第32話 蠕動
前話、抜けていた部分を追記してあります。
王妃様が亡くなることもなかったし、私が王太子妃の候補になることもなかった。
この一文を追記しました。よろしくお願いします。
「なんでだなんでだなんでだ!!」
苛立ちを隠せないジートル殿下の様子を乳兄弟で侍従のザックは冷めた目で見ていた。
「いつのまにかアマリリスの弟と婚約しているし! まだ僕と出逢っていないからだと思って学園で声をかけていれば、最近は気持ち悪そうにみられるし!!」
リリアン嬢に、そのような目で見られていることに気が付いていたのか。とザックは少しだけ驚いた。
リリアンの行動を先回りするように、様々な場所で行き会えば、最初のうちはともかく、回数が重なるにつれて気持ち悪く思われるのは分かりきったことなのに、それでも繰り返すジートル殿下をザックは不憫に思っていたからだ。
「エリオットには別の令嬢を用意して、婚約までさせることができた。それなのに!!」
ジートルの記憶にある最初の生の記憶の中で、リリアンが選んだエリオットを穏便に始末したというのに。なぜ、リリアンが自分のものにならないのかと苛立ちが募る。
ディビットを排除すればいいのか? ともジートルは思ったのだが、頭を過ったのは、最初の人生で、只の平民の少女を王太子妃に迎えることに成功した第一王子であり、王太子であり、実際には血が繋がっていないが自分の兄である青年のことだった。
「そうか…… 僕が、まだ王太子じゃないからリアは僕の元に来れないんだ。王太子になればリアが手に入ることは知っていたじゃないか。だって、兄さんは、あの少女を王太子妃にできたんだから。いずれじゃダメなんだ。すぐに王太子にならなきゃ駄目だったんだ。母上に任せていたんじゃ間に合わなくなってしまう…… どうすれば…… 」
ジートルが呟く言葉を聞き逃さないように、ザックは耳を澄ます。そのおかげか、ジートルが微かな声で最後につぶやいた「父上なら」という言葉も聞き取った。
「出かけてくる。王城内だ、供も警護もいらない」
そう言って私室から出ていくジートルをザックは礼を取って無言で見送った。
ジートルが人払いをしていたから、ジートルの私室に居たのは、本人とザックの二人だけ。
普段より、ザックが口うるさく言う『誰に、誰の目と耳が付いているかわからない』という言葉を受けての行為だったのだが……
「殿下。いつも言っているでしょう。誰に、誰の目と耳が付いているかわからないですよって」
閉じられたドアに向かい、決して自分の言葉がジートルに届かないことを知っていて、ザックはのんびりと言いなれた言葉を口にすると、自分の仕える本来の主の元へと向かうことにした。
ジートルが口にした父上が、陛下ではなく王弟のシャルハムである可能性はザックにも伝えられているので、慌てることはなかった。
いつもの決められた場所で、人気が無いことを確認してからザックは懐から出した鈴を鳴らす。
とても小さな音で、リーン と一回なっただけなのが、程なくして、壁と思われていた場所が、カコンと開き、侍女服を身にまとった女が出てくると、ザックへと礼を取る。
「本日は殿下がお待ちになっております」
短く告げると、壁に開いた入口の中へと消えていく侍女の後を、ザックも追った。
生まれた時から、ザックは王太子である第一王子のミュリアル殿下の手駒だった。
いや、その言い方は正しくないかもしれない。最初は陛下の手駒であり、その後、ミュリアル殿下の手駒になったのだから。
もし、第一王子のミュリアル殿下が第二王子が生まれた時に王太子としての資質を見せていなければ、ザックの人生は変わったのかもしれない。というより、ザックは生まれてくることはなかっただろう。
幸いなことにか、それとも残念なことにか、ミュリアル殿下が第二王子が誕生した時には王太子となることが確実だった。
だからこそ、第二王子の乳母と乳兄弟となるザックは王太子派の貴族から出されたのだ。
それも、側室であるナターシャ妃はもちろんのこと、実家のプラフト子爵家にも気づかれないように。
用意したのは、第一王子派の筆頭であり、陛下とも学園時代の友人であった、ハイフト侯爵の血筋を引く子供。側室としてナターシャが入ることが決定されたときには、すでにザックは男爵家の4女の娘の腹の中にハイフト侯爵の血筋を引いて宿っていた。
そこにあるのは、愛でもなんでもなく只の打算。
ハイフト侯爵は、ナターシャ妃が懐妊した時のために、乳母にするための子爵位か男爵位の、意のままに動いて、自分の血を引いた子供を宿してくれる娘を必要としていたし、男爵家の4女は実家への援助を望んでいた。両者の利益の一致があった為のものであり、愛情が一致したわけでは無い。
現に、ザックの母親は、第二王子が誕生した後、王城で乳母役を務めながらも、ハイフト侯爵以外の男性の子を宿して、1年も勤めずに乳母役を辞している。
もっとも、それも契約の一部なのかもしれない。なぜなら、あとを継ぐように、すぐさま子爵家の一人娘が乳母役として入ったからである。もちろん、ザックが生まれた半年後に彼女もハイフト侯爵の血を継いだ子供を産んでいるのだが、子供は女の子だった。その為、ザックはそのまま乳兄弟としての役目を引き続き負うことができ、子爵家の一人娘が生んだ女の子は、ハイフト侯爵の血筋を隠したまま、実家の子爵家の跡取り娘として扱われた。
必ず男子が生まれることなどないことから、ハイフト侯爵は何人かを準備していた。
その中で、タイミングよくその当たりくじを引いたのがザックだった。そして、ザックが生まれたことで子爵家の一人娘までで計画は止まったのだろう。
なぜ、自分だったのかと、幼い時はザックも自問を繰り返した。
母親に対して何も思う所が無いと言えば嘘になるのはザックもわかっているが、それでも、記憶にない母親を責める気にはならなかった。
ハイフト侯爵は、ザックに対して、なぜザックが生まれたのかという理由を包み隠さず話したし、母親の事情も話してくれたのだから。その上で、恨むのであれば自分を恨みなさいと言ったハイフト侯爵にザックは何も言えなかった。両親の利益の一致の元での誕生、駒として望まれて生まれてきたのだとしても、ハイフト侯爵はザックにとって十分なほどに父親であったから。
それに、ザックは今の自分の立ち位置が気に入っているのだ。
優雅にお茶を飲むミュリアル王太子殿下の元に跪くと、端的にザックは報告した。
「ジートル殿下に反乱の意志を確認しました」
ザックの報告に、ミュリアルは目を閉じる。わずかにだが弧を描くように上がった口角。
「一緒にお茶を飲みながら、詳しい話を聞かせてくれないかな。もっとも、このあと来客があるから、そんなに時間は取れないんだけれどね」
ミュリアルの言葉に、ザックは礼を取ると、遠慮なく椅子へと座った。
※ ※ ※
ユリウスが、その場所を訪れた時、珍しいことに去っていく誰かの後姿を目にした。
「ちょっと早かったか?」
自分以外に、この男と、こんな場所でお茶をするのはいないと考えていただけに、ユリウスは戸惑った。それでも遠慮することなく、椅子へと座るのだが。
「いや。ちょうど話が終わったから、帰ってもらっただけだよ。そんなことよりもね、ユリウス。悪いんだけど、国へ帰ってくれないかな」
微笑みながら、悪いとは少しも思っていない口ぶりで男はユリウスに帰国を促した。
「最善の手は打つけどね、君が、万が一にでもジートル側の手に落ちたら、さすがの僕も困るんだよね」
男の言葉にユリウスは眉を寄せる。
「どういう意味だ?」
「言葉通りだよ。 それにね、君がこの国に残る理由もなくなるから、一度帰って欲しいんだよね。アマリリスと僕の婚約式を近々行うことに決めたんだ。帰国して、そのこと伝えて欲しいんだけれど」
男の口から出た言葉に、ユリウスは目を見開く。
「あれは俺のだと!!!」
「勘違いしないでくれないかな。アマリリスはブルス国、我が国のものだよ」
冷たく放たれた言葉に、ユリウスは奥歯を噛みしめた。
「側室のナターシャ妃と実家のプラフト子爵家はね、アマリリスを旗頭の一部にするつもりみたいなんだよね。もっともメインの旗頭はジートルだけれどね」
「反乱か?」
「そうだね。教会がジートル側についてしまっているからね。それが無ければ、まだ放っておいても良かったんだけれどね、ジートルはシャルハム叔父上に頼るつもりみたいだからね。そこに、アマリリスを旗頭の一部にされて、僕の派閥や中立派から引き抜かれるとね、ちょっと大変なことになるんだよね。まぁ、シャルハム叔父上が関わった以上―― 王都は火の海になるだろうね。あの人、そういうの好きだから」
「…… 本当に婚約するのか?」
ユリウスは自分の声が震えているのがわかる。
その震えが反乱や王都が火の海になる可能性を示唆された事からくるものでもないことも。
「そうだね。無事婚約式に辿り着ければね。結婚式まで何も起こらなければ無事に結婚もするだろうね」
「無事?」
「さっきから言っているじゃないか。ナターシャ妃と実家のプラフト子爵家はね、アマリリスを旗頭の一部として欲しがっているって」
「…… それは身の安全を保障されているということだろ?」
ユリウスとしては、男―― 王太子であるミュリアルと婚約してしまうよりも、ジートル側の手に落ちたほうが身の安全が保障されるのだから、好ましく感じるのだ。
「馬鹿だな。彼女は公爵令嬢だよ。しかもカプレーゼ家のね。
婚約の話をアマリリスに伝えるときに、カプレーゼ公爵が、この状態でいうことなんて決まっているじゃないか。ジートル側の手に落ちたらカプレーゼ公爵家はアマリリスをいなかったものとするって。それ以外の言葉は無いよ」
ミュリアルの言葉にユリウスは青ざめる。
「それは……」
「そうだね。見捨てるという意味で使うのなら、まだ優しいよね。敵の手に落ちたのならば、自ら命を絶てと遠まわしに言うのも親の優しさかもしれないけれど」
――― だからね、ジートル側に協力しようだなんて、考えちゃだめだよ。 ミュリアルは身を乗り出すとユリウスの耳元で囁いた。




