time51.変えられた未来
『空に突如現れた巨大な物体ですが、先程専門家の分析から徐々に地球に近づいて来ている事が分かりました。早急の解明を必要とし、尚且つあの物体をどのように回避させるのかが問題となっております。国民の皆様はくれぐれもパニックにならないよう、落ち着いて的確な情報を元に行動して下さい……』
永市の車に備え付けられたカーナビから、はっきりとしたアナウンサーの声で現状が告げられた。どうやら突如空に現れた大きな球体が、地球に向かってきているらしい。
「どういう事よ!こんな大きなのが衝突したら、地球自体お終いじゃない!」
永市の車に乗って、テレビにしがみつきながらアイが喚く。一方ケイは車にもたれかかるようにぐったりと座っていた。きっと自分のせいだと咎めているに違いない。自分が永市を、重要人物の先祖を殺してしまったから、この地球ごと殺されるのだと。
望美は二度と動かない永市の死体を見た。永市は、ケイの先祖でもあった。自分がケイに惹かれたのは、永市の血が混じっていたからなのか。
顔にハンカチがかけられており、その横でマリアが何やら復唱している。弔いの詠唱なのか、それとも復活の呪文か。どちらにせよ、この状況には似付かわしくない気がした。一通り泣き枯らした瞳には、もう同情の色しか浮かばない。
ケイの事を恨んでいる訳ではない。むしろ結果的に自分を助けてくれたのだから、感謝しなければならない。望美は重い足取りでケイの前に立った。
「ケイ……さっきは助けてくれてありがとう」
声をかけても、顔を上げる素振りも見せない。しかし、この状況でほおっておく訳にもいかない。
「全部貴方のせいじゃないわ。私も勝手な事して永市を挑発させた……この状況は私も同罪よ」
身体に触れようと手をのばす。既に別人となってしまったケイを、自分は救えるのだろうか。
『これで、最後だな』
ケイの言葉を思い出し、望美は手を引く。駄目だ、今のケイに触れてはならない。
「いや……俺が止めを刺したからだ。俺が未来を変えたから、地球の未来が変わってしまった」
覇気のない口調とため息。ケイは完全に抜け殻のようにくたびれている。望美もどうしたものかと肩をすくめ、空を見上げた。巨大な球体が太陽を覆い隠し、昼間なのに薄明るい夜のようだ。
「あの物体、何とかならないかしら」
「無理だな。規模が大き過ぎる。大気圏でも燃え残って、地球を殺しにくるだろう」
すなわち世界の終り。まさかこんな形で人類の滅亡が実現するとは。望美は遙か遠くに点在する街を見下ろした。今頃世の中全体がパニックに陥っているに違いない。誰がどう見ても世界の終りを予感させる事態だった。
「そうよ!あたし達だけ先に未来に帰ればいいじゃない」アイが閃いたように顔を上げた。「ね、マリアちゃんもそう思うでしょ?」
問われたマリアは顔を上げると、静かに首を振った。
「この状況で未来に帰っても、恐らく地球自体が無くなった先の未来にしかたどり着けません。私達は車で宇宙をさまようだけになります」
「そんなぁ!」アイががっくりして座席にもたれかかった。「じゃあ、あの物体をどうにかしない限り、あたし達未来に帰れないじゃない!」
泣き叫ぶアイを横目にマリアは立ち上がると、ケイの車の運転席側に乗り込んだ。何やらスイッチを色々動かしている。気になった望美はマリアの元に行き、窓の外から覗き込む。
「マリア、何しているの?」
「あの物体の大きさと速度、地球到達時間を計算出来ないかと思って」血の乾いた指が忙しなく動きまわる。「直接情報回路に接続した方が早いですね」
何やら勝手に決断すると、マリアは車を降りてぐったりした抜け殻のケイの元に向かう。
「ケイさん、しっかりして下さい。永市さんが死んだのと、空に巨大物体が出現したのは明らかに関連しています。だったらあれも何とかするしかない、そう思いませんか?」
マリアがケイの腕を引っ張る。ケイが嫌そうに顔を上げた。
「何とかするって、どうするつもりだ」
「私があの物体を破壊します」
マリアがはっきりとした口調で述べた。ケイが気付いたように目を見開く。
「だが……それではお前が死ぬぞ。それにあの大きさを破壊出来るとも限らない。ましてや記憶の欠落があったように、何処か損傷を起こしてでもしたら――――」
「それを今から計算するのです。早く起きて下さい」
マリアは無理矢理ケイの身体を立たせると、永市の死体を避けて車に戻ってきた。望美も何だか複雑な状況でマリアを見守る。マリアは未来で起こす予定の計画を、あの球体に向けて実行しようと言うのだ。
「私の何処かに端子は付いていますか?」
マリアが車の下部から黒いコードを引っ張り上げる。
「ああ。首の後ろ、髪の毛の生え際だ」
ケイが丁寧にマリアの後ろ髪を掻き分け、黒いコードをねじ込む。思わず望美は目を瞑った。恐る恐る目を開け、マリアとケイのやり取りに耳をすます。
「かなり高性能なコンピューターを積んでいますね。流石時空を移動するだけあって、この耐久性なら大気圏でも大丈夫そうです」
「そうか。あの物体付近まで移転出来そうか?」
「それは何とも……物体の情報が少なすぎますが、一応上空にも転移は出来るようです」
マリアは目を瞑ってぶつぶつと何やら呟く。テレビを見入っていたアイが、悲鳴を上げた。
「あの物体の到達時間、およそ六時間後ですって!」
世間の状況も気になった望美は、アイの所に小走りで向かった。一緒にテレビを食い入るように見つめる。
『突如空に現れた巨大物体は、後六時間後に地球に到達する模様です。尚、あの大きさでは大気圏でもかなり燃え尽きる事なく地球に到達するであろうと見込まれ、人類が始まって以来の危機的状況とも思われます』
心なしかアナウンサーの声が震えている。望美は他のチャンネルもチェックしてみるが、どれも同じような特番に切り替えられ、皆口々に世界の終りだと嘆いていた。
「何よ、永市が死んで、過去が変わったから世界も終わるって言うの?やっぱり未来をそう簡単に変えちゃいけなかったんだわ!」
祈るように手を合わせ、肩を震わす。望美は思わずアイに聞いた。
「ケイの事、責めたりしないの?」
一瞬どういう意味かと首を傾げてから、向こうの車に乗っているケイを見た。
「起きちゃった事だもの、今更責めた所でどうにもならないわ。一発殴ったらすっきりしちゃった。それに永市を逃がした責任があたしにもある。実は永市を縛ったの、二回目だったのよ。だから逃げられたんだわ。それにあの時ケイが永市を殺していなかったら、望美さんが今頃あそこに横たわっていたのかもしれない」
二人でハンカチをかけられた永市を見る。永市は自分に銃を突き付け、盾にし、殺そうとした。しかしその経緯に至るまでは皆に責任があると言いたいのだろう。確かに自分もケイから離れるなと言われていながら、勝手にうろうろ出歩いていた。こうなったのは、本当に運命としか言いようがないのではないか。
望美はマリアを見た。あの子は真っ先に永市の元に行き、何とか助けようとしていた。今だってこの状況を何とかさせようと躍起になっている。自分は、一度未来を諦めてしまった。あの時、ケイにも永市にも死なせて欲しいとせがんだ。なのに生き残ってしまっている。これが自分の運命なのか。
「ところで、あの二人は何をしているの?」
アイが不思議そうに向こうの車に乗っている二人を伺う。望美がマリアの計画をここで実行するつもりなのよと説明してやると、アイの顔に焦りが現れた。
「あの車ごと自爆するつもり?だったら、あたしはどうやって未来に帰るのよ!」
自分の意志とは裏腹に、勝手に物事が進行している。アイが車のドアを勢い良く開けて、ケイ達の元に走り、何やら口論し始めた。望美も黙ってついて行く。
「待ってよ!それじゃあたしはここに残れって言うの?過去で生きろと?冗談じゃないわ!」
「でも今この状況を何とかしない限り、ここでの未来もありませんよ」マリアが顔を上げずに冷たく言い放つ。「計算、出ました。転移は今から約十分後。身体及び記憶の損傷で害する不爆発の可能性――――2.75%。目標到達地点に上手く転移できる可能性――――76.43%。見事破壊し、地球に隕石が到達しない可能性――――0・04%」
「嘘!だったらどの道終りじゃない!」
アイががっくりとその場で膝を折る。マリアは更に続けた。
「細かい隕石は大気圏でも燃え残り、多少なりとも地球に落ちてしまいます。落ちる場所にもよりますが、あくまでもクレーターレベル。地球壊滅までには至りません」やっと顔をあげ、マリアが笑う。「大丈夫、この星は救えます。救ってみせます」
マリアの導き出した結果に、望美は綻びを見せた。
「良かった、じゃあ地球は助かるのね」
「はい」
力強く頷くマリアに、アイちゃんも安堵の表情で答えた。一方ケイは納得しない表情で反論する。
「しかし……あの物体を破壊して地球壊滅を阻止したとしても、その先の未来に絶望的な出来事が訪れるかもしれない」
ケイの言葉に一同は返す言葉が見つからなかった。確かにあれ以上厄介な物が再び出現し、地球を襲うかもしれない。未来の保障など何処にもないのだ。
「そうかもしれませんし、そうでないかもしれません」胸に手を置き、心音を確かめながら息を吐く。「しかし、今を精一杯生き残るのが、人間ではありませんか?」
マリアの問いに皆顔を見合わせた。そうだ、自分達は人間。今を生きている人達。今を生きずに未来があるというのか。アイがマリアに膝まずき、まるで女神に許しをこうかのように呟く。
「そうよね。今を生きられるのなら、もう未来でも過去でも構わないわ。マリアちゃん、あたしはどうしたらいいの?」
怯えているアイにマリアは優しく微笑む。
「アイさんは過去で生きる事になります。同じくケイさんも。その覚悟だけしておいて下さい」
「待て!」ケイがマリアの言葉を遮り、か弱い肩を掴む。「俺が運転してマリアを自爆地点まで連れて行く。この責任は俺にも償わせてくれ」
「ケイ……」
望美はケイの瞳を見た。この状況に対してなのか、死に対してなのか。とても怯え、微かに唇も震えている。マリアはケイの心情を悟ったのか、肩に乗せられた大きな手を優しく包みこんだ。
「それは駄目です。ケイさんはここで生きるのです。そして、罪を償って下さい」マリアが永市の死体に目をやった。「私がこの車を乗っ取り、操作します。そして助手席にはあの方を」
マリアの指す方向には、もう二度と起き上がらない永市が横たわっていた。
「あの死体を連れてどうするつもりだ。派手に火葬でもする気か」
ケイが冗談交じりで尋ねたが、マリアは真剣に頷いてみせた。
「その方が処理に困らないでしょう」言ってから気がついたように振り向く。「もしかしてお姉ちゃんは、こっちで火葬したい?」
ううん、と望美は首を振ってから微笑む。
「永市も連れてってくれるのね。ありがとう。マリアはあの男の事、嫌いじゃなかったの?」
マリアがうーんと少し考えてから笑った。
「お姉ちゃんやアイさんは嫌っていたけど、私はわりと好きだったかな」
意外な回答に、望美とケイは顔を見合わせた。
「そっか。だったらあいつも、少しは浮かばれるかもね」




