第47話 間諜は天を仰ぐ
ザックは大きな麻袋と引き換えに、使うことなどできないだろう金貨の詰まった革袋を男たちにそれぞれ渡すと、彼らがドアから出ていくのを憐れみながら見送った。
このドアが閉じられれば、公爵令嬢アマリリスの誘拐に、偶然気が付いたナターシャ側妃の実弟であるプラフト子爵の手によって、捕縛しようとしたところを反抗されたために公爵令嬢の身の安全を第一に考えたという理由により、仕方なく切り捨てたという筋書きを元に彼らは処分されるのだから。
(借金に苦しんでいて、悪事に手を染めることに躊躇いがない、日和見主義の家の三男、四男あたりを良く見つけてくるもんだ)
ザックはドアの向こうへ姿を消した二人に、そう思うが、すぐに考えを変えた。
(違うな。都合よく用意したのか。形式上とはいえ、軍務のトップに位置した王弟のシャルハム殿下であれば、見つくろうことも簡単だろう。あとは何らかの形で借金を作り出してやれば良いのだから)
現陛下が在位して十年以上経つが、未だ王弟シャルハム殿下には一定の支持者と狂信的なわずかな支持者がいる。
陛下の同腹の弟であり、幼少時より現陛下より優秀であることを見せていたシャルハム殿下に希望を見出し、自分の現在の地位に満足していないことから支持についている者。
また、その優秀さから、狂信的とも言える支持者が居なくならない実情もあった。
ザックの目から見て、陛下と王弟殿下。どちらが優秀かと問われれば、王弟のシャルハム殿下のが優秀である。
かといって、それは陛下が優秀ではないと言う事ではない。
陛下も、国王たるに十分過ぎるぐらいに優秀である。
だからこそ、国内外安定した政策を取れているのだから。
陛下を優秀と評するならば、王弟のシャルハム殿下は天才といったところだ。
特に軍務に関する才能は群を抜いている。
軍閥と呼ばれる貴族からは、王位継承の際にシャルハム殿下を押す声も上がったが、先王はそれを収め、シャルハム殿下を軍務のトップに据え、現陛下を王太子とした。
シャルハム殿下が、王位につけなかった事には理由がある。
彼にとって、人であり、大切な者は両親である先王と太后。そして、今は国王となっている兄の三人だけだったからである。
他の人間は、彼にとって駒であり、道具であり、石ころであった。
そのことを見抜いていた先王は、結果を出すことはできても、その手法に問題も出すであろうシャルハム殿下を、あえて王位へとはつけなかったのである。
また、その事をシャルハム殿下が不満に思うこともなく、逆に、兄であり王太子となった現陛下の邪魔をするものが居れば、徹底的に排除をしたのだから、彼を大々的に推す声は小さくなるしかなかったのだが……
(ジートル殿下が王位を望まれたからな……)
シャルハム殿下にとって、王太子であるミュリアル殿下は大切な兄の息子とはいえ、さほど興味は無く、かろうじて人だと認識している程度。
自分の子であるジートル殿下は、不義の子であるゆえに表だって、そういった態度を表すことがないがシャルハム殿下にとって、今、一番に優先する人間になってしまっている。
民を人質に、王太子の地位をジートル殿下へと譲ることを迫るぐらいのことは簡単にするだろう。
ザックは大きな麻袋の口を開いて、中を確認すると、思わず天を仰いだ。
この麻袋は、ザックが魔術を仕込み一度中身を入れて口を閉じたら。ザック以外は開けることが出来ない造りにしていた。
他にも、眠りの魔術であったり、認識阻害の魔術を仕込んであるからと、必ず誘拐したらすぐに袋に入れろと誘拐犯役に渡したものだ。
万が一にも、アマリリスの姿を目にし続けることで、味見などと言って余計な欲を誘拐犯に選ばれた二人が出したりしないようにと、念の為として用意した麻袋だったのだが……
麻袋の中で広がる髪は金茶であり、アマリリスの金髪ではない。
ソファーの上へと抱き上げ横にさせて、念のためベールもめくってみるが……
「やっぱりリリアンだよ」
ザックは心労から痛むように感じる心臓を宥め、軽くリリアンの頬を叩いて目覚めを促した。
確かに、愛らしい容姿をしている。黙っていれば、と注釈がつくが。とザックは思いながらリリアンを起こす。
(ジートル殿下も、なぜ、そこまでリリアンに拘るんだか……)
確かに、愛らしい容姿をしているが、ザックにとってリリアンが恋愛対象になることはあり得ないからなのか。それとも、そういった感情が発達していないからなのか、国を乱してまで欲しがるジートル殿下の気持ちには、そこまでのものなのか? と首を傾げたくなる。
何度目かの呼びかけの後、ようやく意識を取り戻したリリアンに身体を気遣う内容のことを、まずはザックが話しかけると、ベールを上げたままの状態なので、不思議そうなリリアンの表情がザックに良く見えた。
「今、自分の置かれている状況が分かっているか?」
大声を出されるよりはマシだが、あまりにも、誘拐された人間とは思えない反応に、ザックが問いかけると、リリアンは軽く頷く。
「前にも誘拐してくれた覆面のお兄さんだよね? 声が一緒だから分かった。覆面で隠しちゃうのがもったいないくらいにイケメンだね。でも、今回誘拐されたときに聞いた声は違うような気がするんだけどな?」
かなり以前の事なのに、声で同一人物だと判断した、その能力は褒めたいところであるが、暢気ともとれるリリアンの言葉に、ザックは頭が痛んだ。
「わかった。自分の置かれている状況がわかっていないんだな。
いいか? 一度しか説明しないから良く聞け。
今、お前はアマリリス様と間違えられて、第一王子派。つまりは側妃派に誘拐されている。
アマリリス様であれば身の安全は保障されたが、リリアン お前では身の安全の保障どころか、このまま殺されるぞ。
なぜなら、まだ側妃派に組するか迷っている年頃の娘と野心を持つ貴族への餌にするのに、ディビッド様の婚約者の座ほど良い餌は無いからだ。それにはお前が邪魔だ。
だいたい、お前は、カプレーゼ公爵領で匿われる手筈だっただろう。
なんでアマリリス様と一緒に戻ってきたんだ。側妃派の動きについても、アマリリス様ならばお前にも話していただろうに!」
ザックの憤り交じりの説明に、リリアンは少し考えた後、ふざけているかのように、ポンと手を合わせた。
「確かに、そんなこと言っていたし、そういえば私、ディビットの婚約者だったね」
ついさっきまで忘れてましたと言った様子のリリアンに、もう一度、ザックは天を仰いだ。




