5 身代わり
5 身代わり
三ヶ月が過ぎた。
山脈の東側の平原からマイダー軍を追い払った竜の戦士達は、敗残兵の掃討と取り戻した東砦の再建をシトリア軍に任せ、風の峠の守りに一隊をあてただけで、報酬として勝ち取った北の荒れ地に新たな砦を築くことに全力を注いでいた。
東砦が再建され、この北西の地に砦が出来れば、風の峠を挟んで山脈の東西の守りとなる。
だが、この地は水に乏しかった。
シトリア・マイナは広大なハルナ湖を源とする二本の河が豊かな穀倉地帯を潤すが、雪を頂く北方山脈からこの荒れ地に向かって流れるただ一筋の河は次第にやせ細り、やっとのことで荒れ地を抜けた後、砂漠に吸い込まれて消えてしまう。シトリア特産の小麦は育たず、芝麦と蕎麦が取れるだけの、牧畜にしか向かぬ痩せ地なのだ。
半ば崩れた古い地下水道〔カレーズ〕を見つけたアウド・ヤールは、それを修理し、井戸を掘って、砦の周りに耕地を作ろうとした。三百頭の肉食の竜を養うには多くの家畜が必要だが、農地と牧草地を整備し、羊を飼って増やしていけば、この砦はこの先傭兵として生きる竜族の基地として十分に機能するはずだった。
竜族の長が選んだ小高い丘は、以前にも砦が建っていたらしく、掘ってみると今でも十分に使える礎石と井戸が見つかった。
丘を囲んで丈夫な柵が建て回され、竜を最優先して、中央広場の周りに竜舎、繋ぎ場、運動場の広いスペースがまず取られる。何箇所かに分かれた竜舎を中心に、戦士達のテントが立ち並ぶ。
砂漠生活の長かった戦士達は、重苦しい石造りの建物よりもテントを好んでいた。雨の少ないこれから夏にかけては、そのほうが快適に過ごせるはずだ。
広場の奥に、運ばれてきた木材と粗削りな石で、集会所を兼ねた長の住居が既に出来上がっている。隣の棟続きの少し小さな建物が王女ネアトリスと侍女、従者達の住まいとなる予定だ。
王女の降嫁は以外にもあっさり承諾されて、すでに都で代理人同士による結婚の調印がされていた。
婚礼前に本人同士か会うのはシトリア王家のしきたりに反すると、ネアトリス王女は大地母神の神殿に籠ったきりで、凱旋したアウド・ヤールの前に出る事はなかった。
初めての勝利にシトリアこぞっての大歓迎を受けた竜族達だったが、その後、山ほどのしきたり、凡例、法律の書類と共におしかける廷臣と官吏達に辟易して、竜族の長は早々に荒野の砦に引き上げ、やって来るはずの花嫁を待っていたのだ。
吉日が占われ、神官達が住居を清めに現れ、取り澄ました女官と従者が揃い、やっと王女が到着する。
砦の門に立って王女の一行が現れるのを待っていたアウド・ヤールは、荒野の彼方かゆっくりと現れた行列に不審をいだいた。
一行の人数があまりにも少ない。
第一王女の降嫁だというのに、豪華な輿と連なる荷駄に付き従うのは、わずか二十数人と見えた。
先ぶれが何度も走り、着飾った廷臣達がバッタのように頭を下げて、砦の前に腕組みをして立つアウド・ヤールに口上を述べる。あまりにも装飾過多の美辞麗句は、同じ言語とも思えない。
アウド・ヤールは傍らに立つライラスにそっとささやいた。
「この囀りの意味が取れるか?」
「勿体なくも王女が降嫁されるから、謹んでお受けしろと十倍も面倒に言っていますね」
「百倍だぞ、これでは」竜族の長はあくびをかみ殺す。
やっと囀りが終わり、再び廷臣達が何度となく頭を下げ、持ち上げられた輿が砦の門をくぐろうとする。
「待て」
アウド・ヤールが止めた。
「我等の砦の全貌を、ここで花嫁に見ていただこう。
輿に近づこうとするアウド・ヤールの前に、廷臣達が立ちふさがった。
「とんでもございません。花嫁は床入り前まで花婿に顔を見せぬのが、我等のしきたりでございます」
真っ青になって、汗を流している。
アウド・ヤールは狼が笑うように獰猛に歯を見せて言った。
「我等のしきたりでは、花嫁は花婿の腕に抱かれて新居の扉をくぐるのだ」
輿が降ろされ、近づくアウド・ヤールの前から、廷臣達が危険物を避けるように後ずさった。
幾重にも引き回された垂れ幕を掴んで、一気に引き開ける。
付き添う侍女達から悲鳴が上がる。
輿を覗き込んだ竜族の長は、ゆっくりと振り向いた。
剣の柄に手をかけ、震えあがっている廷臣達に詰め寄った。
「これはどういう事だ」
豪華な輿の中に座っていたのは、赤褐色の髪を金に染め上げた、妹姫、ジュナ・ラデ・ライドであった。
第二章に続く