time46.最後の喜び
望美が目を覚ましてリビングに入ると、ケイはとっくに起きていたらしく、出かける準備をしていた。最初に出会った時のモビルスーツを着て、銃の整備をしている。
「おはよう」
眠い目を擦り、時刻を確認する。午前八時過ぎ。インターホンが鳴るわけでもないのに、望美は玄関の方を見つめた。待ち合わせの時刻は午前十一時だ。
「おはよう」顔を上げることなくケイは言う。「まだ早い、もう少し寝ていたらどうだ」
「ううん、自然に目が覚めたからこのまま起きるわ」
そのままリビングを横切り、洗面所で顔を洗う。今日がケイとアイちゃん、そしてマリアとのお別れの日だった。思い返せばこの数日間、自分はなんて濃い日々を過ごしてきたのだろうか。
完璧に目を覚まそうと、望美は気合を入れて頬を叩く。自分はマリアに何かしてあげられたのだろうか。何故かやりきれない気持ちで頭が一杯だった。今更どういう顔をしてマリアやアイちゃん、そして永市と対面すればいいのだろう。
着替えをし、化粧を施して外に出る身支度を整える。ケイがそれを待っていたかのように声をかけた。
「そろそろ出かけようと思うが、その前に何か食べていくか?」
あまり食欲はなかったが、ケイが何か食べたいと言ったのでトーストを焼いてコーヒーを淹れてやる。これが二人で食べる最後の食事だと思うと、随分と侘しい気がした。
「元気を出せとは言わないが、最後くらい笑顔を見せて欲しい」
ケイがコーヒーを啜りながら呟く。理不尽な要求だと望美は腹を立てたが、すぐにその気持は去った。ケイがこの先生きていようが死のうが、二人の関係はこれで最後なのだ。
「じゃあ笑顔にさせてよ」
意地悪く笑う。そう言うとケイが優しくキスしてくれるのを知っていた。
「待ち合わせ場所では何が起きるか分からない。最悪、アイと戦う事もあり得るだろう。望美は二人が帰るまで、なるべく俺の近くにいろ、いいな」
「分かった。でも、喧嘩別れなんてしないでよ。私、アイちゃんの事好きだから」
「分かっている。俺もどちらかと言うと平和主義者だ」
玄関でもう一度口づけを交わしてから、二人は外に出た。下のエントランスで待つように言われて五分後、ケイが二人乗り用の黒いへんてこな車に乗って戻ってきた。
「やっぱりその車だったのね」
前に一度だけ公園前に止めてあったのを覗き込んだ覚えがある。変なメーターにスイッチが沢山埋め込まれた黒い車。これが未来のタイムマシンなのか。望美はバックトゥーザフューチャーと言う映画を思い出した。
「待たせたな、乗ってくれ」
「……やっぱり乗らなきゃ駄目よね」
思わず顔がひきつり、足が竦む。自分は一年前の交通事故以来、車には一切乗ってはいない。車に恐怖心を抱いており、外に出るのもマリアに出会う前は必要最低限に留めていた。でも、そんな自分からそろそろ脱出するべきなのかもしれない。望美は勇気を振り絞って助手席に乗り込んだ。
「顔色が悪いぞ、車酔い酷いのか?」
ケイが車を発進させながらミラー越しに確認する。
「……そうね、そんな所よ」
「そうか。気分が悪くなったら早めに言ってくれ」
望美は適当に頷くとなるべく遠くの景色を見るように心がけた。
目指すは比叡山中腹にあるガーデンパーク。今は閉園中の為、取引自体は駐車場で行うことになっている。無事に二人とも未来に帰れるのかしら。見たこともないタイムトラベルに期待と不安を抱きながら、車は穏やかに比叡山を目指す。
車に揺られて一時間弱。その間車内で二人が口を交わすことはなかった。もうお互いに語れる事は全て語ったつもりだった。無事、駐車場に辿り着くと望美は真っ先に車から降りる。うっすら積もった雪が、太陽に照らされて輝いていた。見渡す限り自分達以外誰もいない。まだアイちゃん達は着いていないようだ。
「まだ三十分くらい時間があるな……少し早く着き過ぎたか」
ケイは車に留まり、何やらグラフとにらめっこしながらスイッチを操作している。望美はケイを残して駐車場からふもとの景色を眺めた。ここ最近雪は降っていないが、それでも辺り一面銀白色がよく目立つ。望美は自然の濃い空気を何度か深呼吸して取り入れる。今日は風が少ない分、寒さが軽減された気がした。
「あんまり端の方に行くと落ちるぞ」
ようやく車から、ケイがコートを羽織って出て来た。腰に拳銃が装備されているのを望美は素早く確認する。もしかしてここで永市を仕留めるつもりかもしれない。はっとして思わず息を飲む。
「どうした、突き落とされると思ったか?」
ケイが無理に笑って自分の髪を撫でる。急にケイがどこか遠くに行ってしまうような気がして、望美は反射的に抱きついた。
「…………っ」
まだ泣く訳にはいかない。望美は唇を噛みしめ、ケイが今ここにいる最後の喜びを確かめた。ケイも優しく望美を抱き寄せ、キスをする。
「これが、最後だな」




