第30話 ヒロインはやらかしたようです。
誘拐事件からほどなくして、学園の夏季休暇が明けた。
事件以降は、淑女教育の為、連日のように公爵家へヒロインは連れてこられていたし、事件で友人になったという口実の元に、ユリウスも連日のように私の元を訪ねてきていた。
その度に、ヒロインがにやにやとこちらを見てくる意味は分からずじまいだった。
ユリウスの本当の身分に気が付いていない者たちは、ヒロインに横恋慕したから訪ねているとも、ヒロインがユリウスを誑かしたとも噂しているとお父様に聞いたが、ユリウス本人は気にしていないようだった。
また、ユリウスの身分に気が付いている者たちの多くは、噂の場に居合わせた時には、事件を通してディビットと友人になったのだろう。めったなことは言うものではないと諭しているとお父様から聞いている。
「リリアン様の学園でのご様子が、公爵家へと他のお家から話が来ていますが……」
お茶の準備をしながら侍女のリタが話す。
学園に通い始めるヒロインに、私から贈った言葉は、猫を100匹かぶれ。
「将来の公爵夫人としては、まだ教育は必要だけれど、一般的な貴族令嬢としては及第点までいったと思ったんだけど、ヒロインは、なにかやらかしたのかい?」
リリアンのことをヒロインと呼ぶことに関して、リタは最初は首を傾げていたが、女嫌いだったディビット様が選んだのだから物語のヒロインですわねと自分で理由を見つけて納得し、私がヒロイン呼びと名前で呼ぶことを場によって使い分けていることから、リタはリリアンのことをヒロインと呼んでも何も咎めるようなことはない。
「とてもお伝えしづらいのですが、婚約者がいらっしゃる、何人もの殿方にすり寄っているという話が、旦那様や執事のバーランのところに寄せられています。バーランからもディビット様に、そのような話が寄せられていることをお伝えするように言われたのですが、私は普段のディビット様との仲睦まじい様子を見る限り、リリアン様が、そのようなことをするだなんて、とても信じられないのです。
いつも、笑顔で愛おしそうにディビット様をリリアン様は見つめていらっしゃいましたし……」
そう言って、リタは目を伏せる。
仲睦まじくがどこを指しているのかは不明だけれど、笑顔で愛おしそうに見つめられた記憶は無いんだけど…… にやにやしながら見られていた記憶はあるけど、あれは愛おしくて私のことを見ていたわけじゃないと断言できる。
それに、リタには悪いけど、ヒロインがすり寄っている殿方っていうのは、ダーベル侯爵家のメリルとセンリーズ子爵家のベイクのことだと思うけど、確実にヒロインが自分からすり寄ってるからね。
学園に入る前も人払いして二人でお茶をしていた時に、握りこぶしを天に突き上げながら、絶対に落としてやるって意気込んでいたからね。
ヒロインが学園で婚約者のいる男性を侍らしているなどの話は、相変わらず各家から親切めいたふりをして届いてくる。おかげで侍従や侍女の全員が学園でのヒロインの様子を知ることとなったが、学園が休みとなる週末にはヒロインが公爵家を訪れることと、話を持ってくる殆どが年頃の令嬢を持つ家であった為、公爵家の侍従や侍女が、その話を鵜呑みにして信じることはなく、そういった話を持ち込む者たちに対して憤慨しているとリタから聞かされた時は、持ち込まれている話は、多少の脚色はされているだろうが事実であるだけに微妙な気持ちになった。
ヒロインどんだけ公爵家の使用人たちに信用されて好かれてるんだか……。まぁ、将来の公爵夫人としては良いことなんだろうけどね。
ヒロインは学園が始まってからは、休みの日に公爵家へと自ら訪ねてくるようになったのだけれど、それは進んで淑女教育を受けるためというより、メリルとベイクのことを愚痴りたくて来ている部分のが多い。時々ユリウスとも一緒になるが、そうなると、にやにやしながらこちらを見てくる。
そんなことを繰り返しているうちに、ディビットが学園へと入る時期が近付いてきた。
学園に入る前にディビットが見つかることを期待する部分もあったのだが、大々的な捜索ができず、限られた人数での息を潜めるかのような捜索のため、まだ見つからないのは仕方がない。
このまま私がディビットの振りをして乗り切ればいい。
その日も、週末ということでヒロインは公爵家を訪ねてきた。
「どうした?」
あまりにも普段とはかけ離れたヒロインの様子に挨拶よりも先に問いかけてしまう。
「うっ…… うっ…… うぅぅ」
いきなり泣き始めてしまったヒロインに、余計なことを言い出す前にと、侍女たちを下がらせて人払いをする。
「なにがあったんだ?」
人がいなくなったのを確認して問いかけると、泣きながらヒロインが答える。
「……… 失敗した」
失敗した?
何を失敗したのか答えるように促しても、泣くばかりで答えないヒロイン。
泣くほどの失敗ってなんだろう? 考えながら口をついて出た言葉は――。
「もしかして避妊に失敗したとか?」
「ちがうわ!! なんてこというの!! 私は綺麗な身体のままです!!」
耳をふさぎたくなる程の大声に、これじゃ、ドアを閉めていたとしても廊下に待機している侍女に聞こえたな…… と思う。まぁ、侍女たちにしてみれば一番嫌な可能性が消えるような言葉だから安心はしただろうけど。
「ベイクの攻略に失敗したし、メリルの方は幼馴染からの告白までに落とせなかった。おまけにジートル殿下、なんか気持ち悪いし~」
「そ…… そうなんだ」
いくら、悪役令嬢役のローズとガーベラに同情的だとしても、そこまでショックを受けて泣くほどのことでもないと思うんだけど……。ガーベラの方はともかく、ローズの方はメリルと関係を修復できる可能性がゼロというわけでもないんだし。ジートル殿下のことに関しては予想の範囲内だとも思うのだが。
「そのうえなんか状況が悪化したし……」
「悪化?」
泣いたことと理由を口にしたことで少しは落ち着いたのか、ヒロインは頷くと説明してくれた。
「最初は、ローズもガーベラも悪役令嬢として私のこと虐めてくれていたんだけど……、いつの間にか二人とも私のことを虐めなくなって、そればかりか、ローズはメリルのことを気持ち悪いものを見るように見ているし、ローズもガーベラも私のことを不気味なものを見るような目で見ているし、ベイクはサザリア侯爵令嬢のビアンカと良い雰囲気になってるんだよ~。ガーベラとくっ付けるつもりだったエリオットは、なんか他の令嬢と良い感じになって婚約したみたいだし。私どうすればいい?」
………… ヒロイン、学園で、いったいなにをした。




