time30.兵器のマリア
だれかの話し声がする。
マリアがうっすらまぶたを開けると、目の前に男の背中と、アイさんの顔が確認出来た。
「へえ、じゃあこのマリアって子はそんなにすごい兵器なのかよ」
男がこっちをふり向いたので、マリアはあわてて寝ているふりをした。今、起きてはいけない気がする。
「問題はどうやって未来に帰るかよ。車をうばったとしても、明後日までここを動けないわ」
「時空の流れとやらでか?……はぁ、未来のタイムマシンは不都合だな。とっととあんたに帰って欲しいのに」
「あたしだって好きで一緒にいるわけじゃないわ。こんな変人を守らなくちゃいけない立場も考えてよ」
「ふん、変人で悪かったな」
おそらく男の方が立ち上がり、足音が自分から遠ざかって行った。続けてもう一つ足音が遠ざかって行く。
どうしよう、今なら起きても大丈夫だろうか。マリアはゆっくりとまぶたを開けると、辺りを見回した。ところせましと雑誌や本などがつみ重ねられ、足元にはなぎ倒されたのか色々な日用品が転がっている。あの男の人の家だろうか。お姉ちゃんは?お姉ちゃんは何処なの?マリアがあわてて周囲を見回すが、お姉ちゃんらしき人物は見当たらなかった。そしてなぜか自分はしばられていて、思うように動くことも出来ない。
「おう、起きたのか」
後ろで声が聞こえたのでふり返ると、先ほど自分に背を向けていた男だった。背が高く、わりとがっちりしていて、遊んでいそうな男。前に一度会った事がある。この人、たしかお姉ちゃんの元だんなさんだ。
「お前も俺もさんざんな目にあったな……アイちゃんはどうした」
分からないので首をよこにふる。男はそうかと言って、マリアのしばりをといてくれた。
「何もしばることはないよな……お前、さっきの話聞いてたか」
さっきとは、いつからどこまでの話の事だろうか。マリアは返答にこまり、周囲を見わたした。そうだ、お姉ちゃんはどうしたのだろう。
「あの……お姉ちゃんは?」
「お姉ちゃん?……ああ、望美の事か。さあな。今ごろハンサム男と一緒にいるんじゃないか」
ぽん、と頭に軽く手を置かれる。そうか、自分はゆうかいされたのだとマリアは気が付いた。
「私……ゆうかいされたのですか?」
変な質問をしてしまったらしく、男が鼻で笑った。
「ゆうかい?……だったら俺もゆうかいされているようなもんだな。俺もアイちゃんにおどされているんだよ」
アイさんに?どうしてだろう。
「どうしてですか?」
「こっちが知りたいよ。とにかく俺はケイと言う男にねらわれているらしい。そいつから守るためだとさ」
ケイさんがこの人を?マリアはわけがわからなくなった。自分はさっきまでお姉ちゃんといっしょに、ケイさんから逃げていたはずだ。そうだ、道路をわたっていた時に車が突然現れて……気がついたらここにいた。でも、お姉ちゃんはここにはいない。自分だけが連れて来られた。
「どうして私だけ連れて来られたのですか?」
「お前、未来の兵器なんだとよ。知ってたか」
兵器……。マリアは自分の手足を見た。そう言えば車とぶつかったはずなのに、どこもけがをしていない。おかしい。
「お前、実は強いんだろ?だったらアイちゃんからにがしてくれよ、たのむ!」
頭を下げられても、マリアはどうすればいいのかわからない。普通の女の子ではない、と周りの状況から感じ取っていたが、まさか自分が『兵器』だとは思いもよらなかった。お姉ちゃんと会う前の記憶が無いのも、自分が機械か何かだからとでも言うのか。
「そんな事言われても、困ります」
自分の事が一番分からなかった。いや、考えないようにしていただけなのかもしれない。ただお姉ちゃんといっしょに暮す。それだけで良かったのだ。
マリアは異物を抱えこむように両手で顔をおおった。水分が目からあふれ出るのを皮ふで感じる。良かった、涙は出るみたいだ。
「悪い、泣かせるつもりはなかったんだ」男が近くにあったタオルを差し出した。「俺も余裕がないんだよ」
タオルにあるていど感情を押し流すと、マリアは立ち上がって外を見た。ここは二階だ。これくらいの高さなら自力で下りられない事もない。ふと前が大きくへこんだ青い車が目に止まった。あれだ、自分がぶつかったのはあの車だ。
マリアはもう一度自分の身体をゆっくりとながめた。やっぱりどこもけがをしていない。痛みもない。自分は、人間ではない。しかし、その事をすなおに受け入れている自分もいる。どうしてだろう。なぜか今、おどろくほど冷静だった。これも機械だからとでも言うのか。
お姉ちゃん、大丈夫かな。マリアは外の日がしずむ様子を、じっとひとみに焼き付けた。




