42.とある暗殺者の興味
二つの月が重なる真月の夜、窓から差す月明かりに、少年はパチリと目を開けた。
養い親に言われた場所に立った少年は、上機嫌だった。
件の子供は少年の興味を大いに引いた。
「2番目」が子供の「お手つき」になった時は本当に馬鹿だと思った。自分が嗾けたせいではない。アレは完全に自己責任だった。
養い親の頭痛を堪えるような仕草に出会したのは偶々で、ウィスタリアの赤ん坊の護衛もちょっとした好奇心が顔を出したに過ぎない。「2番目」にああは言ったものの、赤ん坊はどこまでいっても赤ん坊である。師と対話しようと、契約精霊を解き放とうと、行動原理は赤ん坊の思考の範囲内である事に変わりはない。
ただ、赤ん坊の意志に精霊が反応したならこんなものかな、程度である。
その姿を目にした時も、見た目が珍しい子供だな、程度のものだった。
存在自体が養い親すら不本意に巻き込む程のものならば、深く関わらないに限る。
自分から望んだ厄介ごとは大歓迎だが、自分の意に沿わない厄介ごとは外から眺めるのが良い。
そんな中、腹違いの兄に森の中で放置された赤ん坊を眺め、さて、どうするか、と思考を巡らせ、とりあえずは対象の無事と位置を知らせれば良いかと、身を起こして、やめた。
森の中に置き去りにされた子供は最初こそ放心していたものの、その目は、限りなく冷静で、意志の力が確かにあった。かと思えば、ひょっこり顔を出した「虎」の子供を見た瞬間に見せた表情は、新しいおもちゃを見つけた子供のソレだった。
「面白い」
この子供の側にいれば、退屈はしない。
少年の勘が告げていた。
このまま帰らずこの子供の「お手つき」になってしまおうかとも考えたが、それはそれで、(主に養い親が)後々厄介なのでその思いつきは捨てた。
養い親相手に搦め手は得策ではない。
仕事を終え、報告がてらに本気を見せれば、思ったよりあっさり許可は降りた。
使う駒を選ぶのは、あの子供だと養い親は言ったが、それは少年にとって、言質を取ったも同然だった。
養い親が連れてきた少年は一番目の記憶の中から上がってくることはなかった。
面識はあったのかもしれないが、面白味のない相手など、一々覚える気はなかった。
「go」
養い親の合図に口の端が上がる。
発せられたその声に、少年は地を蹴った。
*
影を伝い、木を伝う。
「1番目」の少年の前を征くのは「何番目」かの少年。
養い親のつけた番号は実力順ではない。ただ、単純に最初に拾ったのと、2番目に拾ったのが、たまたま、番号の通りの実力を有していただけだ。
けれど、「1番目」と「2番目」以外の格下はどれも記憶に残らなかった。
その少年がちらり、と「1番目」へと目をやり、嗤った。
「1番目」を突き放すべく、背後に短剣を投擲し、前を走る少年は周囲に警戒しながらもスピードを上げた。
投擲された威嚇用の短剣をいなし、地に足をつけて立ち止まった「1番目」は見えなくなった背中に溜息と共に一言漏らした。
「やっぱつまんねぇわ」
✳︎
「「1番目」もこんなものか」
先を走る少年は鼻白み、ウィスタリアの屋敷を目指す。
聞けば、ウィスタリアの姫はまだ2歳を迎えたばかり。
物の分別もこれから付けていく年頃だ。
政界から追い落とされた貴族の娘に何故、とは思わない。
師匠たる彼が「そうしろ」と告げたのだ。駒たる己に否やはなかった。
散々苦汁を舐めさせてくれた「一番目」の気配はあっさりと消えた。
ならば、真っ先に姫の元に辿り着き、さっさと契約を済ませれば良い。
勝った。
少年は口元を歪め、更に脚を早めた。
✳︎
「かえれ、げす」
その年からは想像もつかない高圧的で、妙に様になった態度の少女は相手が姿を現す前に「ソレ」を追い返した。
(バッカでー)
「1番目」は目の前で起きた光景にヒュー、と口笛を吹く仕草で「自由な精霊達」に襲われ、領土の外へ撥ねだされる「何番目か」を見送った。
「1番目」は「何番目か」より一足早く少女の部屋に到着していた。
少女に姿を見せず、闇に紛れたのは、普通に姿を見せても面白くないだろうという予想と、手ごたえどころか何の面白みのかけらもなかった「何番目か」を上げて落とした時の顔でも見て、せめて笑わせてもらおう思ったからだ。
そうして彼が部屋に侵入した際、わずかに精霊達がざわめいたものの、彼を素直に受け入れたのは、彼が全ての気配と感情を《《ないもの》》としたからだ。
精霊達は強い感情に反応する。特に害意や敵意であれば、反応は顕著だ。
そして養い親から聞かされた事も忘れ、「何番目か」は「1番目」に対する強い敵愾心を抱え、一番乗りという優越感、更に言えば相手が2歳児であればどうにでもなる、という侮りの感情を携えてのこのことやって来たのだ。その土地と結んだとは言え、気まぐれな自由な精霊たちが敢えて《《この部屋》》に留まるほど気に入った相手に対して侮りを持っていれば、跳ね飛ばす勢いで追い返されるのは当たり前だ。
(ま、格下だもんな、しゃあねっか。さてと)
「1番目」は天井の闇に身を隠したまま、視線を下に落とす。
初めて見たあの時から半年。
たったそれだけの期間で随分と育ったものだと思う。
4足歩行の生き物が、今ではしっかりと2本の足で立っているのだ。
少年の脳裏を不意に虎の尻尾をしゃぶり倒す赤ん坊が過ぎったが直様消した。
(やっべ、)
揺らぎはほんの僅かで一瞬。
それでも少女にとっては十分だったのだろう、無垢な青の瞳が確かに少年を捉えた。
見つかったものは仕方がない。
だが、流石に目と鼻の先に顔が現れれば何らかの反応が帰ってくるだろうと実行した結果、沈黙が降りた。
(あれ?俺、スベった?)
幼い少女は驚くでもなく、怯えるでもなく、冷静な目で少年の顔を見つめていた。
「あれ?驚かねぇの?」
ぶらり、と身体を揺らしながら聞いてみる。
途端に眉をハの字にした幼い少女は
「めん、しゃい」
ぺこり、と頭を下げた。
全く予想外の反応に、「一番目」たる少年はこみ上げる笑いを飲み込んだ。
(やっぱり面白い)
少年の緑の瞳が爛々と輝く。
(「2番目」にくれてやるにゃ、勿体無ぇ)
ましてや格下など論外である。
「にーしゃ、ろにゃた?」
まだ呂律の回らない舌を懸命に動かす少女に笑みが広がる。
不審者相手の冷静な対応。
それをしているのは物の分別のついた2歳になったばかりの幼子だ。
「誰だと思う?」
少女は何かを感じたのか、ぶるり、と、背を震わせた。
「かんにゃい」
「ん〜、そうだな…」
どう答えたものかとしばし考える。
「オマエ…」
「りーにゃの」
「ん?」
少年が首を傾げる。
「おまえはしつれーにゃのよ?」
怒るでもなく物の道理を知らぬ相手に悟すような物言い。
や ば い
「そうか、リーか」
超 面 白 え
その段になって状況を理解したのか、身体を強張らせた子供に内心でだけ、遅ぇよ、と忠告してやる。
込み上げる感情が笑いに変わる。
「そう、怖がんなって。オマエ…っと、リーをいじめたりしねぇから」
やっと警戒しだした小さな生き物は
ジリジリと後退する。
「ホント、しねぇって」
「ほんとにほんと?」
隠れているつもりらしい、カーテンの影からじっとこちらを見つめる青い瞳に満面の笑みで大いに頷いてやる。
「んじゃさ、オレがリーに悪さしないって契約するからさ」
「ヤクソク?」
「そうそう、契約」
来い来いと良い笑顔で手招きすれば、警戒しながらジリジリと近付いてくる。
ホント、賢いのに馬鹿だなぁ、コイツ
ある程度近付いてきた少女を少年は素早く捕まえた。
「みぎゃっ!」
「だから悪さしねえって、ホラ、コレでも食ってろ」
「むぎゅ」
少年が昼間くすねた菓子を少女の口に突っ込めば、途端に大人しくなる。
「リーんトコに契約精霊いるだろ?ソイツらだけ呼べるか?」
口に詰め込まれた菓子に必死になっていた少女はきょとり、と大きな目で少年を見上げた。
「どうすゆの?」
あれがどういうものかも理解してるなこりゃ。
少年は目を細めてにぃっと笑った。




