第8話 ジョブチェンジです
なんだろう?
早朝。屋敷の中が騒がしい。
騒がしいが、賊が入ったにしては静かすぎる。
軽く身支度を整えて、廊下に出てみると、侍女や侍従たちがあちらこちらの部屋をバタバタと見て回っている。
「お嬢様! 申し訳ございません」
私の整えられた身支度を見て、エルザが頭を下げてくる。
「構わないわよ。何かがあったのでしょう? 賊ではないようだけれど?」
「それが…… ディビット様が……」
言葉に詰まるエルザに、私は首を傾げる。
また、あの子は何かやらかしたのかしら?
お茶会から逃げようとする弟の耳を引っ張り連れて行ってみるも会場からは姿をくらまし、ダンスの練習から逃げるのを縛って連れて行く。
必要のない嫌なことから逃げる習性があると、自分で言った通りに、ディビットは一定の条件を満たしたものから逃げていることは早くに理解したので、それを防ぐように捕まえてきた。
あれから7年。私が15歳となり学園に入学してからは、逃げるディビットを捕まえるために、侍女、侍従が右往左往しているとは聞いていたが……。
こんな早朝から、いったい今度は何をやらかしたのか。
「……お姿をくらましになりました。家を出奔すると旦那様と奥様宛の書置きも残っており、字も間違いなくディビット様が書かれたもので……私兵と腕の立つ侍従を外へと捜索に向かわせましたが、念のため、まだ屋敷の中にいないか皆で捜索しているところでございます」
ディビット……あなたって子は!!
「お父様のところへ向かいます」
私の言葉に、エルザは頭を下げると、お父様が執務室にいることを伝えてくれる。
執務室のドアは開け離れたままだったので、軽くノックをした後、お父様と目があったのを確認して、入室する。
エルザにドアを閉めて、廊下で誰も来ないように待つように伝えると、一礼して下がっていった。
「お父様。ディビットは見つかりそうですか?」
「難しいかもしれない。ディビット用の馬がいなくなっている。抜け出した時間と進んだ方向によっては、王都の外に出てしまっているだろう」
王都は壁で囲まれており、通常出入りできる門は一か所のみ。
門兵も警備をしているし、壁に沿って哨戒兵もいるが、王家と公爵家に限っては血族魔法とよばれるものによって開けることのできる門がある。
緊急時の避難の為であり、重要な密偵などを動かすためのものでもある。
剣の腕も魔法の技量もディビットは優秀です。目的地というものがあるのなら、途中、賊や魔物に襲われてもよほどのことがない限り切り抜けられるでしょう。なので、ディビットの身の安全については心配をしていないのですが。
「このタイミングでのディビットの出奔はまずいな……」
「そうですわね……」
王家と公爵家に限り、側室制度が認められている。
そのことからも、貴族の中で公爵家に限り、家を継ぐことができるのは直系の血筋のみとなっており、侯爵家以下のように跡継ぎに恵まれなかったからといって傍系から優秀な養子を迎えることはできない。
もし、ディビットが出奔したとなった場合、公爵家を継ぐのは私ということになるのだが、その場合、つまり娘が公爵家を継ぐ場合は王家から婿を迎えなければならない決まりがあるのだ。
もちろん、両親が頑張って次子を授かるか、若い側室を迎えて授かる方法もあるのだが。
現在において存在しないものはこの状況を打破する対処にはならない。
お父様が言うように、タイミングが良くないのだ。
今の王城の政治バランスは微妙なことになっている。
王妃様が亡くなったのが3年前。毒殺だったのではという声も聞こえてくるくらいに突然のことだった。
本来なら、すでに王太子である第一王子の婚約者が決定していて、婚儀も行われていて当然なのだが、23歳を迎えてなお王太子殿下は婚約者がいない。
はっきり言って異常事態だ。
王太子殿下に問題があるわけではない。聡明だと評判だし、剣技にも魔法にも秀でていると言われている。政にもすでに携わっていて、外交面での要と言って過言ではないくらいの業績を残しているらしい。容姿も母親の王妃譲りの美しさだ。
国内の王太子妃候補だった令嬢たちは、王太子殿下に他国の姫君との婚約が確実となった時に、王家より内々の知らせが届けられ、王太子妃が決まるのを待っていた他の有力高位貴族とすぐさま婚約を行い、お互いの年齢のこともあって急ぎ婚姻を結んだため、残っていない。
ならば、その婚約が確実になった他国の姫はというと、王太子妃候補だった令嬢たちが、婚姻を結んだあとに急な病に倒れ亡くなってしまい、嫁いでくることができなくなってしまった。
そこでも急な姫君の死に毒殺の噂が流れた……
第二王子は側妃であるナターシャ妃の子供であり、彼女の実家であるプラフト子爵家は権勢欲が強い。第二王子を王太子として侯爵家に上るつもりだという噂も聞こえてくる。
そして、それは事実であり、第一王子派と第二王子派で派閥争いも起き始めている。
王妃が存命であれば、そんなことは起こらなかったのかもしれない。
王妃は子爵家の令嬢で、実家は子爵家の中でも規模は小さく、穏健派であり、王妃亡き今、第一王子の後ろ盾になるには力が弱すぎる。
もちろん、そのような実家なので陛下の当時の王太子妃候補には名前が挙がっていなかった。
陛下が王太子だった頃には公爵・侯爵家の同年代の令嬢が多く、候補を子爵家の令嬢にまで伸ばす必要がなかったからだと聞いている。
しかし、学園でであった二人は、恋に落ちた。民たちの中で物語として語られ、舞台にもなっている。なぜ、舞台にまでなったかと言えば陛下と王妃の容姿がかけ離れていたからだろう。
子爵令嬢であった王妃は、社交界の華だとか妖精、女神の祝福を受けた淑女などと絶賛される容姿を持ちながら、奢ることのない態度で誰とも接し、慈善活動などを行い領民から慕われていた。
一方、陛下はというと、子供は泣きだし、気の弱い令嬢が初めて会うと失神してしまうぐらいに、武骨で強面な容貌だった。そのわりに内面は呆れるくらいに繊細すぎたとはお父様の言葉だ。
そんなこともあって学園に入るまで王太子妃候補はいても決定していなかったことと、王妃教育を問題なく吸収していった子爵令嬢をみて、二人の結婚は歓迎されたらしい。
王太子妃候補だった令嬢も、子爵令嬢の王太子妃の勉強に協力的だったという話なので、若かりし頃の陛下は、よほどの強面だったのだと思う。まぁ今でも、子供が見ると良くて半泣きのレベルの強面なのだが。
しかし恋愛結婚だったが、第一王子の誕生の後は姫君を二人授かったのみ。そのことから家臣からの強い要望もあり陛下は側室を迎えざるを得なくなり、せめて王妃と同等の家格か、以下ということで側妃を求めたところプラフト子爵家の令嬢だったナターシャ様が名乗りを上げ第二王子のジートル殿下を出産した。
そういったことから、第一王子、王太子の後ろ盾となるべく、8歳差と年齢が離れているが、女性が若い分には問題ないだろうと陛下より第二王子妃候補から王太子妃候補への打診があったばかりなのだ。
候補とは名を打ってあるが、打診されたのは公爵令嬢である私のみ。
王太子である第一王子とは王城で行われた茶会で挨拶をした程度なので、これから、しっかりと顔合わせを行い、王太子が私に余程の拒否感を抱かない限り、このまま王太子妃に決定なのである。
「第二王子のジートル殿下は王太子の器は無い。彼が国を治めることになれば、乱れるだろう。
第一王子派は後ろ盾となる我が家との婚姻を結べないのは悔しいが、ならばとジートル殿下の婿入りを進めるだろう。そうなると第二王子派は、間違いなくリズ……アマリリス、お前の暗殺を企んでくるぞ。もっとも我が公爵家としてもジートル殿下はいらない」
「わかっております。お母様が次子を授かるという案もありますが、それはお母様や、授かった子を危険にさらすだけのこと。第一王子派と第二王子派の罪の擦り付け合いに利用されるだけ。ならば、一番の手はディビットを連れ戻すこと。今回の出奔もなかったことに」
「見つかれば…なのだが」
「いいえ、見つけてくださいませ。時間は私が稼ぎます。一年あれば見つけ出すのは可能ですね?」
「それだけの時間があれば公爵家の威信にかけて見つけ出す」
「私がディビットの身代わりをいたします。次に訪れる夏の長期休暇。そこでディビットと再び入れ替われば、学園での多少の齟齬もディビットならごまかしがきくでしょう。ただ、私との婚約の話がありますので陛下と第一王子殿下だけには、このことをお伝えください。公爵家に二心が無いことを」
「それは構わないが……そう、うまく行くのか? 女が男の振り、ましてや実在する人間と入れ替わるなど無理があるだろう。それに、ディビットの身代わりをしている間に不在となるリズ自身のことはどうする?」
「私は、明日に行われる王家主催の夜会で姿を消します。もちろん、失踪騒ぎを起こすわけではありません。目撃者は多い方が良いということ。一番早い夜会が王家主催のものだったというだけのことです。具体的な方法は、試したいこともありますので、これから煮詰めて、今日の午後にでもお父様にお話ししたいと思います」
「わかった。お前を信じよう」
「ところでお父様。ディビットの書置きにはなんと?」
「シンプルだぞ。読んでみるか?」
手渡された紙には。確かにディビットの字で『お父様 お母様 家出します。探さないでください』とだけ。
……… あれ? お姉ちゃんは?? 私には何もなし!?
「あと、わけのわからないノートが一緒にあったな」
「わけのわからないノート?」
「まぁ…… 私にも覚えがあるが、この年頃の男の子はこういう暗号めいたことをしたくなるんだろう。捜索の手掛かりになればと見てみたが、一定の法則はあるようなのだが、全然わからなかった。」
あぁ。この世界にもあるんですね。前世でいう所の中二病。
まぁ、こちらの世界では名前なんてついてないんでしょうけど。
「……あら」
手渡されたノートを見て思わず声が出る。
ノートの表紙には『姉さんへ』と日本語で書かれている。
表紙を開いてみると……
『ヒロインはビッチだった!! 俺無理!! 絶対無理!! なので逃げます。ごめんね、姉さん』
と大きく勢いに任せたような、少し乱れた字が書かれていた。
「ん? もしやリズには読めるのかい?」
「―――いえ。私にもさっぱり。でも、お父様が言うように一定の法則があるようなので、解読できるか頑張ってみますわ。こちらのノートは私がお預かりしても?」
「あぁ、かまないよ」
私はお父様に礼を取ると足早に執務室を後にした。
ディビット、再会したら覚えていなさい!!