第一章 1 竜の戦士
第一章
1 竜の戦士
暑い砂漠を越えて来た乾いた突風が市街を吹き抜け、城壁に垂らされた色とりどりの飾り布を激しく吹き上げた。結び方の甘かった数枚が風にあおられて宙に舞う。
「あ!」
城壁の上、豪奢な日除け天幕に集まる華やかな集団の中で、ジュナは声を上げた。
ジュナの気に入りの、騎士と姫君の図柄を刺繍した布が空高く舞い上がったのだ。
高く、高く舞い上がり、風に乗り、よじれ・・・。
ああ、だめだ、東の谷に落ちてしまった。
飾りつけを担当している女官が、布を結んだ下働きの娘を激しく叱責する。
「いやあね、歓迎の垂れ幕が吹き飛ぶなんて。縁起が悪いわ」
「大地の女神さまがよそ者達を歓迎しておられないんじゃないかしら」
「恐ろしい怪物に乗った野蛮人だっていいますものね」
「髪を振り乱した異教徒の男性至上主義者達よ」
「悪魔のような凄まじい姿で、女とみれば襲いかかって攫っていくのですって」
「いやだ、あのマイダー軍と同じ、女性の敵なのね」
風に騒ぐ葦のような、女官達の不安のささやき。
「悪魔だって何だってかまわないわよ。マイダーの軍勢をこてんぱんにやっつけてくれるんだったら」
大好きな騎士の飾り布を失くしてふくれたジュナは、不機嫌につぶやいた。
「なんて下品な言葉遣いなの、ジュナ」
後ろから聞こえた咎める声に、ジュナはうえっと顔をしかめた。
しまった。姉さまに聞こえてしまった。
シトリア・マイナの女王アラシアミスタ三世の長女、ネアトリス・デア・メトリ、うるわしのネアトリスは、自慢の金髪を陽に輝かせて妹姫に近づいた。
騎士達のあこがれ、世継ぎの姫君、今年二十歳になる金髪の美女、ネアトリス。
くすんだ赤褐色のくせっ毛の妹姫と並んだところは、まるで王女と侍女を並べたようだ。
十五歳の妹姫は、ジュナ・ラデ・ライド。
「おまけのジュナ」と陰で呼ばれる少女は、恋多き女王の末子であった。
見張り塔の兵士が高らかに叫ぶ。
「来たぞ!」
「来たぞ!!竜だ!竜が来たぞ!」
城門前の広場につめかけた見物の人々から、ざわめきが波のように立ち上がる。上のテラスで、ジュナは彩色煉瓦の手すりから身を乗りだした。
遠くの方で、何かがきらりと光った。西の砂漠に続く街道に砂煙が立ち、騎馬の影がいくつも現れる。
いや、騎馬ではない。馬ではないのだ。あれは・・・あれは・・・。
「竜!」
本当に、竜なのだ。
今までは伝説でしかなかった。想像上の生き物だと思われていた。
竜。
その竜に跨り、金の髪を風になびかせた、猛々しい戦士の群れ。
西の果て、人跡未踏の死の砂漠の彼方から、忽然と現れた男達。長い戦いに疲れ果てたこのシトリアの国に代わって、敵国マイダーと戦おうと申し出て来た傭兵の一団。
下の市街から、やっと竜の姿を認めた人々の歓声が沸き上がる。
「すごい!すごい!」
近づいてくる一団の細部が次第に見分けられるようになり、興奮したジュナは叫んだ。
十数人の騎士全員が、揃えたように金髪だ。
遠くからキラキラと光って見えたのは、首や肩に重たげに着けられた、黄金の装身具。いぶし銀に所々玻璃の珠を嵌め込んだような光沢を持つ、幅広のズボン。
そして、竜の鱗の煌き。
ジュナは竜から眼が離せない。
馬よりも丸く、大きな頭部。白い牙を覗かせる大きな口。
大地を踏みしめる、たくましい二本の脚。
胸の近くに揃えられた、人間によく似た腕。
真っすぐに後ろに伸ばした太い尾でバランスを取り、不思議なほどリズミカルで優美な動きで、大股に進んでくる。
恐ろしかった。
恐ろしく、荒々しく、輝かしく、美しい。
「すごい!」
「野蛮ね」
ジュナとネアトリスが同時に言った
「なんで!?姉さま、素晴らしく綺麗じゃないの」
「彼らはただの傭兵よ」
こういう時の姉の口調は母そっくりで、いつもジュナはいらいらする。お前は馬鹿な子供だからと言われているような、気取った響き。
「粗野で、無教養で、野蛮な男達よ。まだ彼等を雇うかどうかも決まったわけではないのだし」
(だって雇わなきゃマイダーに勝てないんでしょ!)
ジュナはふくれた。
近づく竜と乗り手達の華麗な姿にさっきまでの悪口も忘れて、はしゃぎまくった女官達が手を振り、身を乗り出して歓声を上げる。
居並ぶ人々の歓呼の中、隊列は今、城門をくぐる。
「あ!」
しまった。
姉にむかついていたために背の高い女官に場所をふさがれ、ジュナは竜の先頭が城門をくぐる瞬間を見逃してしまったのだ。
悔しい。もっとしっかりあの人達を見たかったのに。
城壁の内側に走ったジュナは、分厚い城門の反対側から彼等が出てくるところを待ちかねて、思い切り身を乗り出して真下を覗こうとした。
乗り出しすぎたジュナの体の下で、釉をかけた煉瓦のブロックがぐらりと動いた。
「キャ・・・!!」
滑った手が別の手掛かりを求めて、狂ったように煉瓦を探る。だが崩れたバランスは戻らない。
そのまま、ジュナは落ちた。
姉と女官達の悲鳴。
「キャーッ!」
「ジュナ!」
「ジュナ様っ!」
陽射しのきつい、暑い日だった。
各階のベランダに張り出された、様々な色の日除けの布。
差し出した腕のように布がジュナを受け止めるが、重さに耐えきれず破れる。続く下の階の日除けも破れたが、落下の速度はだいぶ削がれた。
だが、その下は固い石畳。
☆☆☆!!
何かに激しくぶつかって、息が止まった。
体が激しく揺さぶられる。
人々の叫び声。
「アウド・ヤール!」
「ヤール殿!」
うつ伏せに押さえつけられたジュナは身動きも出来ない。
胸がつぶれる!ジュナはもがいた。
「動くな」
頭の上で、よく響く、深い声がした。
「竜が嫌がる」
ジュナの鼻先にあるのは、黄金の板。長い首と尾をからませた動物の群れと唐草の、異国風の複雑な意匠が打ち出してある。
幅広の、剣の鞘だ。
「ヤール殿!」
別の声が近づく。
「よく受け止められました。爪にかけてしまってはと、ぞっとしましたよ」
「隊列を乱すな」
頭の上で答える、命令する事に慣れた落ち着いた声。抑揚や語尾が少し違うが、不快な響きではなく、十分意味は通じる。
軽く舌打ちし、振り向く気配。
「群衆が近づきすぎている。竜を知らぬ歓迎の群れを血に染めるなよ」
相手が軽く笑った。
「おかしな国です。歓迎の花のかわりに娘が降ってきた」
ジュナの頭に血が昇った。逆さになったのと、恥ずかしさと、両方。
下の動きに合わせて体を起こそうとすると、強い力で引き起こされた。
視線が、ぶつかった。
「あ!」
変。この顔、知ってる。と、ジュナは思った。
「あっ!」
わかった。思い出した。
夏の別荘の庭にあった、大理石の青年像だ。
なんであの像が、生きてここにいるのよ。まぶしいくらいの生命力と色彩に満ち溢れて。
肩まで届く波打つ黄金の髪。その髪に縁どられた、すばらしい美貌。
深い青の眼と、意志の強そうな口。日に焼けた滑らかな肌は金の光沢を持ち、整った若々しい顔はあの像そのまま。
美しく、冷静で、磨きこんだ大理石のように何の表情も見せぬまま。
くせっ毛を振り乱し、顔を真っ赤にして、目と口を思い切り開いた少女は、竜族の長、アウド・ヤールの腕の中にいた。
ジュナを抱いた男が、わずかに足に力を加えた。答えて竜が動き出す。呆然と青い眼を覗き込んでいたジュナは、行進が再開されたのを知って、慌てた。
「お、降ろして下さい!」礼を言うのも忘れて、もがく。
「だめだ。竜の気が立っている。刺激するな」
にべもなく突っぱねられて、しゅんとする。
歓迎の叫びに、驚きとざわめきが混じる。
ジュナは恥ずかしくて顔も上げられなかった。
ジュナを抱いた男は首や腕に豪華な黄金の装身具をつけてはいるが、上半身は裸で、むき出しのたくましい胸と見事に筋肉のついた二の腕が、囲うようにジュナに直接触れている。王女が異性の肌に直接触れるなど、とんでもない話だ。
(怒られる、怒られる、きっと母様にめちゃくちゃに怒られる・・・)
竜の歩調にあわせてこのセリフが頭をぐるぐる回る。
竜と男の体臭が混ざり合って、ジュナの鼻に届く。馬とは違う、不思議な乾いた匂い。リズミカルに動く、竜の身体。滑らかに動く竜の首が目の前。
陽射しを浴びて、きらめく鱗。
その動きと輝きに、ジュナは状況を忘れて魅せられてしまった。鱗の手触りを確かめたくて、そっと手をのばす。
男の手がぐいとジュナの身体を戻した。
「動くんじゃない。真っすぐ座っていろ」
怒られてしゃちこばったジュナを乗せた竜は、最後のアーチをくぐった。文官と武官の並んで立つ、王宮前の広場まで来てしまったのだ。
正面の階段を駆け下り、息せき切って走ってくる、姉姫と女官達。
(私はあっち側にいなきゃいけなかったのに・・・)
いつも人目を気にして気取って歩き、裾の乱れ一つに神経を使う姉さまが、人前で走るなんて。あんなに取り乱させてしまって、どうしよう。
母と姉の怒りを思って、ジュナは冷や汗を流した。
突然、竜の足取りが乱れた。
ジュナを抱いた男が息を呑み、体を強張らせたのだ。
食い縛った歯の間から、呻くような声が漏れる。
「・・・クレール・・・」
苦痛と悲嘆に満ちたその声を聞いたのは、腕の中のジュナだけだった。
ジュナとネアトリスの母、偉大なる巫女王、アラシアミスタ・デア・トゥリア・ラ・デリア三世の治めるシトリア・マイナは、大陸の東に位置する小さな農業国家であった。
ティグリとユーディスの二つの大河に育まれた東のシトリア・エルダ、河口に近いネ・シトリアの三国でゆるやかな同盟を結び、大地の女神を信仰する母系の平和な統治を数百年に渡って続けてきたのだ。
ユーディスの北に広がる寒冷なステップ地帯で、マイダーのミロンという男が幾つもの部族に分裂して争っていた騎馬の民を一つにまとめ、大軍となって大河を越え、平野に攻め込んで来るまで。
河口の豊かなデルタ地帯にあった先の二国は、ずば抜けた機動力を持つ騎馬軍団に見る間に蹂躙され、滅び去ったが、シトリア・マイナだけは頑強に抵抗を続けていた。国境の険しい山岳地帯が騎馬の大軍を防いだのだ。
北と東を山脈に、南を海に、西を大陸中央まで広がる大砂漠に囲まれた小さな国は、数を頼むマイダーの侵攻によく耐えたが、二年以上にわたる執拗な攻撃にじわじわと国力を削り取られていった。
国民の間に、不安と絶望が濃く影を落とし始めていた。
その時、彼等が現れたのだ。
人跡未踏の大砂漠の彼方から、何百頭もの恐ろしげな大きな獣に跨った、彼等、「竜の戦士」と名乗る傭兵達が。
今風の絵ではないので、挿し絵が多いと話に入りやすいと思われるか、イメージが限定されていやだと思われるか・・・。読者の感想をいただきたいと思っています。