春の大祭 2
(クーニャを抱いて気分を晴らそう)
誰にも会いたくなくて、そっと竜舎に滑り込んだジュナは、しかし竜族の長とばったり出会ってしまった。
(もう、なんで今日に限ってこんな所にいるのよ)
腫れあがった瞼を見られたくない。
ジュナは子供のようにふくれて、そっぽを向いた。
「どうした、ジュナ」
アウド・ヤールが声をかける。
「どうもしないわ」
あさっての方向を見ながら、ジュナは答える。
(あれを聞かれちゃったかしら、あんな大きな声で怒鳴っちゃったもの・・・。
ああ、あたし馬鹿・・・)
竜族の長は笑った。
あの竜舎での油まみれの一件で爆笑したアウド・ヤールは、以来、何かか吹っ切れたように笑顔を取り戻していた。
普段は相変わらず彫刻のように冷たく無表情だが、何かの拍子にぱっと笑いがはじける。
彼の笑い声は深く、豊かで、聞いただけで安心するような不思議な存在感に満ちていた。
『この人が笑えば、何でも出来る』
ジュナが身もだえして悔しがるような、生まれながらの指導者の素質だ。
その心を読んだかのように、ちょっと茶化した軽い調子で彼は言った。
「ジュナ、一つ教えてやろう。
頂点に立つ者は動揺を見せてはならん。
リーダーが迷っては、部下が不安になる。
苦しい時も、不安でたまらない時も、やせ我慢して踏ん張って、大丈夫だと笑ってやるのだ。
それがリーダーの、一番大事な仕事なのだ」
腫れた顔を見せたくなかったのも忘れて、ジュナは竜族の長をまじまじと見上げた。
誰よりも強いこの人にも、そんな事が、そんな時があるのか・・・。
「お前はシトリアの王女。
皆、お前を頼りにしているのだ。
お前の民を、安心させてやれ」
うなずいたジュナは、アウド・ヤールの胸に手を触れた。
ひきつれた、大きな火傷の跡。
マイダー軍に捕らわれた時の、拷問の傷跡。
「これも、やせ我慢?」
言われて竜族の長はふきだす。
「これは強情、と言うのが正しい。
痛いと叫んで敵を喜ばせるくらいなら、舌を噛み切るほうがましだと思っていたからな。
意地の張り合いなら、お前も、誰にも負けてはいないだろうが」
からかうように笑いかけられて、やっとジュナも少し笑った。
「うん」
子供のように手の甲で眼を拭き、顔を上げてにっこりする。
「わかった。私、頑張る」
ふと、考え込んで、尋ねた。
「母様もそうだったのかしら」
いつも絶対に正しく、ジュナのいう事などまるで聞いてくれなかった、厳しい母様。
「母様も、ほんとは苦しかったのかしら。迷って悩む事があったのかしら」
「因習でがんじがらめの専制君主で、おまけに女神の代理人ではな。
ぜったいに臣下に弱みは見せられない立場だろうな」
その母様の足を、私は引っ張ってたのかも・・・。
私は何も知らない、ううん、何も知ろうとしない、かんしゃくもちの子供だった。
今なら、母様は私に話して下さるかしら。
巫女王とは何か。
今なら、対等の立場にある者として、教えて下さるかしら。
ジュナはとても母に会いたいと思った。