time41.二人のマリア
しばらくしてアイさんがホテルに戻りたいと言い出した。だから永市さんに車を出すようにとお願いしている。
「いったん、シャワーを浴びに帰るわ」
「シャワーなら家にあるだろうが。それくらい貸してやるよ」
永市が風呂場を指すが、アイがろこつに嫌な顔をした。
「まさかとうさつでもするつもりじゃないでしょうね」
「するかよ、そんな自殺こうい!」
永市がはき捨てながら新しいタオルをアイに投げつけると、さっさと入れと手で追いやる。
「マリアちゃん、この男が風呂場に入って来ないか見張っててよ!」
テレビを見ていたマリアにそう告げてから風呂場に向かう。シャワーから水が出る音を確認すると、永市がこちらに近づいて来た。
「なぁ、マリアちゃん。今の内に二人でこっそり逃げようぜ」
このチャンスを待っていましたと言わんばかりに耳打ちする。マリアも素直にうなずいた。
「永市さんも同じ事を考えていたのですね。でも、今は駄目です。逃げるのなら今夜しかないでしょう」
そう言って時計を見る。その仕草に永市がふしんな顔をした。
「取引とやらは明日なんだろ?だったら早く逃げた方がいいじゃないか」
お前らの考えはお見通しだぞと言わんばかりに口元がゆがんでいる。マリアはそれをしれっと交わした。
「やはりあのけりで起きましたか。私にしつこく側で寝させて欲しいと志願したのは、実は見張るためですよね?」
「正解。俺は基本的に人間を信用しない質なんでね。それで、お前はどっちの味方なんだよ」
大きなごつい手で頭を押さえつけられる。深夜の会話をぬすみ聞きしていたか。マリアは永市の力に刃向かうことなく続ける。
「私も基本的に人間は信用しないようプログラムされています。人間は感情でどうとでも転ぶ人種。言葉などあって無いような物。昨日は武器を所有しているアイさんから先に味方に付けただけです」
「じゃあ武器を持っていない俺は、味方にならないって訳か」
さらに力が加えられる。その程度でこわれるわけもないのに。マリアはふとお姉ちゃんがこの男とけっこんしたのか疑問に思った。
「それは違います。先に立場を左右させる人物から押さえただけの事。私は未来に帰るつもりはありませんから」
永市がおどろいて手をのけた。マリアはそのまま真っ直ぐ永市をにらみつけてやる。
「うそつけ、お前昨日あいつに言ってたじゃねぇか。未来に帰ると」
「あれは私の本心ではありません。アイさんを安心させるためのうそ。どうして死ぬと分かって未来に帰らなければならないのですか、バカバカしい」
この男から離れようとマリアは立ち上がる。思いもよらない態度にたじろぐ永市を横目で確認した。
「記憶にはないですが、私は未来の施設でかんきん状態に置かれていたと思います。身体のあざもやっと薄れてきました」そう言いながら自分のうでを見せつける。「せっかく自由になれたのに、またひどい未来に帰るのは嫌です。私はここでお姉ちゃんと一緒に生きていきます」
そりゃそうだと永市は無理矢理うなずいてみせると、マリアの背中を軽くたたいた。
「ははは、それが普通の判断だよな」ちらっと風呂場の方に視線を向ける。「だったら取引の事、くわしく教えろよ」
自分をおどすように身体をだきよせられる。この男にまずは本当の事を言うべきなのだろうか。マリアの頭の中では二つの人格が入り交じっていた。
一つは兵器としての自分。アイさんと共に未来に帰り、計画を達成させなければいけない責務。そしてもう一つは人間として、つまり妹としての自分。このまま過去に居続け、お姉ちゃんと一緒に暮していきたい願望。この二つがまるでスイッチのごとく消えたり、現れたりしていた。
どちらを選択すればいいのか判断に迷っている。自分はどちらの味方に付けばいいのだろうか。とりあえず今は話を聞かれていたのを理由に、本当の事を話した方がいいだろうとマリアは決めた。
「取引は明日の十一時。場所は比叡山にある今は閉園中のガーデンパークの駐車場。そこでケイさんの車と、貴方が取引されることになっています。こちらの出した条件は私達が未来に帰るまで、永市さんには手を出さないこと。つまり私達が未来に帰るまでは、貴方の生は保障されます」
「何だよ、そりゃ」永市はあまっている方の手でマリアを小突く。「お前らが未来に帰ったら、俺はケイって奴に殺されるって事じゃねぇか」
「そうです。でも、私は未来に帰らない。明日の取引場所で少し暴れてみようと思います」
口に出してみて、自分は何を仕出かすつもりなのだろうと考え始めた。未来に、自分の運命にていこうしようと言うのか。思わぬ思考の行き先に、マリアは薄ら笑いをうかべた。
「暴れるって、どうするんだよ」
「そうですね……お姉ちゃんを人質にして、二人が未来に帰らなければ自爆するってのはどうですか?明日の取引場所にはお姉ちゃんを必ず連れて来るように言いつけてありますし」
頭の中でシミュレーションを試みる。永市がとんでもないと制した。
「どうですか?じゃねぇよ。自爆は未来でする計画なんだろ?過去で自爆されてたまるか」
「おどすだけですから、実際に自爆まではしませんよ。ただ万が一自爆した場合、確実に日本の半分は吹っ飛ぶでしょうね」マリアが悲しく付け加える。「私は歩く時限爆弾ですから」
「そんな事本当に出来るのかよ」永市があきれたように座りこむ。「相手は二人とも軍隊の連中だぞ、お前が取り押さえられたら終りじゃないか」
その通りだった。防御プログラムはあっても、攻撃プログラムは一切組みこまれていないようだ。それに自爆出来るかどうかもさだかではない。こちらに転移された時の衝げきで上手く機能しない可能性もあった。マリアはそれもそうですねと笑ってごまかした。
「やはり今夜逃げ出すのがだとうですね。少し問題もありますが」
「問題?」
「まず私の身体に発信器か何か付けられている事です。ケイさんの車を使えば一瞬で居場所がばれてしまいます」
「はっ、そんなの車で逃げまわっていれば問題ないだろ。現に望美だって海外かどっか遠くに二人で逃げようとしていたじゃないか」
そうしてくれるのならそれでいい。しかしやっかいなのはアイさんの方だ。
「それと……アイさんをどう押さえるつもりですか?恐らく睡眠薬等は効かないですよ」
さすがに食べ物は警戒されている。現に永市の買って来たお寿司やお節も、アイは最後に手を付けていたではないか。二人ともだまりこむ。それが一番の課題だった。
「ならしばるかどうにかして、身動きが取れないようにするしかないだろ」
簡単に言ってのけるが、この二人でアイを捕らえられるとは思えない。体術はトップクラスだろうし、奇跡的に捕らえる事が出来ても簡単ににげ出されてしまうだろう。
「二人でアイさんを捕まえるのはまず無理です。どこかに呼び出し、そのすきに逃げるしかないでしょう」
永市には今夜、明日の取引の事で自分がアイを外に呼び出すと告げた。二人一緒に逃げるのは困難なため、やはりどちらかがぎせいになるしかない。となれば、殺されては困る永市を優先的に逃がしてやるしかないだろう。それにこの男がどういう人物なのか大体把握出来ている。
少し一人になりたい。マリアはトイレに行くと鍵をかけ、そのまま立ちつくした。両手をながめてみる。血色の良い手が付いていた。
自分は、どうしたいのだろうか。どうすればいいのだろうか。自分は人間なのか、それとも兵器なのか。これは自分の意志なのか、それともプログラムなのか。二人の自分が頭の中でせめぎ合っている。わからない、わからない。どうすればいい、助けて、お姉ちゃん。
思わず叫び出したい衝動を手の平で押し戻すが、その代わりに涙が一すじ流れた。




