出したジュナが冷たく言った。
ライラスは眼を伏せた。
「あの旅から、そろそろ一年が過ぎようとしています。
我々はこの一年間、長の笑い声も、怒りの声も聞いたことがなかったのです」
「うそ・・・」
あんなに恐ろしく怒る人を、あんなに残酷に笑う人を、ジュナは知らない。
「あの砂漠、あまりにも多くの犠牲、あまりにも酷い試練が、竜族の長の心を打ち砕いたのです。
我々を生き延びさせるという義務だけが、今の彼を動かしている。
あまりにも冷静すぎて、全ての感情が凍りついたようで,見ていられなかった。
だからそれが、あなたを嘲笑するという酷い仕打ちであっても、彼が感情を見せてくれた事が、私にはうれしいのです」
一昨日の怒り狂った彼を見ても、この人はそう言うかしら。
ジュナは黙ってうつむいていた。
「これだけはわかっていただきたい。
アウド・ヤール殿は決して、むやみに女子供に暴力を振るうような人間ではありません。
我等が命を捧げ、従ってきた竜族の長は、誇り高く、勇敢で、公明正大な方。
だが彼は、まだ大きな苦しみから立ち直っておられない。
我々は、待っているのです。
アウド・ヤールが以前の長に戻ってくださる日を」
第三章に続く