第二話
「デメイルさん、いいかしら。」
「はい、どうぞ」
女物の下着と普段着、ランプと水差しを抱えたヨシコが入ってきた。
「少し前に私の妹が訪ねてきましてね、そのときからあまり散らかさないようにしておいたはずなんだけど、ベッドのシーツは換えておきましょうか。すぐにお風呂も沸きますから。」
水差しとグラスを受けとったデメイルは礼を言い、部屋の隅の古ぼけたソファに座った。
「ビルとはいっつもシーツがもとでケンカするの。あの人は仕事から帰ってきてそのままベッドに飛び込むのが最高だって言ってきかないけど、私は汗のついた身体で横になるのはごめんですよ。グレゴリーヴィルは地下水だけが取り柄なんですから、お風呂ぐらいは贅沢させてもらわないとねぇ。」
「そうなんですか、地下水が」
ヨシコはデメイルに笑いかけ、すぐに首を傾げる仕草をしてみせた。
「この星は不思議よねぇ…北隣のギルマーまでは八〇キロも離れていないのに、あっちでは毎年のように六月になると給水制限がかかるのよ。もっとがんばって井戸を掘ればいくらでも水が湧きそうなものなのにねえ。」
「そうですか、ギルマーはそういう事情があるんですね。」
デメイルの声の沈んだトーンに気づいたヨシコが枕のカバーを換える手を止めて振り返る。
「あら、もしかしてギルマーに行ってみたの?」
「はい、二日前に…」
ヨシコの表情が曇った。
「あの町はみんな根は良いんだけど、シェリフがねぇ…」
デメイルが俯き、それを見たヨシコが小さく息を飲みこんだ。
「まさか、あなた、あの町で」
力なくうなずいたデメイルの眼が潤んだ。
「道を歩いていたらシェリフに見つかって…留置所の手前でたまたま出会った方が申し出て、明日の朝早くに町の境まで送り出すから家で預かる、って言って下さって」
「まあ、そんな目に…あ、もしかして、泊めてくれた人って、オルロープさん?」
「ええ、そうです。お知り合いですか?」
ヨシコの顔がほころんだ。
「ふふ、ギルマーのオルロープさん家っていったらもう、名家ですよ。お屋敷も大きくて居心地が良かったでしょ。その代わり、食事は質素だけど。」
いたずらっぽく眼を動かすヨシコを見て、デメイルがふきだした。
「ええ、ひたすらサラミとライ麦パンでした。」
ヨシコが大笑いし、変わらないわねぇとやや呆れ顔になった。枕を軽く叩いて埃を払うヨシコの背中にデメイルが笑いながら言う。
「でも、美味しかったですよ。パンが不思議な味でしたけど。」
「あそこはなんせ、FIの頃からずっとエレウシスひと筋ですからね。品種改良も真っ先にとりかかるし、管理する土地はとんでもなく広いし」
「あの、FIって、何でしょうか。」
デメイルの言葉にヨシコがハッとした。
「ええとね、ファーストイミグレイションのことです。もう三百年近く前のことなんですけどね、地球からこのエレウシスへの最初の入植者が」
ここでヨシコは言葉を切り、ドアの向こう、リビングにいるはずの夫のほうをチラリと見やって声を潜めた。
「でもね、その入植を管理していた当時の地球の企業が不正をやってたとかで、たしか三十年足らずで中止になっちゃって…今考えるとものすごいスピードで進めてたみたいですけどね、今使ってる水力発電所だってFIの時に出来たってきいてます。」
「そうですか…では、みなさんはその後に」
「ええそうよ。通称SI、セカンドイミグレーション組。今度はちゃんとした、って言ったらおかしいけど、地球以外の星の企業グループがまとまって起こした計画だから、何の心配もしていないわ。」
「そう…オルロープさんは」
「他の星に移ってからもずーっとエレウシスの再入植を訴え続けていて、SIが開始されたら真っ先にギルマーに家を建てたそうよ。悲願だったんでしょうね。しかも、FIの時の区画図をちゃんと保管していたとかで、それがSIでも認められて、今ではこの星でも五本の指に入る大地主ですって。この前もローズマリー・ヒルの扱いで建設省と難しい交渉をしていたそうだけど、中央にまで強く出られるのはさすがね。SIの入植者はFIも含めたこの星の過去をあまり詮索しないっていうのが、まぁ常識っていうか、掟みたいなものかしらね。」
ふう、と息をついてヨシコが毛布を棚から下ろす。
「ローズマリー・ヒルってたしか、この先にある未開発の荒れ地ですよね。」
「そうよ、ギルマーで聞いたの?FIでの記録が無くなってしまったとかで、建設省は再開発のための立ち入り調査を計画しているのね。でも、中央議会ではいつも否決されて延び延びになってるって」
「それは、水源の問題でしょうか。」
「まぁ、みんなそう言って反対するけどね…でも、議会で反対する議員さんのほとんどがFIからずっとこの星を開拓してる人達の息がかかってるっていうし…実際はどうなのかしら。」
難しい話は分からないわ、とヨシコは苦笑する。
「あ、でもね、ローズマリー・ヒルは伝説の場所でもあるの。知ってた?」
首を横に振るデメイルにヨシコは眼を輝かせて話し始めた。
二〇六〇年に完了した探査で惑星エレウシスに人類に危害を及ぼす生物などどこにもいないことが判明してからはあっという間に入植が始まったのだが、そのごく初期、人類に匹敵する知的生命体の存在を確認したという報告がFIの入植者から地球にもたらされた。
報告によれば、エレウシアンと名付けられたその生命体は人類の理解をはるかに超えたものだった。とりわけ特異だったのが、器となる生体に意識体を移しかえることで事実上の不死を実現していた。また生体の保全のための医療技術が発達しており、親の生体から何らかの移植を施すことで子の生体の治療を可能としていた。目撃者の話では、人類の銃器による攻撃で負った傷が他の個体に触られただけで治ってしまったというのである。
当時の地球政府はこれを極秘として公開せず、しかもFI自体が短期間で打ち切られてしまったため、その生命体はエレウシアンという名だけ残して歴史の彼方に消え去ってしまった。
「でもね、ローズマリー・ヒルには今でもエレウシアンが潜んでいるっていう噂がずーっとあってねぇ。」ヨシコは小さな子供におとぎ話を聞かせる母親の顔になっていた。
「私は幽霊とか神様の存在は信じていないけど、もしかしたらエレウシアンは私達よりも前に他の星からも入植していた人で、この星をきっちり開拓しておいてくれたのかもしれない、なんて考えたりするの。だって、人を襲う猛獣も危険なウイルスも無い、小さなトカゲや蛇しかいないのに土地がこれだけ豊かで、淡水も酸素も日光も十分な惑星なんて、この先どこを探したって見つからないわよ。」
今にも踊りださんばかりに上機嫌のヨシコの姿にデメイルの頬も緩んだ。
「地球生まれの植物なら何でも育つし、小麦なんて何年だって連作できるし、そりゃ、一年の半分が冬だなんてアラスカよりひどい、って地球に帰っちゃう人もいるけど、その冬と同じだけ―一六か月も春があって、頑張り次第でいくらでも収穫できるんだから。第二太陽の軌道がもっと正確に計測できればそのうち、ね、冬の間だって根菜が採れるようになるわよ。もしも、この星の先住民たるエレウシアンに出くわしたら、私だったらディナーに招待したいくらいよ。」
断言するヨシコを見てデメイルが声を上げて笑う。
「…そうね、長い冬さえなければ、この星はいいところですね。」
デメイルが呟いた。