2 砦
2 砦
次の日。
ジュナは部屋に閉じこもったきりで一日出てこなかった。
竜族の長は、山積みの難題を抱えて石のように無表情に砦の中を指図して回りながら、ジュナと顔を合わせずに済んでほっとしていた。
ひどい二日酔いと自己嫌悪にどっぷりとつかって。
男も知らぬような小娘に剣をつきつけて脅すなど、長にあるまじき振る舞いをしてしまったのだ。我ながら頭をかかえたくなるような醜態だった。
(手なずけると言っておきながら、なんてざまだ・・・)
どうしてあれほど怒り狂うはめになってしまったのか。
しかし、夕食どき、粗末な晩餐の席に居並ぶシトリアの廷臣共を見ると、再び怒りがこみあげて来た。
豪奢な綾織の絹をふんだんに使った華麗な衣装を引きずり、愛想笑いを浮かべた廷臣達が、アウド・ヤールの長身に向かってバッタのように頭を下げる。
あの姫の罪ではないのに。このカエルのような面をしたシトリアの廷臣共が、あの姫の意志を奪ってまで強制した事だというのに。
あの姫は私との結婚を拒否したのだ。
アウド・ヤールは控える従者に向かってむっつりと言った。
「我が妻をこの席へお迎えしろ」
だいぶ時間がかかった。
そして、入って来たジュナをひと目見た途端、アウド・ヤールはクッと吹き出してしまった。
右隣に座っていたライラスは、驚いて長を見、振り向いて訳を知ると、あわてて下を向いた。
肩を震わせ必死で笑いをこらえる。
あざけりに満ちた声で竜族の長は言った。
「隣の席へ。わが妻よ」
さらしものになったジュナは戦士達のあからさまな嘲笑と非難と軽蔑の眼差しを浴びながら、キッと正面を睨んでアウド・ヤールの左隣に座った。
すさまじく逆立った、金色の雀の巣のような頭をして。
強い薬品で無理な脱色をして金に染めたジュナの髪は、滅茶苦茶に傷んでしまったのだ。
切る事も染め直す事も禁じられた腰のないふわふわの巻き毛は、ティア特製のハーブオイルのパックの甲斐もなく、枝毛だらけになってしまい、櫛も通らない。
中央に座ったアウド・ヤールの右側に、ライラス以下主だった竜の戦士達、左側にジュナとシトリアの廷臣達が座り、晩餐が始まる。
ジュナは口もきかず、正面を見つめたまま。
シトリアの廷臣達は見て見ぬふりで白々しく祝辞を述べ、杯を上げる。
棒を呑んだように座っているジュナに杯を渡して、アウド・ヤールは言った。
「我々の結婚の祝いだ、王女。お前の望みをなんでも一つ叶えてやろう。
無論離縁だけは聞けぬが、何を求めようとも、どこに住みたいと言ってもかまわぬぞ」
ジュナの眼がきらりと光った。
「私の望み?」
「ああ」
「望みを聞いてくれると言うのね」
ジュナは立ち上がった。
(都に戻りたいと言ってくれ)
戻るチャンスを、アウド・ヤールは与えてやったつもりだった。
いっそ逃げ帰ってくれたほうがいいのだ。
ここにいなくても、彼女が法的に妻であるという事に変わりはないのだから。
だがアウド・ヤールは、ジュナの次の言葉に眼を剥いた。
ジュナは自分の左側に座る廷臣達を指さして、言ったのだ。
「この母様の家来達を、全員砦から追い出してちょうだい!!」
驚き、ざわめく人々。
ジュナの隣に座っていた、レンド・ラン・ロールス公爵が、にこやかに立ち上がった。
「何をおっしゃいますやら、ジュナ・ラデ・ライド様。
我々は外国の男性に嫁ぐ貴方様を心配なされた母君から、くれぐれも・・・!」
公爵が絶句した。
ジュナが目の前の熱い汁物を、公爵に浴びせたのだ。
怒りに眼をぎらぎらさせて、少女は爆発した。
「口先だけでごまかしてばかりで、現実を見ないあなた達はもう沢山!人形みたいに扱って、私をなんだと思っているの!出ていきなさい!顔も見たくない!」
中身だけで怒りは収まらず、皿まで飛んで行った。続いて飛んだ受け皿が見事に公爵の室内帽を跳ね飛ばす。
ジュナが次にナイフとフォークに手をのばすのを見た公爵は、慌てて戸口に向かった。
右手の戦士達がどっと沸いた。
「そうだ、出ていけ!」
「我等竜族の砦から出ていけ!」
シトリアのやり口を腹に据えかねていた戦士達が、食卓を叩き、パンや皿を飛ばし始めた。
アウド・ヤールが無表情に言った。
「我が妻の望みだ。すみやかにお引き取り願おう。丁重にお送りしろ」
戦士達の喝采と野次に送られて、シトリア側が全員逃げるように出て行ったあと、誰かが声をあげた。
「勇敢な小雀の王女に乾杯!」
嘲笑と称賛の入り混じった笑いと共に、ただ一人ぽつんと残されたジュナに向かって、竜族達の杯が上がる。
驚いてあたりを見回したジュナは、あざける様に唇を歪めたアウド・ヤールの鋼鉄の色の眼と眼があってしまった。あわてて眼をそらし、目の前の杯をぐいと一息にあおる。
たん、と杯を置き、唐突に言った。
「おやすみなさい」
くるりと体を回し、出ていこうとする。
副官のライラス・イオーが立ち上がり、扉を開いて見送った。
だが彼はあわてて飛び出していく。
何があったかといぶかしんで立ち上がったアウド・ヤールは、扉の向こうを覗き込んだ。
真っ赤な顔でぐったりしたジュナを、ライラスが抱き上げたところだった。
そつのない副官は、ちょっと非難の眼差しをアウド・ヤールに向けた。
「姫君に蒸留酒を渡されましたね」
渡した。
竜族の長は失敗に気付いて舌打ちし、眼を覆った。
十代の少女に。たっぷりと注いで。
「明日からは水で割った葡萄酒を用意させておこう」
ため息をつきながらアウド・ヤールは答え、一気飲みして正体を失くした少女を見下ろした。
「都に戻してやろうとしたのに。わざわざ孤立するとは、馬鹿な娘だ」