探索 満と切花
切花に案内されて、大落獣の禍津のいるという建物の傍まで満は着た。
「やっぱり、無理だと思う」
「何を言う!」
「ここまで近づけば、匂いで相手の強さだいたいわかるし。つーか、これ以上近づくと、こっちが見つかる。ここは既に相手の領域だし」
あたし1人なら逃げ切れる自信があるけど、切花を連れて逃げられるかどうかは怪しいから言わない。
そもそも相手の領域内を鼻と目と耳を活かして、気づかれないように進んできていたのだ。
「ダメ、先に進む」
「はぁ、わかった」
どの道、ここまで来てしまった以上、引けないと、ようやく満は気づいた。
建物の中に入る。
切花は辺りをひたすら警戒しているが、満はそこまで警戒していない。
狼の耳を出している満には、警戒しなくても建物内の音を聞き逃したりしない。
殺したはずの、足音さえ切花には大きく聞こえる。後ろを歩く、満はキョロキョロと周りを見ながら歩いているが、警戒をしているようには見えない。
満にはここが、何かの研究施設に見える。
(いったい、何の施設何だ、ここ?)
妙な暗さがある施設だと、満は感じていた。
隊員達が倒れている部屋に静かに切花と満は入る。
血の跡が壁や天井など、あちこちにあり、血の臭いも充満している部屋だった。
普通、初めてこんな部屋に入ったら気分を悪くするはずで、切花は気分を悪くしていた。後から入る満は平気そうだ。
(ホラー映画が好きで良く見るけどやっぱり本物とは違う)
初めて入る本物の血の臭いの充満する部屋。転がる無残な死体。
(何で平気なんだろう?)
満は不思議に思う。だが、本人は完全に忘れているが、それは幼い日に、吸血鬼の夜会で同じような部屋にいた事があったからだった。
ちらりと切花は満のそんな平然としている様子を見る。
(満は、やっぱり夜蠢く者なのね)
切花は遺体を集め、1列に並べる。ちぎれた足や腕を拾い、胸の前で手を組ませる。
(これは……時間がかかりそうだな)
「ん~」
満は扉の傍で、切花から目線をずらし天井を見上げた後、ここにいてもしょうがと、そっと部屋を出て行った。
コッコッコッ……。
満は部屋を出て廊下を進む。
(……やっぱり)
妙な匂いがする。複数体の悪鬼邪妖の匂いが微かに残っている。
(こっちか)
匂いのする地下へと進み階段を下りる。
明かりのついてない廊下は暗い。無人のはずなのに何かの気配を感じる。
けど、大落獣の禍津じゃない。あれの匂いは建物の外からする。つまり、他にも何かいるという事だ。
カチャ。
扉を開けると、悪鬼邪妖の一部が入った腕や体の入ったカプセルが並ぶ。
(うわぁ~、こりゃ~)
左右を見ながら奥に進む。
たぶん、様々な悪鬼邪妖の研究をしているんだろう。けれど、これはあまり、いい趣味じゃない。
悪鬼邪妖の研究というより実験施設のようだ。
一番奥にあるPCの乗っている机の上にクリップで止めてある紙の束があった。
満は、それを持ち上げて、中身を読む。
読んでいくけど、何の数字の羅列や意味のわからない言葉が書かれている。それでもわかる事もある。
(……なるほど)
その紙の束を持って、切花のいる部屋に戻る。
切花のいる部屋に戻ると、並べられた遺体の前で切花は片膝を床につけて黙祷を捧げていた。
「終わったか?」
「うん」
満は、持っていた分厚い紙の束を切花の傍に投げる。
「何これ?」
「地下で見つけた」
切花は、それをペラペラと捲り読んでいく。何かに気づいて、どんどん読んでいく速度が上がる。
書かれていたのは、悪鬼邪妖の研究だった。
ただ、解剖したり、悪鬼邪妖同士をつぎはぎしたり、怪しい薬を投与したりと、信じられない内容だ。その中の1体が大落獣の禍津だ。
最後のページの下に、この建物の名前と責任者のサイン、そしてここが呪術師連合の施設である事が書かれていた。
「これ、どういう事?」
「他の資料もあった。ここ元々呪術師連合の持ち物だったんだ。推測も入るが、恐らく最初から、そこに書かれたみたいな研究をしてたんだろ。で、さすがに知られるとまずいから呪術師連合にも隠れて、こそこそやってて、いつからかこの研究所は忘れられた。それが、最近になってこの近辺で悪鬼邪妖が絡んでいそうな事件が起こって、調査に来たってとこだろ」
「そんな事、信じられない!」
「だろうな。ま、詳しい事は後でお前が上に聞けば?」
「ぐっ……」
「それよりそろそろくるぞ?」
それを聞いて、握った拳が震える。それをもう片方の手で無理やり押さえて、扉を睨んだ。
満の横を通って扉に近づいた。
「なぁ、本当に、あいつをどうにかしたい?」
いつもよりもトーンの低い真剣な声。
「うん」
「それが例え、今までの全部を失う事だとしても?」
「構うものか!」
怒りに任せて振り向きながら答える。
どうせ刺し違えるつもりでいるんだ。死んだって構いはしない。
「構うものか!」
怒りに任せて振り向きながら答える。
どうせ刺し違えるつもりでいるのだから死んだって構わない。
「じゃあ、あたり前に日常を失ったとしてもか?」
「ああ」
その答えが本当かどうか真剣な瞳が確かめてくる。
(けど、何でこんな事を聞くんだろう?)
「そうか」
切花が、そう疑問に思った時、満の小さな答えが聞こえて――伸びてきた満の手に掴まれ、首筋を噛まれた。
「ん!」
噛まれた痛みで顔をしかめる。それから、すぐに血を吸われているのに気づいた。
「んー!!」
切花は暴れるが、手で押さえつけられて逃れられない。
(あの化物にやられる前に、この化物は私を食べようと思ったんだ。きっと、最初から私は満の獲物だったんだ……)
目に溜まっていた涙が、一粒こぼれる。
体から力を抜いて、もう抵抗は諦めた。
「あ」
ゾクリとお腹のあたりに何かが込み上げる感じがして、艶めいた声が漏れた。
(何……これ?)
吸血鬼に噛まれると凄く気持ちがいいっていうけど、それみたい。
でも、満は吸血鬼じゃない、人狼だ。だから、こんな事はおかしいと思うが、その思考さえ気持ちよさに流されていった。
ギィ……。
「さぁ、遊ばせてもらおうか」
大落獣の禍津が開いた扉の枠に手をかけ、のっそりと姿を見せる。部屋に足を1歩踏み入れると、部屋の温度が急に下がる。
満に怖い怖い化物が近づく。
ぷはっ……。
声を聞いた満が切花の首から牙を抜く。
支えていた手を離すと、満が力なくそのまま冷たい床に倒れる。
ゆっくりと振り向いた瞳の色が変わり、赤く輝いている。
狼の尻尾に耳、手に灰色の毛が生え、人狼の姿に変わる。灰色の毛に微かに銀の輝きが混じる。いつもどこか、やる気なく感情の見えない軽く閉じた瞳が、完全に開き、今は感情が見える。
「食後の運動」
唇の端が上がる。
満は爪を立て、腕を振り上げる。手が銀の毛が生えている。
大落獣の禍津が見えたのは、振り上げた手と振り切った手だ。
ゴトっ。
目の前に自分の右の前足が落ちる。
「は?」
何が起こったかわからなくて――いや、理解したくなくて、自分の右腕にのろのろと目線を落とす。
けど、そこに何もついてない。腕の先がない。
今度は、ゆっくりと目の前の相手を見る。
八重歯を剥き出しにした獰猛な笑みを浮かべている。
ゾっとした。
今目の前にいるのは強者で、自分の方が獲物だと理解できる。
「何で、さっきまではオレの方が……!」
「状況が変わったんだよ。じゃあ、月下の下、銀の吸血鬼と狂った踊り(エルフ)を踊ろう」
クスッと笑い、すっと満は身を沈めると、目の前から消えた。
「え……?吸、血鬼……?」
聞いた言葉が信じられなくて、確かめるために片手に何とか力を入れて切花はゴロンと転がる。
大落獣の禍津が逃げようと背を向けた直後、逃がさないために左足を飛ばす。扉の傍にいてもらっては困るので、横から蹴り飛ばして、壁にぶつける。
(強い)
大落獣の禍津を完全に圧倒している。
今のこの姿の方が、普段のぼ~っとしている満よりも、彼女らしいと感じる。普段の口の悪さと、ぼ~っとしている姿に違和感があったけど、今の満から、それを感じない。
きっと、これが本来の満の姿。
こんなに強いのなら最初から、最初から倒してくれればよかったのに。そう思いながら、切花は目を閉ざした。
大落獣の禍津が怯えている。
既に戦う事は考えず、逃げることしか考えていない。
普段から愛用している水筒の蓋を外すと、中身をボタボタと床にこぼす。
本人にも無自覚に口元に笑みが浮かぶ。
大落獣の禍津と良く似た笑みだ。
ポタポタと中身を全部こぼすと、スゥ~っと床に落ちた水が満の周りを回りながら浮かぶ。
この水筒の中身は水に、満の血を少し混ぜたものだ。
満は血を操る吸血鬼の能力を使い、血を混ぜた水を操るのだ。こうする事で、血の中にある魔力の密度が下がるが、操れる量は増える。
それを鞭のように振るい、大落獣の禍津を裂いていく。
(これで、最後!)
満の中ではかなりの速度で、他から見ればあり得ない程の速度で振って、大落獣の禍津を細切れにした。
ボトボトと血と細切れになった大落獣の禍津の肉片が降った。