19 とある暗殺者の後悔1
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赤ん坊との接触から夜明け。
「……」
俺はこの上なく落ち込んでいた。
師の「ひよっこ」扱いをようやく抜け出せたのも束の間の事だったと遠い目になる。
俺の腕には精霊紋が未だ目に見える形で浮き出ている。
精霊との契約により刻まれた精霊紋は、契約が成立すると透けて見えなくなる。
が
未だ精霊紋は肉眼で確認できる。
表の世界だろうと裏の世界だろうと自身の契約であれば半端者、他者に刻まれたものであれば隷属者。どちらにしろ、笑い者だ。
それは契約が不完全である事を他者の目にも知らしめる。
この精霊紋を完全に定着させるのは簡単だ。
赤子と精霊の契約に《《俺が》》同意さえすれば良い。
ただし、赤ん坊と精霊の間で交わされた契約がどのようなものかもわからない今、俺はロクに同意もできず、外も出歩けないでいた。
「よう!ひよっこ」
「……」
陽気な声にますます気持ちが沈む。
金色のふわふわした髪から覗く緑の瞳は捉えた獲物で遊ぶ猫を彷彿とさせる。
この仕事に不向きとしか言いようのない容姿を持つ、二つ違いの兄弟子は、厄介事と他人の不幸を愉しむきらいがある。
師の事然り、俺の事然り…。
師に関して言えば、困った様子は微塵もない。
弱肉強食が顕著なこの裏世界では、詐欺、略奪は当たり前、足の引っ張り合いすら日常茶飯事だ。
例えあり得ない状況であり得ない相手に契約精霊を奪われようと、それは奪われた側に責任がある。
同様に今回の失態の責任も俺自身にある。
この件が如何に非常識であるか。
裏世界の非常識が興味を持った時点で気付き、警戒するべきだったのだ。
*
俺に精霊紋を刻んだ赤ん坊は満足げに声をあげた。
熟練の術者であっても手順と時間を要するソレを、生後間もない赤ん坊はあっさりとやってのけた。
力の限界か、深い眠りに入ろうとしていた赤ん坊の意識を、俺は既のところで引き留めた。
しかし、初めてだらけのこの状況にかなり気が動転していたのだと思う。
睡眠を邪魔された不機嫌な赤ん坊と不本意な状況に落とされた俺。
「解約しろ」
「ぶー」
俺の言葉に明らかに否を唱えた赤ん坊相手に苛立ちが募った。
「死にたいか」
脅しを込めて殺気を飛ばす。
それは普通の赤んであれば、何らかの異常を来す筈のものだった。
「だ う !」
しかし、異常を来すどころか、受けて立つと言わんばかりの赤ん坊のおかしさに気づけないでいた。
正直、いつもと違う反応に一瞬だけ怯んだ。この時点でイロイロとおかしかったのだ。
それに気付かなかった俺もイロイロおかしかったのだ。
何より赤ん坊相手に大人気なかった事に落ち込んだ。今思い出しても顔を覆いたくなる。
生まれて1年にも満たない、まだロクに言葉も喋れない赤ん坊と…。
対等に喧嘩した俺。
間違いなく兄弟子に馬鹿にされるレベルだ。
どれだけ力を持っていようと、こちらの言葉を理解していようと、相手は精神的には未熟な赤ん坊なのだ。
大変大人気ない。
この場合、俺もまだ子供だというのは言い訳に過ぎない。
この世界では年齢に関係なく、一人で仕事を任せられた時点で一人前と見なされる。
それは他の同業者との対等を意味する。
何度も言うが、大人気ない。
しかし、売り言葉に買い言葉(?)ではあるが、ただの脅しではない。
精霊との契約の解除には特殊な場合と相手にも寄るが他者でもできる簡単な方法がある。
契約者を殺せばいいのだ。
俺の静かな意志に精霊紋が反応したように思えたが、紋には何の意思も感じられない。気のせいかと赤ん坊へと視線を戻す。
当たり前だ。契約者は目の前の赤ん坊なのだから。契約者への危害を加えられないというのは前提条件として入っているだろう。赤ん坊側がそう望まずとも、精霊側がそれを織り込んでいてもおかしくはない。
精霊が契約を望んだ相手なのだ。
犯罪奴隷などは別に、それなりに稀なケースではあるが、契約者の代理として第三者への精霊の使役を認めるという前例はあるが、それには契約者が力の行使を第三者に認める旨を契約に織り込む必要がある。
つまり、この精霊達は俺を縛りこそすれ、その力を行使できる立場として俺を認めてはいない。
冷静さを欠いた俺の中に、出会った当初、赤ん坊に感じた不可解なむず痒さは既にどこにもない。
ほんの一動作。
それだけでこの件は全て終わる筈だった。
精霊は契約者に対する害意に反応する。害意を持たずに殺す事は容易い。
だが、動く寸前にそれは起こった。
目の前の光景に愕然とする。
「なっ…!?」
あまりの事に言葉に詰まる。
赤ん坊を中心に渦巻くソレらは明らかに俺に対する敵意を持っていた。
普段、視る事も叶わないソレは紛れもなく、【自由な精霊達】。
契約者を持たず、人に使役される事のない彼らが人に関わる事はない。
人ではなく、その地と契る彼らは
その地を守り、ただ、己らの平穏の中でだけ息づく存在だ。
それらを呼び寄せ使役する赤ん坊に、俺の奥底から畏怖が込み上げる。
「!」
俺が一歩後退ると、ぶわり、とそれらが一際大きくなる。




