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 ☆☆☆☆☆☆――6


 いつからか、俺は独り暗い世界の中で仰向けに横たわっていた。

 言葉通り、周囲はどこを見渡しても光一つない闇の中。だが俺はそんな世界の中でも平常心を失うことはなかった……。

 ……なんだか知り合いに「大学生にもなって」と言われそうな中二病感だが、しかし実際にそういう世界にいて、そういう心理状態なんだから仕方がない。

 まあ、流石にね。異世界転生ファンタジーものじゃあるまいし、今この世界が夢によるものだと一瞬で理解しましたから。驚きませんよ、はいしっかり大学生です。

 だから、別にここから冒険を始めるわけではなく、というかそんなつもりもないので、俺はジッと横になったまま夢から醒めるのを待つことを選択する。

 そうしていると、まず五感の中で一番先に聴覚が覚醒し始めた。

 初めに聞こえたのは、リーンという心地の良い涼しげな響き。ベランダに吊るされた風鈴の音だ。

 それを聞いて、どうやら今回は気持ちのいい目覚めになりそうだと俺が思い始めた途端、今度はジジジジジジジッ! という夏の騒音。アブラゼミ……お前ってやつは。

 ハイテンポでタワシを石に擦り付けているようなその鳴き声は、それまで落ち着きを保っていた俺の心中をこれでもかとかき乱してくれたが、夏休みに入ってからは毎日のように聞いているため、感情はもはや怒りを通り越して諦めに入っていた。

 なのでいつも通り、夏だからとしょうがないと自分に言い聞かせて流していく……はずが。

 なぜか、今回だけは諦めただけで終わることはなかった。

 確か、と。

 ――確かセミって、成虫になってから七日間ぐらいしか生きられないんだよな。そんな人生の意味、あるのかな。

 そんなことが、ふと頭をよぎったのだ。

 もういっそ認めてしまえと自分自身に言いたくなるくらいの中学二年生のつぶやき。だが夢の中にいるせいか小っ恥ずかしい思考は続く。

 ――一週間って……え、一週間!? やばいな、もし月曜に生れたら日曜にお陀仏。安息日に安息です――って、笑えねえだろ。

 ――そりゃあ、幼虫の時代に地中で何年も生きてるらしいですから、昆虫の中でも長寿らしいですから、セミ自身はうちのじいちゃんみたいに「いやー、もう十分長生きしたわい」って感じで、案外死ぬのが恐くないのかもしれない。

 ――けれどさ。

 ――地面の中で何年もじーっと待って、ようやく外に出れたと思ったらそこからたったの七日って。自由になれた途端に死が目の前。俺だったら絶対嫌だよ。

 ――せっかく羽が生えてもその快感は七日間のみ、美味い飯だって七日間しか食えないし、友達ができても七日間しか遊べないし。


 ――好きな人とも七日間しか一緒にいられないなんて……そんなの、嫌だ。


「……やとくん。綾人(あやと)くん」

「んっ……っ」

 なんとも痛々しい一人語りの夢の世界から、優しく俺の名前を呼ぶ声に導かれ目を覚ますと、前には視界いっぱいに莉奈(りな)の顔が映っていた。

 わずかに見える彼女の背後には真っ白な……天井。顔を少し傾けると、横には直径五十センチもない小さな丸いテーブルと、その奥には薄ピンクの毛布が敷かれたベッドがあって、さらに傾けると下には……太もも。

 太もも? ……ああ、そうか。俺、莉奈に膝枕してもらってたんだっけ。

「悪い、俺ちょっと寝ちゃってたみたいだ」

 ボリボリと後頭部をかきながら体を起こすと、莉奈はこれでもかというくらいにパンパンに頬を膨らませていた。

「もう、まったくだよ。『彼女の膝枕を体験してみたい』なんて言うから仕方なく、ほんっとーに仕方なく膝を貸してあげたら、綾人くんすぐにすぴーっていびきかき始めちゃってさー」

「いやーごめんごめん。俺どんぐらい寝ちゃってた?」

「二時間」

「そっか二時間……ってえええっ!?」

 一瞬信じられなかったが、窓の外を見てみると、膝枕イベント前はギンギラに照っていた真夏の太陽は、すでに弱々しいオレンジに色を変えて地球の裏側へ沈み行こうとしている真っ最中だった。

「や、まじでごめん! 莉奈の膝枕があまりに気持ち良くて、つい……」

「ふーんだ、そんなこと言ったって許してあげないんだからねー」

 そう言って莉奈は体ごと俺からそっぽを向いてしまった。

 あー、こうして怒ってる莉奈も可愛いなあ。ショートボブの髪の間から見える肌が少し紅潮していて、小さな掌も硬く握られて膝のにちょこんと置かれて、そんでもって全身をプルプルと小動物みたいに震えさせちゃって……!

 あーやばい、それを見れたうれしさで今にも爆発しちゃいそうううう――って、そうじゃなかった!

 ま、まじか! 俺、莉奈に嫌われた!?

 付き合い始めてまだ六日目なのに……まずい、これはまずいぞ!

 えーとえーっと、どうしようどうしよう、どうすれば、どうしたら――


 ――どう……したんだっけ(・・・・・・)


 ……あ、そうか。

「本当ごめん。できることなら何でもするから許して、な?」

「何でも……?」

 俺の必死の投げかけにピクッと反応すると、莉奈は頭を動かさずに瞳だけこちらに向けて、

「じゃ、じゃあ……」

 莉奈が何か言いたげに口をもごもごさせ始めたところで、俺はゆっくりと立ち上がって莉奈の目の前に。

 そして――

「キスしてくれたら許し――っ!」

 莉奈がそれを言い切る前に、俺は腰を屈め、彼女の唇に自分の唇を重ねていた。

 それからすぐに、一秒経つか経たないかで唇を離すと、莉奈は予期してなかった俺の行動に、パチパチと大きく瞬きをして驚きを表情いっぱいに表していた……のだが。

「も、もっとしてくれないと、許さない」

 すぐに口元をキュッと締めて不機嫌をこちらにアピールしてきた。

 全く、素直じゃないなあ。そもそも膝枕だって嫌だったらすぐに俺を起こせば済む話だ。それを二時間もしなかったってことは、莉奈自身も膝枕がまんざら悪くもなかったってことだろ? なのにねえ。

 ま、口に出したら本当に怒っちゃうから言わないけどね。そのかわり……。

「分かったよ……っ」

 俺は再び莉奈と唇を重ねた。今度は一秒だけじゃなく、十秒、二十秒、三十秒――

「――っぱあ、もう限界」

 やがて一分を過ぎたあたりだったろうか、今回は莉奈の方が先に唇を離した。

 はあはあと苦しそうに酸素を補給する彼女の姿を見て、俺はおもわずぷっと吹き出した。

「いや限界って、キスしている間も鼻からなら呼吸できるだろ?」

「そ、そのはずなんだけど……やっぱりまだ慣れなくて」

「慣れないって……ふははっ」

 恥ずかしそうにしゅんと俯く莉奈に、俺はさっきよりも大きく笑いを漏らしてしまった。

「も、もう! せっかく許してあげようと思ったのに」

「ははは……悪い悪い。どうする、もう一回キスする?」

「え!? ま、まあ、どうしてもと言ったら私もしてあげなくもな……」

 そうして莉奈とまた唇を……と思われたのだが、彼女の声は最後まで発せられる前にプツっと途切れた。よく見ると彼女の視線は俺ではなくその背後に向けられており、その先に振り向いてみると……そこには、カレンダー。

 ……そうだ、確か今日――八月六日は。

「毎週金曜は七時から家族とテレビ電話の時間なんだよな。もう一時間切ってるし、俺帰るよ」

「えっ……ああ、うんそうだけど……」

 莉奈は首を傾げると、玄関へと向かう俺に対し訝しげに訊ねてきた。

「あれ、綾人くんにそのこと言ったことあったっけ?」

 ――や、やべ!

「あ、あいや、うん、聞いた聞いた……一か月前、くらいに?」

 苦しみながらもどうにか俺は声を絞り出したが、それによってますます莉奈の疑念を深めてしまった。

「一か月って、私たち付き合い始めたの五日前だよ? 付き合ってない友達の時期に、うちの家庭のこと話すかな私?」

「っ! え、えーっと……」

 しばしの間、俺は理由の捏造に頭を巡らせていたが、すぐに無理であることを判断し、

「と、とにかく話したんだよ。はい、じゃあもう帰るねーバイバイ」

 そう言ってすぐさまドアを開けて外へ逃走。背後では「あ、ちょっと……もう」という莉奈の声が小さく聞こえたが、振り返ることなく俺はその場を立ち去った。



 莉奈が一人暮らしをするアパートを出て数分後、後ろを見て莉奈がついてきていないことを確認した俺はふうと大きく息を吐いた。

 あぶなー。もしばれたりでもしたら、どんなことが起こるか分からないもんな。

 ……あれ、でもそういえば、さっき莉奈が言い切る前にキスをした時も――『一回目の今日』でやらなかった行動をした時も何も起こらなかったな。それなら、案外大丈夫なのかも……タイムパラドックス。

 試しに明日、健児(けんじ)にでも実験してみるか……っと、違う違う。

 

 『明日』じゃなくて、『昨日(・・)』だったわ。

 

 ――ジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジッ!

 アインシュタインやダヴィンチに聞いてもきっと「分からない」と言うであろう超難題への思考をやめたところで、夢の中でさえもこちらをうんざりさせるほどの騒音を響かせてくれた、アブラゼミのけたたましい鳴き声がまた聞こえ始めた。

 うわ、うるさ……。

 時刻は午後六時半ちょっと前。夕日はほとんど沈みかけているため、音源は暗がりに隠れてよく見えない――が、それでも音を頼りに俺はセミのもとへ近づいて、言った。

「なあ、お前らはそうやって鳴いているだけでも七日間を満足するのかもしれないけどさ、俺は違うぞ」

 絶対に聞いちゃいないだろうが、それでも、言った。

 夢の中の話ではなく、はたまた将来黒歴史となる妄想の話でもない……現実の話として。


「俺は嫌なんだよ。だから――過去を生きていく・・・・・・・・ことにしたんだ(・・・・・・・)

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