第46話 悪役令嬢は頭を抱える
ドンドンドンと壁か何かを叩くような音に、私はエルザと顔を見合わせた。
「様子を見てまいります」
頭を下げ、一人、脱衣所から出ていくエルザを見送ると、程なくして、青ざめたエルザがワンピースを手に戻ってきた。
ワンピースを持ってきたと言う事は、先ほどのドンドンという音は、部屋のドアを叩く音だったのだろうと納得する。
「どうしたの? 来客はどなた?」
エルザに促されるまま、すでに身に着けていた寝間着から、ワンピースへと着替える。
ベールを持ってこなかったことから、警戒が必要な人間ではないのだろうが、あれほどまでにドアを叩く不作法者には心当たりがなかった。
「…… お部屋の状況を見ていただくのが一番かと」
エルザの言葉に首を傾げ、部屋へと戻ると、部屋の中にはユリウスと、護衛も兼ね着いてきてくれている御者のベイヤと侍従のノフトの姿もあった。
侍従のノフトは窓の外を身を乗り出して外を見ており、その足元近くには水にぬれ色が変わった絨毯の上に、割れた花瓶と花が散乱していた。
私が部屋に入ってきたことを確認すると、御者のベイヤと侍従のノフトは安心したような表情を浮かべ、礼を取った。
「何か割れる音が聞こえた時は、心臓が凍る思いだった……」
他者の目が有るからだろう、ユリウスは私の腰と背に伸ばそうとした手を持ち上げ、私の両肩に置くと、安堵の息を吐き出した。
………………… 頭が痛い。
よく観察すれば、入浴前に、ベールを置いた場所に、ベールが無い。
そして、居るはずの人間がいない。
よほどのことがない限り、この答えであっているはずだ。
「私と間違われて、リリアンが誘拐されたようね」
私の言葉に、ユリウスが首を捻る。
「間違えようがないだろう? 顔はもちろんだが、髪色さえも違うんだぞ? 最初からリリアンを狙ったのでは?」
「実行犯が、私の容姿を知らなければ、彼女を攫って行くわよ。私の泊まる宿の部屋で、私のベールをつけていれば。服装だって、婚約の際に公爵家で一通り用意したものの一つを身に着けていたのだから、誘拐する側としては、アマリリスとして違和感はないでしょう?」
それでも、ユリウスは疑問が残るようで……
「貴族の令嬢が、断りもなく他人の物を身に着けるか? しかもベールを」
「彼女ならやるわ」
私の即答に、ユリウスは呆れた表情になり、そんな令嬢が居たとは…… と呟いた。
おそらく、興味本位で、ベールを身に着けてアマリリスごっこでもしていたんじゃないかと思ったが、さすがに、ごっこ遊びはしていないかと、思い直す。
「こちらの油断が招いたミス。マクルメール子爵に申し訳ないわ」
側妃派が、私の誘拐を企んでいることを知っていたので、王都に向かう途中のどこかで狙われるとは思っていたのだ。
エルザにも、その事は話済みで、馬車が襲撃される可能性も高いことから、乗っている間、彼女が、ずっと気を張り詰めていたのが見て取れた。
それでも、狙われるなら、もっと王都よりなのだろうと私は考えていたのだ。
行きとは異なり、余裕をもって、途中に2回宿を取ることで、早朝や夕方の移動を避け、王都には昼過ぎに着くように調整していた。
途中2回宿をとる事に関しては、まだ体調が本調子ではないという触れ込みで違和感のないようにしたのだ。
だから、宿を狙ってくるなら、王都により近い、次に泊まる予定の宿だろうと考えていたのだが……
そして、一番の問題は誘拐されたヒロインだ。
アマリリスだと勘違いされている間は問題ない。
問題は、アマリリスではないとばれた時だ。
ディビットの婚約者ということから、公爵家への揺さぶりの一つと考えて、生かして捕らえたままにしてくれるのなら助かるが……
状況的に、その可能性は低いだろう。
「エルザ、貴女の侍女服。予備も持ってきているわね? それを私に貸しなさい」
私の言葉に、エルザたちはギョッとした顔をする。
「ベイヤ、馬車の用意を。夜道を走らせることはできるわね? ノフト、エルザと共に出立の準備に取り掛かりなさい。今すぐ、この宿をでます。いい? 誘拐されたのはアマリリス様よ。ならば、残された者たちは一刻も早く、王都へと戻りカプレーゼ公爵様に伝えるべきだわ。
まずは、この先の街で宿を取っている、カプレーゼ公爵夫人様と連絡を取るべく向かいましょう」
リリアンの身に危険が迫る可能性を遅らせるためには、誘拐されたのがアマリリスでは無いことを認めるような動きはできない。
アマリリスだと誤解されている間は、命の保証はされるのだから。




