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第三話

「エリック、キッチンに来て」

「今いくよ」リビングでノートを閉じる音がして、エリックがキッチンのヨシコの元に駆け寄った。

「じゃこれ、ジェフの部屋にお願い。お薬と水差しの残りをみておいてね」

「うん。」エリックはオートミールの粥の皿を持つとゆっくり歩みをすすめた。

「ビル、そっちはどう?」

 裏庭のグリルではビルが煙にあぶられながらチキンと格闘していた。

「もうすぐだ…今、串から外すところだ。あちち」

「お願いだから落とさないでね。それと、マーサに味見させちゃだめよ。」

 まるごとのチキンは貴重なんだから、とつぶやきながらサラダボウルを食卓に置き、コーンポタージュの鍋をコンロから下ろした。シェトランドシープドッグのマーサが裏庭からひと足先にキッチンに戻ってきて、所在無く隅の食器棚の前に座り込んだ。

「ジミー、ねえジミー」

「はあい」

「庭のお片づけは済んだの?早く来てお手伝いしなさい」

 キッチンに現れたジミーを見てヨシコが叱り飛ばす。

「もう、玄関で泥を落としなさいっていっつも言ってるでしょ。それと手を洗いなさい。お客様がいらしているのよ。」

 はあい、と生返事を残してバスルームに向かうジミーと入れ替わりでビルがキッチンにやって来た。全身から炭と薪の香りを立ち上らせて、トレイに乗せたチキンを誇らしげにヨシコに渡す。マーサが起き上がったがヨシコに睨まれ、がっかりしてまた座り込んだ。

「はい、お疲れさま。ふふ、昼間にあれだけ働いてクタクタだって言ってたくせに、チキンになると急に張りきっちゃって。顔に煤が付いてるわよ。これじゃどっちがチキンか分からないわ。」

「へへ、なんてったってメインディッシュは家長が手掛けないと示しがつかないからなぁ。しかし、冷凍のチキンは火のとおりにムラが出来るから難しいな」

「いいわよ、もし生焼けだったらそこだけ残して、明日のご飯に炊きこむから。鶏釜飯は好きでしょ。」

「いいねぇ。昼飯が豪華だと仕事がはかどる。」

 ビルが笑って答えると、ジミーがバスルームから戻ってきた。

「ジミー、バゲットをテーブルの籠に入れておいて。ビルは顔を洗って、着替えてね。デメイルさんを呼んでくるから。」

 エプロンを外してヨシコがコンロの前を離れようとすると、エリックもキッチンに顔を出した。

「ジェフのシロップは瓶に半分ぐらい残ってた。水は飲んでないって。」

「そう、ありがと…お皿はシンクに置いてね。」ヨシコはゲストルームに向かった。

 全員が食卓に着くと、ビルがデメイルに告げる。

「デメイルさん、妻がお伝えしたかもしれませんが、我が家では食前に祈りを捧げることにしています。しばしおつき合いをいただけますか。」

「ええ、喜んで。私も祈りは欠かしておりませんから。」デメイルが笑顔で応じ、しなやかな指を胸の前で組み合わせた。ヨシコと子供も手を組んで首を垂れた。エリックの足元にいた犬のマーサはいそいそと皿の前に伏せた。

「天にまします我らの神よ、空のおだやかな風と地の豊かな恵みに心より感謝いたします…」


 ヨシコは食卓の上から食器を下げはじめ、エリックとジミーはキッチンで鍋を洗っていた。

「どうですかデメイルさん、お酒は」

「え、はい、少しだけなら。」

「そうですか、ならレオポルドのところの赤を開けようか。」

 ビルが納屋に向かった。

「本当にごちそうさまでした。貴重なチキンまでいただいてしまって…」

 恐縮するデメイルにケイコは笑いながら言う。

「いいんですよ。今年の春が本当に良かったんで、ビルも気が大きくなっているんです。こんなチャンスはなかなか無くて、うふふ、おかげでお相伴にあずかることも出来ましたし」

 デメイルの頬に血がさしていた。ヨシコの妹が残していった服は農作業に全く不向きなうえにヨシコの強靭な体躯を包むにはあまりにも薄すぎるのでクローゼットに放り込まれていたが、デメイルにはちょうど良いサイズだったようだ。肘まで届く亜麻色の髪は三つ編みにして左肩に流してあり、入浴後に丁寧に櫛研がれたらしく見違えるように艶やかに光った。食卓の上に組んで置かれた両腕はほっそりと伸び、フォークを持つ手にさえもしなやかな美しさが宿るようだった。先ほどの食事中にデメイルの隣に座っていたエリックが何度も手を止め、彼女をちらちらと見ていたのを思い出してケイコは思わず笑いだしてしまった。

「あはは、ごめんなさい、さっきのエリックを思い出したらつい、ね…あの子は美人に眼が無くてねぇ。特に年上に、ね」

「そんな、私なんてもう、おばあちゃんぐらい齢が離れて」

「それがねぇ、入植家族で三世代は少ないんですよ。母親よりも年上の女性に免疫のない子供が多いんです。それにエリックは弟の世話や家事の手伝いで毎日忙しくしててね、たまにTVで他の星のアイドルを見るとすぐに熱を上げるような子だから…」

「弟さんは手がかかりそうですね。」

「ええ、でもジミーはまぁ、人並みですよ。もうひとりがね」

 ヨシコの表情が曇る。

「そういえば、病院からの処方薬のパッケージがあったようですけど、どなたか」

「ええ、奥の部屋で寝ている末っ子のジェフリーです。半年前から胃腸の具合が悪くてずっと寝込んでいてね…」

「そうですか…お医者様はどう」

「それがねぇ、病名が今も判らないんです。深夜に発作的に起きる腹痛が困りものでね…この星の病院では検査出来ないからって、わざわざ地球まで検体を送ってもらってるんですけど、まだ…」

 ヨシコが椅子に腰かける。

「ジェフはビルと私の間に出来た初めての子で、この星で産んだ最初の子なんです。なんとか元気に育ってほしいんですが」

「えっ、では、他のお子さんは」

「エリックはビルと最初の奥さんとの子、ジミーは養子縁組で引き取ったんです。」

 デメイルは目を丸くしていたが、ふと窓の外に眼をやり、視線をヨシコに戻して言った。

「確かに、この星で生きていくには人手がいりますものね。特に男手がね。」

「ええ。ビルの前の奥さん、アリスだったかしら、地球を離れるのがどうしても嫌だって言って別れたらしいし、ジミーの両親はあの子を置いてペトラルに出稼ぎに行ったっきり戻ってこなかったって聞いてます。」

「そう…ペトラルは管理企業の汚職がひどいっていう噂をどこかで聞きました。」

「でも地球政府が手を打つのが遅れて、難民化した入植者や放棄児童が」

 ビルが納屋から戻ってくる気配を感じ、ヨシコは口を噤んだ。

「お待たせしました。エレウシスのワインコンクール第三位のワイナリー、レオポルドのカベルネ・ソーヴィニオン。二〇三〇年ものです…もう六年経ったのか。」

 ラベルをしげしげと眺めるビルをヨシコがつついた。

「もう、はやく開けなさいよ。デキャンタまで出してるんだから。」

 はいはい、とビルが栓抜きを手にする。

「それでね、デメイルさん。」ヨシコが座りなおす。

「もしよかったら、ご自身のこと、少しうかがえるかしら。」

 改まった口調で切り出したヨシコをデメイルが見る。

「おい、そんな、無理に訊かなくても」ビルが遮ろうとするがヨシコは構わず続ける。

「うちはこんな、つつましい暮らしの農家ですけど、お役に立てることがあるならぜひおっしゃって下さいな。」

 ビルから渡されたグラスにしばらく眼を落としていたデメイルだったが、静かに顔を上げた。

「実は、娘を探しているのです。」

 ビルとヨシコは思わず顔を見合わせた。

「数か月前に急に居なくなって…行先も告げずに出ていくなんて、外泊さえもしたことのない子なのに…娘の友達や、警察も当てにならなくて…そうしたら、少し前に姿を見たっていう情報が従妹から入って、仕事が落ち着いたら一緒に行くからって言われたのですけど、もう待ちきれなくなって…」

 デメイルの声が途切れた。ヨシコは彼女の肩を抱き、額に手を当てた。

「それはさぞ、お辛いことでしょう。このニューカリフォルニア州は広くてシェリフの人数も足りていませんし、人探しは大変です…娘さんはおいくつですか。」ビルが湿っぽい声で訊ねる。

「十八です。名前はペルシーといいます。」

「まぁ、一番かわいい盛りじゃないの。そんな…」ヨシコが涙ぐむ。

「エレウシスはまだ人口が少ないので探しやすいと聞きましたが、警察組織があまり…」デメイルが肩を落とす。

「そうね、いまだにシェリフが毎日一〇〇キロ以上走りまわってパトロールするような星ですもの。」

 ヨシコが慰めるように言ったが、その後は三人ともしばらく黙ってしまった。

「この星にはすでに何泊かされましたか。」唐突にビルが訊ねた。

「ええ、はい」

「では、ミッドナイト・サンで眠れないことはありませんね。」

「ええ、大丈夫です。最初は驚いて、寝付けませんでしたけど…」

「今年の第二太陽はどうかしらね」ヨシコが思案顔でビルに訊ねる。

「ああ、それならついさっき軌道予想が出てたよ。ちょっと待って、タブレットを持ってくる。」

 リビングから戻ってきたビルがタブレットの画面を示す。

「あら、平年より早めに冬入りですって。明日からはしばらく冷えるって。」ヨシコが少しがっかりした様子でビルを見る。

「この軌道予測は気象観測衛星からのものですか?」デメイルがビルに訊ねる。

「はい、最新のデータを送信してもらっています…けど、他の惑星ほしの観測ばかり優先するんで第二太陽の予測がなかなか安定しなくてね。昨年にこの辺りの農家で共同開発したこの『ヘリオンズ』のほうがずっと頼りになるぐらいですよ。

 タブレットを操作しながらビルが苦い顔をする。

「もちろんこいつには最新データの入力が必須ですけど、過去の軌道のデータが見つかり次第入力できるようにしておけば、FIの頃の古い資料だって活用できますしね。まだ見つかっていないようですけど…」

 ヘリオンズの画面を見つめるデメイルの顔がひどく真剣なのに気づいたヨシコがおずおずと話しかける。

「もしかして、こういうプログラムの解析がお仕事なの?」

「あ、あっ、いいえ、そういうわけでは…」慌ててヨシコにタブレットを渡しながらデメイルが首を振る。

「このタブレットはいろいろ重宝していますが、夜はジェフのメディカルベッドとシンクロさせていましてね…もうそろそろあの子の部屋に持っていこうか。」

 ビルがヨシコからタブレットを受け取って部屋を出ていくと、その背中にヨシコが呼びかけた。

「あの子が勝手にいじらないよう、ちゃんとチャイルドロックをかけておいてね。遅くまで絵本を読ませちゃだめよ。」

 デメイルが思わず笑い、ヨシコもつられて笑った。ワインの甘く豊かな香りが部屋に満ちていた。

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