命日2
検定は見事に落ちた。
私、坂倉と松林君の二人だけ。
まあ、問題がわけわからなかったから仕方ない。
殆ど空欄だし。
それに、あの人が泣いていないかずっと考えていたから。
教科担当の先生は嘆いていた。
結果、放課後に二人共呼び出された。
あの人は笑っていた。
もう目は腫れていない。
けれど、辛さを必死に我慢しているように思えた。
明るいのに暗い。
どうすればあの人の気持ちが晴れるだろうか。
私は何をしたらいいのだろう。
誰か、教えてくれないかな。
悪魔でもいいから。
放課後。
鞄に荷物をしまっていると肩を叩かれた。
振り返るとあの人の笑顔。
間近に見ると痛々しい。
あの人は親しげに話しかける。
「なあ、坂倉。一緒に呼び出し行かね?」
「わかりました」
「途中で職員室寄ってもいい?サッカー部の顧問に言わないといけないからさ」
「いいですよ」
鞄を肩に掛けて立ち上がる。
二人で喋りながら教室を後にした。
この人はよく喋る。
無音を嫌うようにずっと話し続ける。
私は相槌を打ったり、たまに意見を言ったりする。
それだけでこの人は満足そうだ。
職員室の廊下に差し掛かった時。
前方から歩く生徒にこの人は手を振った。
金髪の髪の不良も軽く手を挙げる。
「九藤!何してんのー?」
「石谷に呼び出しくらった帰りだ。お前は?」
「俺はこれから坂倉と叱られに行くところ。二人とも検定落ちたからさ」
「ご愁傷様。
じゃ、帰るな。何時でもメールしろ」
「サンキュー」
不良はこの人の額を小突いて小さく笑う。
そして振り返りもせずに帰った。
見かけによらず普通の人なのかもしれない。
この人のお母さんのお通夜にも来ていたし。
私はお通夜で見てしまった。
廊下の隅で不良の服を掴んで泣いているこの人を。
不良は何も言わずにこの人の髪を乱暴に撫でていた。
顔を歪ませて、この人が泣き止むまでずっと。
親友なのかな。
少しだけ、不良が羨ましかった。
私は何も出来なかったから。
無力な私が憎らしい。
「あの人と親友なのですか?」
「九藤?うーん、一番仲が良いって言えばそうかな。親友かも」
廊下を歩きながら嬉しそうに笑う。
あ、今度は本物だ。
本当に笑ってる。
あの不良の存在は大きいんだ。
…何だろう?
胸がモヤモヤする。
「空とは中学からの仲かな。お互い違う意味で浮いてたから」
「空とは?」
「九藤の名前。九藤か空、気分で変えるんだ。統一したら面白くないじゃん?」
よくわからない。
でも一応頷いておいた。
否定する意味がないから。
するとまた嬉しそうに笑った。
この人の笑顔は好きだ。
胸がドキドキするけど、嫌じゃない。
安心する。
もっと楽しそうにしてくれればいいのに。
これは我が儘だろうか?
欲張りになってきたな、私。
今この時間が最高に幸せなのに。
教師に指示された教室に入ると担当の教師はプリントの丸つけをしていた。
授業で集めた宿題プリントかな。
よくわからなかったから適当にうめたけど。
きっと点数は低いな。
仕方ない。
苦手なものは得意になれない。
「遅かったな」
「すんません。俺が職員室に寄るのを着いてきてもらったんです」
「遅くなってすみません」
赤ペンを動かしながら顔も上げずに言う。
すかさずこの人が謝るけれど視線はまだプリントに。
怒ってるな。
遅れたことか、検定のことか。
原因は定かではない。
もしかしたら両方かもしれない。
それから二人は教師の前の席に座り、延々と話を聞かされた。
学年で落ちたのは私達だけらしい。
しかも、今回の検定問題はとても簡単だったとか。
丸つけをしながら教師は話した。
落胆の色を含む重い溜め息を吐き出されても、過ぎたことはどうしようもない。
落ちたのは事実だ。
背筋を伸ばして聞いている私の横で頬杖をつく彼。
態度悪いな。
もっと怒られるよ。
あ、欠伸した。
疲れてるのかな。
ちゃんと寝れてないのかな。
それならしょうがない。
理由はわかっている。
運動部なのに睡眠不足って大丈夫かな?
今度、商店街で何か役立つ物を探しに行こうかな。
彼の邪魔にならない程度の物を。
何がいいだろうか。
…しかし、話が長いな。
もう十七時を回っている。
晩御飯までに帰れるだろうか。
お腹空いた。
あ、また欠伸した。
寝ちゃいそう。
視線が合った。
彼が苦笑する。
私も小さく笑った。
結局、十七時半までお説教を聞かされた。
しかも次回また同じ検定を受けなくてはならない。
最悪である。
数日後の帰り道。
グラウンドでサッカーをしてる彼を見かけた。
元気に走ってる彼は輝いてる。
心底楽しそうだ。
「…ちょっとだけ」
帰ってもやることがないから、少しだけ見学。
渡したい物もあるし。
貰ってくれるかな。
もし『要らない』と言われたらお父さんにあげよう。
有効活用有効活用。
そういや休憩って何時だろう。
後もうちょっとかな?
あ、目が合った。
手を振られたので振り返す。
やっぱりまだ元気ない。
ずっと見てきたから、何となくわかってしまう。
―よし、決めた。
無理矢理にでも渡そう。
鞄の中に入っている物を取り出して、彼に見つからないよう背中に隠した。
ドキドキする。
早く来ないかな。
喜んでくれると、いいな。
三分後、休憩のホイッスルが鳴る。
駆け足で来る彼。
イメージトレーニングした台詞を頭で何度も繰り返した。
顔は何時も通りだろうか。
手ぐしで髪を整える。
やけに熱い。
荒い呼吸を繰り返す彼が前に立ち、両手でプレゼントを渡す。
イメトレした台詞を口にした。
若干早口になってしまった。
挙動不審だったかもしれない。
彼がプレゼントを貰ったらすぐ帰ろう。
今すぐ帰ろう。
「…プッ」
「!?」
俯いた私の頭上でプレゼントを貰った彼が吹き出したのは、その数秒後。
驚いて顔を上げた私の目の前で、松林君が大笑いする。
笑ってくれたのはいいが、恥ずかしくてまともに見れない。
ちゃんと見なきゃ。
貴重な笑顔なのに。
私の馬鹿。
バカバカバカ。
「ありがとな坂倉。久しぶりにこんなに笑ったわ」
クスクス笑いながら松林君がお礼を言う。
…私には勿体無いお言葉です。
此方こそありがとうございます。
笑ってくれればそれで満足だから。
…よし、今がチャンスだ。
最後の勇気を振り絞り、私は言った。
我が儘だと言われても構わない。
噛むなよ、私。
「そ、それ、大切にしてください。松林君が元気になるおまじない、かけたから。効果ありますから。お願いします。
バ、バイバイ」
松林君の返事も聞かずに走り出した。
ローファーで初めて走ったけど、案外キツイ。
こんなことならスニーカーにするんだった。
ああ、もう、穴があったら飛び込みたい。