3 アウド・ヤール
3 アウド・ヤール
夜もだいぶ更けた。
昼間中騒ぎまくる大勢の人間にかこまれた挙句、馬の匂いのぷんぷんする狭い場所に閉じ込められて、竜達はまだ落ち着きなく動き回っている。
乗り手達も同様だった。何か月も砂漠の星空の下、テントの生活をして来た戦士達は、この石造りの都が、見慣れぬ異民族が、信用できずに苛立っていた。
けばけばしく飾り立てられた宮殿は、見た目は絢爛豪華なのだが、体格の良い彼らには、家具調度のサイズがどうにも小さすぎ、落ち着かない。王宮内に部屋をあてがわれたが、皆自分の竜と離れるのを嫌がって、豪勢な食事のあとは、ほとんどが厩舎にたむろしていた。
異民族達に、宮殿より臭い厩を好む下賤な者達、礼儀を知らぬ野蛮人と呼ばれても構うことはない。
竜の戦士は竜を最優先して動くのだ。
指導者としていったんは居室に入ったもののやはり落ち着かず、竜を見回りに来たアウド・ヤールは、厩舎の外で何か騒ぎが起こっているのに気付いた。
見張りの戦士が、小柄な人影ともみ合っている。
「何事だ、ユーリス」
まだ初々しい頬をした少年のような戦士が、相手を床に押さえつけて答えた。
「侵入者です!長!」
相手の深くかぶったフードをはねのける。
豊かな赤褐色の髪が、ばさりと広がった。
「どいてよ!痛いじゃないの!」
押し殺してはいるが、怒りに満ちた子供っぽい女性の声。
「これは、これは」
少女に気付いたアウド・ヤールが言った。
「空から降って来た娘御ではないか」
あわてて飛びのいた少年の下から、わらくずだらけになった少女が真っ赤になって立ち上がった。
腹立たしげに上等な天鵞絨のマントをはたく。
きっと顔を上げ、高飛車に言った。
「私は第二王女、ジュナ・ラデ・ライド。
無礼なまねは許しません!」
王女?
口をきく事もなく、あわてて奥に連れ去られていった少女を、てっきりお転婆な侍女かと思っていたが。 ではあの美しい金髪の王女の妹姫なのか。まるで似ていないな。
「これは失礼をいたしました、姫君。なにびとも竜に近づけてはならぬと、きつく命じてありましたので。
で、ただ一人お忍びとは、何の御用でしょうか」
にこりともせず大げさに礼だけはとる男が真面目なのかふざけているのかわからず、ジュナはちょっと相手をにらんだ。昼間はわからなかったが、竜から降りた男はすごく背が高く、思い切り見上げなければ顔が見えない。癪にさわったジュナはぶっきらぼうに言った。
「私、竜が見たいのです」
軽くうなずいたアウド・ヤールは、ジュナを室内馬場の中央へ導いた。
「金剛をこれへ」
一頭の竜が引き出されてきた。
昼間背中から見たのとはまた違う偉容に圧倒され、声もなく見つめるジュナだった。
大きさは体格の良い軍馬ほどだが、逞しい二本足で立っているために頭がずっと高い所にある。
数人の戦士が灯りを掲げて周りに集まってくれたので、照らし出された竜の鱗は磨いた金属のように輝き、長い爪が恐ろし気に光った。
手綱を取った戦士が何か言うと、竜はグルグルと唸って頭を下げた。戦士が額の鱗の間を掻いてやると、唸り声が大きくなって、次はここを掻け、というように頭を動かす。
黒い大きな眼に半分瞬膜がかかった。
驚いたことに下瞼が上へ上がるので、竜が笑ったように見える。
一歩踏み出したジュナを、アウド・ヤールが静かに制した。
「近づくのはこちらから。
あの尾は一撃で馬もなぎ倒すから、後ろから近付いてはいけない」
大きく回り込んで、頭に近づく。
ジュナに気付いた竜は瞬膜を戻すと、大きく鼻孔を広げてフッ、フッとジュナの匂いを嗅ごうとした。
口が開き、大きな牙が見え、肉食獣の息がジュナに届いた。
また一歩近づきすぎたジュナを、アウド・ヤールが止める。
「危ない。戦闘用に仕込まれた竜なのだ。全身が凶器となっている。
あの足の爪をごらん。噛みついて相手を引き倒し、あの爪で腹を裂くのだ。
それが竜の戦い方だ。人間なら一撃ではらわたを引き出され、即死する」
脅されてジュナは身を震わせた。
あの竜の気が変わってぱくりとやったら、隣に立っている戦士の頭はすっぽり竜の口に入ってしまう。
だが戦士が軽く舌を鳴らして手綱を引くと、竜はおとなしく体を回して、竜には少し狭すぎる馬房に戻っていった。狭い所でもくるりとターン出来る、よく制御された逞しい筋肉。優美な全体の動き。
灯りに輝く尻尾が馬房に消えると、ジュナは長いため息をついてうっとりと言った。
「なんて綺麗な生き物なの」
恐ろしいとか獰猛そうだとかいう言葉を期待していた男達は、肩透かしをくらってあっけにとられた。戦闘用の竜を綺麗と形容する一般人は、あまりいない。
竜に夢中でまわりが見えていなかったジュナは振り向いて、大柄な金髪の男達に囲まれているのに気づき、びっくりした。背が高いのは長だけではないのだ。
(シトリアの人間よりずっと大きいんだわ、この人達)
ひとくちに金髪と言ってもいろいろあるのね、とジュナは思った。
白銀の滝のように見事な直毛から、くすんだ赤っぽい縮れ毛まで、様々。金髪でもてっぺんが禿げちゃってるのは、ちょっと情けなくて悲しい。
一番黄金に近いのは、竜族の長の、たてがみのように見事な髪だ。
額の幅広の金の輪で押さえきれぬ波打つ豊かな髪が肩のあたりで渦巻き、彫刻のような男性的な美貌と肩幅の広さを強調しながら灯火に映えて輝いている。
「ありがとう。
皆さんに御武運を。常に大地の女神の御加護がありますように」
いつも母が使う決まり文句を言ってから、自分の言葉になった。
「絶対、絶対勝って下さいね。ミロンの軍隊なんて追い払って!
東の砦を襲った奴等に、思い知らせてやってちょうだい!」
こぶしを握り、眼を輝かせて、ジュナは強い口調で言う。
「我等にお任せください、姫君」
金剛と呼ばれた竜に付き添っていた戦士が戻ってきて、優雅に頭を下げた。
背の半ばまで届く、まっすぐさらさらのプラチナブロンド。
(うわあ、女官達が大騒ぎしそうな美形)
さっきは竜に夢中でまったく気が付かなかった。
繊細で美しい優しげな顔立ちと、洗練された心地よい物腰。長の隣ではほっそりと見えるが、シトリアの若者たちとは比べ物にならぬほど鍛え上げられた戦士の身体つきだ。
正装させて宮廷の貴族の若殿達と並べたら、その上背と美貌は素晴らしく目立つだろう。
「私は竜族の長、アウド・ヤールのセイム、ライラス・イオーと申します。
どなたの仇と名乗りをあげればよろしいでしょうか」
アウド・ヤールはちらとライラスに眼をやった。注意深い彼の右腕は、少女の様子がただの好奇心だけではないと気付いたのだ。
はたして、彼女は唇を噛んでうつむいた。
「トラビス将軍、そして部下達と」
頭を上げたその眼に浮かぶのは悔し涙か。
「ひと月前、東の砦が落ちて、全滅したの。
大きな声の、白いおひげの、優しい人でした」
幼いジュナをよく肩車してくれた、遠い血縁にあたる老軍人。叱られてばかりのジュナを、子供が勉強嫌いなのは当たり前、元気なのが一番だと慰めて、ぴかぴかに磨き上げた黒い軍馬に乗せてくれた人。
みそっかすのジュナに優しかった、おおらかに笑う子供好きの老将軍は、もういない。
これを言ってはいけないと思いながら、つい口が動いた。
「何度も援軍を要請して来たのに。あの砦が落ちたら風の峠を守り切れないと、叔父様は何度も言ったのに。何があろうと、死守しなければと。
それなのに、皆は議論するばかりで、援軍を送らなかった」
出兵か、撤退か。
優柔不断な廷臣達が井戸端会議を続けているうちに、砦にこもった守備兵達は数千のマイダー軍に囲まれ、激しい攻防戦の末、全滅したのだった。
「帰ります」
ふたたびうつむいたジュナは小さな声で言った。
戸口まで戻って、振り向いた。
「私がここに来た事、誰にも言わないでくださいね」
アウド・ヤールは頷いた。
「高貴な姫君がお一人で卑しい傭兵風情と話していた、と噂になったらお困りでしょう」
長の皮肉な口調に気付かず、ジュナは子供のようなしかめ面をした。
「違うの。私、本当は落っこちた罰で謹慎中なの。抜け出してここに来たことがばれたら、また謹慎がのびちゃう」
思わず口元のほころびたアウド・ヤールにちょっと頷き返し、ジュナはするりと戸口が抜け出して行った。
少女の登場が一同の緊張をほぐした。
あちこちで笑い声が上がり、酒の甕が回り、雑談が始まる。
「この国で一番勇気があるのは、あの少女か」
「竜の間近まで寄っていくからひやひやしたぞ」
「信じられん、本当にあの金髪の姫の妹なのか?」
歓迎はしながらも竜を恐れて、近づきもせずビクビクしている人々、卑しい傭兵達と蔑みの眼で見る宮廷人達に、戦士達が不快な思いをしていた事がよくわかる。
この調子ならもう心配あるまいと、与えられた寝所に戻っていくアウド・ヤールに、従うライラスが声をかけた。
「本当に第一王女を要求なさるおつもりですか?」
予定していた報酬に、いきなり王女を加えた長の言葉に、居並ぶ戦士達は仰天したのだった。
「王女を娶るのが一番の保証になろう。
この国は信用できない。廷臣達のあのおどおどした狡そうな眼を見たか?」
この国を守る気なら、あの少女の言った東の砦を見捨て、都に向かう路を無防備にしてしまったのは愚かとしか言いようがない。マイダーの侵攻以前は、戦のない平和な土地だったと聞く。
女の王の下、政治を論ずる文官ばかりが幅をきかせ、武官が軽んじられているのは明らかだった。
戦のような非常事態に対応する機構がまるで出来ていないのだ。
さらに二年もたってまだこの有様では、官僚制度を改革する柔軟性はとうに失われ、欲深な一部の貴族だけが権力を独占しているに違いなかった。
「確かに、あれほどよく似た女性は他におりますまいが」
低く呟くライラスの言葉に、アウド・ヤールは窓の外の暗闇に眼をやりながら答えた。
「わかっている。身代わりにする気はない」
窓枠にもたれ、眼を閉じた。
「彼女のような女は二人といない」
竜族の長の心の闇は、外の暗闇よりも遥かに深く、濃いものだった。