第43話 それぞれの事情 ⑤
応接室での話し合いを終え、用意されている自分の部屋に向かえば、久しぶりに会った専属侍女のエルザに泣いて喜ばれた。
私の専属侍女という立場から、身代わりをエルザにお願いしたのだが、領地へと向かう馬車の中から始まり領主館での生活と、お母様に娘扱いされることや、侍女長のアンを始めとして他の侍女侍従たちに傅かれ世話をされることが、精神的にかなり辛かったらしい。
しかも、身代わりを務めていることがばれないように、起きてから寝るまでの世話のほとんどを、毒のために口元や喉が爛れ声が出ないという理由を設けることで、当然のように侍女長のアンが行ったことから、毎日胃の痛みに悩まされたとのことだ。
後で、エルザの喜ぶようなお礼を考えよう。と心に誓った。
ノックされた音に、エルザが確認に行くと、訪れたのはユリウスだった。
「内密な話をしたいから、席を外してもらえるかな」
問いかけの様で、命令である言葉に、エルザは私の顔を伺ってくる。
正式な発表はまだだが、王都に戻れば王太子妃として発表されるのはもちろんのことだが、王太子以外の、ましてや婚約もしていない男女を二人きりにするわけにはいかないという所なのだろう。
私が頷くのを確認すると、ユリウスが入ってきた正面の扉は、万が一の場合にとでもいうように、そのまま少し開けたままにして、エルザは控えの部屋へと下がった。
少しでも大きな声を出せば届く造りになっているので、控えの部屋へ続くドアを、エルザはしっかりと閉じる。
少し開かれたままのドアを、ユリウスは不満げに見るが、かといって閉めに行くことはしなかった。
閉めれば、ドアの開閉が控えの間に知らさせ、即座にエルザが控えの間から出てくることを知っているからだ。
「君に確認したいことがあったんだ」
そう告げてきた、ユリウスの瞳に苛立ちのような感情が見えたことに、私は小首を傾げた。
今更、確認されるようなことがあっただろうか? という疑問が最初に来るからだ。
領地に向かう馬車の中、ぎこちない部分もあったのだが、王都に戻れば王太子妃として公表されることから、罪悪感や、そのことを知りながらもユリウスが追いかけてきてくれたことへの期待のようなものに蓋をして閉じた。
今までどおりに、振舞っていたつもりなのだが……
胸に感じるチクリとした痛みには気が付かないふりをして、私は彼の言葉の続きを待った。
「君は転生者で、今、アマリリスとして生きている他に、別の人生を歩んだ記憶をもっているんだろう? ゼラのように、ゼラとして生きた記憶を持っているというなら、俺もここまで嫉妬することは無いんだけれどね」
なぜか詰め寄ってくるユリウスに合わせるように、思わず私も後ずさってしまうが、腰にトンと机が当たったことで、それ以上は後ずされない事に、思わず視線を上げてユリウスの顔を見上げ、すぐに顔を下げた。
…… 怖いんだけど。
獰猛と言い表せればいいのだろうか? それとも、冷酷と評せばいいのだろうか?
それらが混ざり合ったような、今まで見ることのなかったユリウスの表情に、心臓が軋むような音をたてた気がした。
「君は、前の人生で、何歳まで生きたんだい?」
顎に手を添えられ、顔を上げさせられると、真実を見抜こうとでもするように、ユリウスは私の瞳を見つめる。
正直に言いたくないのは乙女心だろう。
今世と前世をたせば、彼の4倍近い時間を生きた記憶があるだなんて。
「―― あぁ。聞き方が悪かったか。君がね、若くして亡くなっていないということは、ディビットの話や、君自身が、医者として仕事をしていたことを聞いて理解している。
君がね、何歳まで生きて、今ここに居るのかは俺にとって重要ではないんだ。
できれば、長生きして幸せな最期であれば良かったと思うけれどね…… その半面、不幸せであればいいと考えているんだよ」
ユリウスが、私のことをアマリリスと呼ばずに、君と、部屋に入ってきてから、ずっと呼んでいることに、今更ながら気が付いた。
歪みそうになる口元を、必死に抑え微笑むように表情を作る。
ユリウスが今、話しているのはアマリリスではなく、前世の私と話をしているということなのだろう。
もし、前世があることで嫌われたのだとしても、アマリリスとしては、好都合ではないかと。
これで、気持ちを捨てやすくなるだろう。諦めもつきやすいだろうと考えるが……
考えとは裏腹に、ポロリとこぼれ出た涙に瞳を閉じた。
「ごめん。そういう意味じゃない。誤解しないでくれ」
一転、狼狽えながらも優しさが滲んだ声と、頬に手を添えられ指先で涙を拭われた感覚に、閉じた目を私は開く。
そこには、頬を少し赤らめて、悔しそうな顔をしたユリウスの顔が鼻の先にあった。
あまりの近さに、身をよじり離れようとするが、いつの間にか腰を抱え込まれ、頬に手を添えられ固定されていてば逃げようもない。
「以前の人生が幸せであったのなら…… それは、そう思わせてくれる相手が居たからだろう? 長く生きれば恋もしただろうし、愛する男性も居ただろう? それが嫌なんだ。
以前の人生も、アマリリス、お前の一部なら、それさえも俺のものであって欲しいと考えてしまう」
前世は幸せだったかと聞かれれば、何をもって幸せと考えるかで、即座に頷くことはできない。
しかし、充実した人生だったとは、断言できる。
「結婚はしたのか?」
ストレートなユリウスの質問に、思わず目をそらした。
結婚だけではなく離婚もしてるとは言いづらい……
しかも、その離婚も、後輩に略奪されての離婚だから、前世での仲の良い女友達やヒロイン相手でなら今となっては笑い話として語れるが、ユリウス相手では、いくら前世のこととはいえ言いづらい。
「ふーん。してたんだね」
そんな私の様子をみて、結論を得たらしいユリウスに、なぜか前世の事なのに、今世でも別に恋人関係でもなければ婚約者でもないのに浮気を責められている気分になるのはなぜだろう……
「で…… でも、最終的には離婚したから」
思わず、言い訳のように口にした、その言葉に、ユリウスはニヤリと笑う。
「もちろん君からだよね?」
はい。以外の答えはいらないといったユリウスの口調に、さっきまで抱いていた空虚感に似た感情はどこかへ行ってしまった。
「へぇ~。君からじゃなく、相手から」
思わず更に視線を遠くへと向けてしまった私の様子に、ユリウスの声が低くなる。
「そいつが、君に不満を抱いたことが腹立たしい。ねぇ、君の前世とやらの人生にまで嫉妬する俺は嫌か? アマリリス」
頬に添えていた手の親指で、そっと下唇をなぞると、自分を見ろとばかりに、親指を顎下に回すと、親指の背の部分で押し上げるように顔を上げさせられる。
「…… 嫌とか良いとかではなく」
どう答えるべきかがわからない。
ユリウスとは気持ちを告げあったわけでもなく、婚約している訳でもない。
ただ、漠然とお互いに想いあっていることを、互いに知っているだけという関係なのだ。
どうあってもユリウスの気持ちに応えてはいけないアマリリスとしての立場から、逃げ道を探していると、扉の方から怒鳴るような声が聞こえた。
「ユリウス。外で何か……」
私の言葉にユリウスは頷く。
「あの声はディビットだね。リリアン嬢がさっきから覗き見していたから、言い合っているのはディビットとリリアン嬢だろうね」
―――― え?
「覗き見?」
思わず繰り返した私の言葉に、ユリウスは頷く。
「ふふっ。アマリリスの真っ赤な顔。可愛いね。今なら、口論していて、リリアン嬢も見ていないし、良いかな」
そういうと、ユリウスは躊躇うこともなく唇を重ねてきた。
そして、そのまま頬を、首筋を這うように唇を移動させると、ドレスの肩布を下して胸元をきつく吸い上げた。
「ミュリアル王太子殿下への牽制だよ。でもね、彼がこの跡を見る前に、アマリリス、君を手に入れてみせると約束するよ」
自分で見ることはできないが、胸元に残ったであろう紅い跡に、ユリウスは指を這わせると、ニコリと笑い、未だ騒がしい扉の外へと向かっていった。
大きく開かれた扉に、控えの間からエルザが出てくると、私の様子を見て顔を引きつらせる。
思わず恥ずかしさから、自分で肩布を上げると、エルザを誤魔化すべくドアの外に向かった。




