第36話 ディビット……
「急病人なんだ」
フードの奥に見えた顔、声。
何も考えずに、馬上から伸ばされる、弟のディビットの手を取った。
カプレーゼ公爵家の紋章が入った馬具をつけているが、ディビットが家出する時に持ち出した馬に公爵家の紋章が入った馬具はつけていなかったことから、風と馬が駆ける音にかき消されないように声を張り上げる。
「もしかして、エルザ? それともお母様?」
公爵家の紋章を馬具に着けていることから、領主館に身を寄せている可能性を考えて確認する。
第二王子派がアマリリス、私を狙っていることは知っていた。
しかし、手を出してくるのは王都だろうと考えていただけに、領都に居る間は手を出すことは無いだろうと思っていたが、まさか、とエルザやお母様の身を案じる。
「違う。領民なんだけど…… どうしたらいいかわからなくて…… 姉さん、前世医者だったんだろ? 前に話してくれた。だから、母さんから姉さんが領地に向かっているって聞いて助けて欲しくて迎えに来た」
ディビットの言葉に微妙な違和感を感じる。
なぜ、前世が医者だったからと言うのだろうか? 治癒魔法という言い方で良いだろうに。
馬上で馬を駆けながらの会話。周りに人もいないから誰かに聞かれる心配はないけれど。
それに、お父様のところに上がってきていた情報は、ディビットが領都に向かったという情報までで、見つかったという情報は届いていなかった。
途中途中の村や町には、早馬を走らせるときに馬を乗り潰したりしないように、途中で乗り換えるための代わりの馬を公爵家から予算を出して世話をしてもらっている。
途中で、早馬とすれ違うこともなければ、王都の屋敷を出るときに情報が届いていたということもない。それとも、侍女長のアンが夜通し馬を走らせて戻ってきたから、それでお父様に連絡がいっているのだろうか? それにしても、私に一言あってもよさそうなのだが。
それらのことに首を傾げていると、ディビットも気が付いたのだろう、私に情報を補足してくれた。
「1週間前に、領都を歩いてたら…… アンに捕まった」
どこか悔しさを滲ませたディビットの声に、自然とため息がこぼれ出た。
言葉通り、力ずくで捕まったのだろうと。
夜通し馬を走らせることを侍女の嗜みと言うぐらいだから、それぐらいも侍女の嗜みだと言って簡単にしてしまいそうだ。それができるならば、私が学園に通った後、お茶会やダンスなどの勉強から逃げ出すディビットも捕まえてあげれば、ディビット付きの侍従や侍女も助かっただろうにと思う。
「お父様に連絡は来ていないようなのだけど?」
それとも、私に知らされていないだけなのか。
「母さんが…… 許したけれど、報復をしないとは言ってないものって笑っていた」
どんよりとしたディビットの物言いに、王家主催の夜会で私が毒に倒れたふりをすることを事前に伝えなかったことを、お母様はお父様を許しはしたけれど、未だに根に持っているんだと知る。
ディビットが領主館を出入りしていたとしても、残念ながら、それが使用人たちからお父様に情報が上がってくることは無い。
ディビットが家出したこと、捜索中であることを知るのは、お父様の配下では数人であり、まさかすでに領主館にディビットが出入りしているとは考えないだろうし、情報の漏えいを抑えるためにディビットのことを彼らが話すのはアンかお母様だろう。
そうなれば、ディビットが領主館に出入りしている所や居るところを見ない限り、知ることは叶わないだろう。他のことならともかく、今回のことで内情を知る数少ない身内が裏切るとも思わないだろうし。
アンを雇っているのはお父様だけれど、侍女長を頂点として侍女たちを取り仕切っているのはお母様だ。必然的に、侍女たちや侍女長であるアンへの影響力はお母様のが強くなる。
それに、状況の変化で、私たちが領都に来たけれど、それさえなければ王都に一度戻るという手紙が来ていたことから、もしかするとエルザの代わりに、お母様は家出したお仕置きもかねて、ディビットを女装させて連れてくるつもりだった可能性も高い。
ディビットの事については納得がいったので、今度は急病人の方へ意識をむける。
着くまでに、どんな症状なのか聞いておきたいと、ディビットに問いかける。
「急病人の症状はどうなの?」
「痛がって苦しんでる。一生懸命さすったりしたんだけど、全然ダメで。どうしたらいいかわからないし、産婆さん呼びに行ったけど、戻ってこないし。なら、姉さん迎えに行った方が早いと思って、誰も一緒にいてあげれないのは心細いだろうし、心配だから、今は母さんに付き添ってもらっている」
――――ん? なんか今の説明変じゃなかった?
動揺を抑えて、全ては着いてからと私は自分に言い聞かせた。
さすがに馬で駆けると早く、領都の近くまで来ていたこともあって1時間かからずに領都へと入った。
領主館の側、使用人たちの居住区にある一件に辿り着くと、馬を飛び降り、ディビットの案内の元、家のドアを開ける。
清潔に整えられた室内、食卓に飾られた野の花。ドアを開けてすぐにあった台所を通り過ぎ、迷わず奥へと続くドアをディビットは開けた。
そこには、大きなおなかの女性がベッドに横になり、額に汗を浮かべて苦しげに呻いている。
傍らには、お母様の女性を励ます姿。
治癒魔法ではなく、前世が医者だったことに私へ助けを求めに来たこともわかった。
この世界では治癒魔法使いが出産にかかわることは、基本的に無い。
ちゃんと経験を積んだ産婆さんが居て、出産の際は彼女たちを頼る。産婆さんには国と領主から補助が出ているので、出産する側は費用を気にせずかかることができる。
家出してからでは計算が合わないだとか、色々問い詰めたいことはあったが、優先すべきは、妊婦の女性だろう。
とりあえず、無防備に立っていたディビットのみぞおちに一発、拳を入れさせてもらった。
「ご…… 誤解だってば!」
蹲りながらディビットは叫んだが、今までのことを考えれば誤解だったとしても優しいもんだと思う。




