第44話 それぞれの事情 ⑥
去りゆく馬車を見て、俺は安堵の息を吐き出した。
ヒロインであるリリアンが、ずれてはいるが悪い人間ではない事には安心したが、だからと言って身内以外の女性が側に居るのは居心地が悪いのだ。
入れ替わり後の違和感を軽減するために自分が領主館に残るのは納得できたが、婚約者であるリリアンも立場的に残らなくてはいけないと言われたときには、即座に反論した。
そのことについては、リリアンも俺と同意見だったらしく、姉さんたちと一緒に王都へ戻ると言い張ったので助かったが。
その理由が、ユリウスと…… 殿下をつけるべきか?
ユリウス殿下と姉さんを観察したいという欲望であっても、リリアンが領主館に残らないのなら俺としては構わない。
姉の身代わりをしているという立場上、姉さんたちが領主館に来るまでの間は、エルザとは交流をしなくてはならないことから、彼女にはだいぶ慣れたのだが、領主館では人手も少ないこともあって、これ幸いと王都の屋敷以上に侍女を身の回りから遠ざけていた。
立場的にも最低限してもらわなければならない世話は、老齢の侍女を指定して行ってもらった。
他の侍女たちは、母さんからの許可もあるのだろうが、手を付けられることを期待している部分も垣間見える為、側には置きたくない。
正直、そういう目で四六時中見られるのは、気分のいいものではないのだ。
その点、エルザは姉の身代わりを務めていることに精いっぱいで、そういった様子も見られなかったので、他の女性に比べれば、エルザとの時間は穏やかに過ごせたと思う。
母さんや、侍女長のアン?
確かに、二人は絶対にそういった目では見てこないが……
顔を合わせれば、再教育とばかりに公爵家嫡男としての心得を説くのだが、その内容は気が遠くなるようなものであり、穏やかにどころか、領主館に滞在している間に薬でも盛られて準備でもされるんじゃないかと戦々恐々していた。
馬車が見えなくなると、俺は母さんを振り返った。
「一緒に行けばいいと思うのですが?」
そこには旅装をした母さんとアンの姿。
簡単に俺を拘束したことからも、アンが護衛を兼ねて姉さんと一緒に行ったほうが安全なのだから、母さんも姉さんと同じ馬車で行けばいいのだ。
現に、こちらに来るときは、姉さんが無事に領主館に辿り着けるように、アンを迎えに行かせたのだから。
「あら、だって、ユリウス君とリズのいちゃいちゃを邪魔したら悪いじゃない。護衛ならユリウス君が居るし、念のために付けた御者と侍従も剣術の腕が立つのを選んだもの」
隣国の王太子を護衛扱いして、楽しそうに笑う母さんに、俺は顔が引きつる。
邪魔しちゃ悪いとは言うが、馬車の中には、身代わりから侍女に復帰できたことを喜んだエルザと観察者と化したリリアンが居るのだから、邪魔も何もないと思うのだ。
「親の目が有ると無いとでは大違いよ」
俺の心を読んだかのように、母さんはクスリと笑うと、アンに促され馬車に乗り込んだ。
「女性って、強かで、打算的で、狡猾かもしれないけれど、可愛いものよ?
一度、リズやユリウス君のように、ディビットも誰かと恋をしてみたら?
まぁ、婚約者として旦那様とリズが用意した、リリアンちゃんがいるから、相手は彼女であることが望ましいのでしょうけど。
貴方が夢中になれる女性がいるのなら、ある程度は応援するわよ」
母さんの言葉に頬が引きつる。ある程度というのが逆に怖い……。
ようは身分や振る舞いを母さんが気に入らなければ、側室なり愛妾として迎える協力はするが正妻としては認めないということなのだろうから。
「私たちが出立したら、貴方も出るのでしょうけれど、十分に気をつけなさいね。
まぁ、残念なことに、リズとの見た目の違いは見当たらないから問題は無いわね。
その事に関しては、これからに期待しておきましょう?
声はさすがにディビットのが低いけれど、急に声変わりしたと誤魔化せるでしょうから、これも問題は無いでしょうけど」
さらりとえぐる様な言葉に、思わず胸を抑えた。
これからが、きっと成長期なんだ。っていうか、姉さんの身長が高いだけ。うん。
「けれども、この期間の間に、リズがディビットとして築いた交友関係は、まだ頭に入っていないのでしょう?」
続けられた母さんの言葉に、我に返ると姉さんから渡されたノートを思い出す。
中には、入れ替わりをしている間に、姉さんの療養に付き添う為、母さんが王都に不在となったことから、母さんの名代として積極的に出たお茶会で築いた交友関係として、女性の名が家格や家族構成、話した内容などがびっちりと書き込まれている ………… 悪魔のノートだ。
「ディビット。貴方が何を考えて動いているのかは知らないし、聞かないわ。
でも、エルザには自分のせいでリズの身代わりをさせたことを謝罪したのに、リズには謝罪の一つもしなかったのだから、全てが自分の為だけではなく、少しはリズのことを考えて取った行動なのだとは思っていますけどね。それに、力が足りないのなら、旦那様…… お父様を頼りなさい」
母さんとアンを乗せた馬車は出発していった。
母さんは好意的に言ってくれているが、思いっきり自分の都合で家出をしたので、このことが母さんにばれたらどんな目に合わされるのかと、母さんを見送った笑顔のまま、背中に冷や汗をかいて固まった。
プリムラからゲームの裏設定として聞かされていたから気が付けたのだと思うが、側で見ていることで、姉さんのユリウス殿下への気持ちに気が付けた。
姉さんがユリウス殿下を好きでいるのなら、少しは助けになりたいと思ったのも事実。
まぁ、家出した理由の大半はリリアンが嫌だったからなのだが、自分が出奔すれば姉さんが跡継ぎとなって、第二王子さえなんとかすれば、ユリウス殿下も姉さんが好きなら王位など捨てて婿養子に入るだろうと軽く考えていた。
しかし、蓋を開けてみれば、男装して、俺の振りを始めた姉さんの姿に焦った。
自分の都合を姉さんの為というオブラートで包んで正当化したつもりで家出した俺としては狼狽えたが、とりあえず、姉さんが俺の振りをしなくてはいけない理由を探り当てて、愕然とした。
王太子派と第二王子派の派閥争いはしっていたが、まさか、そのことから姉さんが王太子妃に内定したような状態であったとは気が付かなかったのだ。
プリムラから聞いていた、第二王子とアマリリスの話の先入観が強かったからだろう。
第二王子がヒロインと結ばれなければ、アマリリスは第二王子と結婚して、王子妃となり最終的には死を選ぶと。
だから姉さんが王太子妃になることなど考えてもいなかったのだ。
そこで、公爵家に戻ることも考えたのだが、ヒロインのリリアンと婚約したという話も聞こえてきたため、拒否感から戻ることを躊躇った。
プリムラから聞かされていた第二王子が王妃の毒殺を防いだということから、側妃派の方に転生者が居ることを怪しんでいた俺は、手ぶらで戻るのも極まりが悪いと、自分に言い訳をすると、側妃派のことを調べてみようと、そのまま姿を隠すことにしたのだ。
もっとも、領地で再会したリリアンが第二王子のジートル殿下が転生者かループ記憶もちだと気づく前に、姉さんも 側妃派の方に転生者が居ることを怪しんでいたみたいだが。
そして、同時に姉さんが王太子妃を回避するためにも、1で悪役令嬢だった、ユリウス殿下の姉姫のゼラ姫が、葬儀が行われた様子が無いことから、ゼラ姫の事を調べてみようと思ったのだ。
ゼラ姫が実際は生きているのならば、彼女が王太子妃になればいいという安易な考えのもとに。
で、調べてみたら、側妃派に関しては、リリアンの母親という意外なところが繋がっていたことに呆気にとられた。
もっとも、関係はあったが側妃派というわけでは無い上に、過去の事なので証人としての価値しかない。
平民の区域で暮らしているため、隠されてはいたが、それでも知っている人間は居た。
彼女が、以前は王城で乳母を短い間ではあるが勤めていたことを。
それから、マクルメール子爵家へと侍女奉公に出たことを。
その際、既にお腹に子爵の子供がいたことを。
第二王子の成人の義の前後二日、身なりを整えた彼女を馬車が迎えに来たことを。
ブルス国や近隣の国でも見られることだが、王族の男子や高位貴族の嫡子には、王位や家を継いだものに子が出来ずに争いを招くことを防ぐ意味合いから、成人を迎えた際に、女性を宛がう風習がある。
そして、王太子派の間で囁かれる、第二王子には子を生す能力が認められていないという噂。
それらをまとめ上げれば、見えてくるものがある。
確かに、リリアンの母親の証言を盾に、公表すれば王位継承者としての資格欠落だと、側妃派を抑え込むことも可能かもしれないが、根拠などないと言い切られれば、それまでだし。第一、リリアンの母親は、一般的にその場のことは口にしないのが暗黙の了解であり、故に公言すべき事柄ではないとして、証言はしてくれないだろう。
王命でも下れば、仕方ないと事実を語ることはするだろうが、現在王太子であるのは第一王子であることから、第二王子のことで、そういった王命が下ることは無い。
ヒロインであるリリアンは気が付いて…… ないだろうなぁ。
ヒロインという役目を放棄して、ユリウス殿下とアマリリスの観察にいそしんでいるリリアンを思い出し、ため息が出る。
まぁ…… 娘に話して聞かせるようなことではない。
子供としても母親のそんな話など聞きたくないだろうし。
よくよく考えれば、彼女の母親がゲームで死んだのは側妃派による口封じの意味もあったのだろう。
母親の立場としても、娘にそんな事実は知られたくないだろうし、助かった今となっては、掘り返すことでもない。
マクルメール子爵も、そのあたりの事情を理解しているからこそ、母親が亡くなったため庶子として育ったリリアンを引き取ったと喧伝しているのだろうし、だからこそ、リリアンの母親も正妻が既に亡くなっているにもかかわらず、リリアンと共に子爵家に入らなかったのだろう。
念のため、王都へと向かう姉さんには伝えたけれど、リリアンの能力をもってして、ゲームでは母親が亡くなってしまっていたことに疑問を抱いていたらしく、毒を使われたため、ゲームでは助けられなかったのだろうと頷いていた。
姉さんがリリアンに確認したところ、片っ端から病名を言って治れと祈ったらしいのだが、なかなか治らないことから、学校の社会の授業で学習した病名やら、ワイドショーで取り上げられた毒物事件の記憶まで掘り起こして治癒魔法を使ったというのだから、確定だろう。
それぐらいしか側妃派のことは調べられなかった。
ウィデント国を実際に訪れることで、ゼラ姫の生存の可能性を掴み、プリムラがゼラ姫の事や側妃派のことで知ることは無いかと領地を訪ねたところ、姉さんたちと顔を合わせる流れになった。
そして、その中で、ゼラ姫の生存もユリウス殿下から聞けたが、行方不明だとは思わなかった。
ブルス国に居ることは掴ませてもらっていると言っていた。
ゼラ姫がブルス国に頼れる人間は王太子のミュリアル殿下ぐらいだ。
彼が部下に命じて地方にゼラ姫の居場所を作らない限り、ゼラ姫が地方に行方をくらますとも思えない。
地方に居れば情報は掴みにくいが、だからこそ目立つ人物なら話の種として、噂の一つは聞こえてくる。
それでも、それらしい貴人の噂は聞かなかった。
ならば、ゼラ姫が居るのは王都だろう。
しかし、王都なら俺が隅々と見て回っている。
たとえ、貴族の屋敷に匿われていようが、捕らえられていようが、外に情報が漏れないということは無い。
もっとも、第二王子がリリアンの誘拐を企んだように、何かをしようと思えば情報は洩れる。
漏れる先は平民の噂話としてまでで、それらは貴族へと伝わることは無い。
娯楽として仲間内で話すことはしても、相手が貴族となれば、たとえ聞かれても、ほとんどの人間が保身のために口を閉ざすからだ。
それでも王都の中に居るのなら、残された場所はわずかだ。
城下に居ることはないだろう。
いれば、側妃派のことを調べた時に、気が付けたはずだ。
それだけの場所と、人脈を使った。
ならば…… 王城。
…… まさか、王太子殿下がゼラ姫を監禁していることは無いと思うが、王太子殿下の元に居るのなら王太子妃としてゼラ姫を引っ張り出してこないことも謎だ。




