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time26.失った物

「ケイは今日、帰ってくるのかしら」

「多分。夜までには戻ると言って、出て行ったから」

「じゃあ明日、ケイと見張りを交代したら一緒に逃げましょう」

「逃げるって、何処へ」

「何処へでも。とにかく四日後に戻ってこられる範囲なら」

「そう……」


望美は考えるフリをした。ケイから逃げた所で、アイからは逃げられない。それにあんな物騒なのを持ち出してきた。どうにかして二人から逃げられないだろうか。


「アイちゃんの考えは分かったわ。荷物はまとめておく。それで、今晩ケイとはどう接すればいいのかしら」

「どうって、いつもどおりで頼むわ。下手に探ろうなんて考えないで、それはあたしの仕事だから。……明日また落ち合いましょ」


そう告げてアイが出て行く。望美は去り行く背中に、再度確かめた。


「ケイは本当に、永市を殺すと思う?」


アイが立ち止まり、寂しそうに呟いた。


「あたし達は与えられた任務をこなすだけ。それ以上でも、それ以下でもないわ」


返す言葉を探している内に、アイは出て行ってしまった。ケイが単独で永市を……消す任務に、アイは反感を抱いているのだ。二人の任務事情まで知らないが、仲間割れを起こしているのは間違いない。とにかくもう、面倒事に巻き込まれるのは嫌いだ。

望美はふと永市の事を想った。未来の敵である先祖があんな禄でもない男だなんて。永市が死んだところで、自分は悲しむだろうか。いや、かえって清々するかもしれない。酷い女だ。望美は薄ら笑みを浮かべながら、アイの話に乗っても良いものだろうか頭を抱えた。

ふと後ろから視線を感じた。マリアが恐る恐る顔を覗かせている。


「マリア……」

「ごめんなさい……マリアのせいだよね、お姉ちゃんが困ってるの」

 

突然マリアがそんな事を言うものだから、望美はびっくりした。


「何言ってるの、マリア」望美はマリアの頭を撫でてやる。「私はちっともマリアのせいだと思ってないわ」

 

大人の揉め事にいい加減気がついているはずだった。こちらにそんな気がなくても、子供は自分が悪いと咎めてしまう。塞ぎ込んでしまう。望美は精一杯マリアを励ました。


「でも……」マリアが目をきょろきょろさせる。「あの二人はマリアを迎えに来たんだよね?」


流石に気付いていたか。望美は隠さずに告げた。


「そうよ……でも、私はマリアを手放す気は無いから」

「どうして!」マリアの瞳から涙が零れた。「どうして助けてくれるの。道端で倒れて記憶のないマリアを……どうしてっ……!」

「好きなのよ、それじゃ駄目かしら」

 

しゃくりあげているマリアを、望美は優しく抱きしめる。そう言えば二人っきりになれたのも三日ぶりだ。知らず知らずの内に自分が張り詰めていたものが、マリアを傷つけてしまったのだろう。


「ごめんね、マリア……不安にさせて」

「ううん。マリアの方こそ迷惑かけてごめんなさい」

「謝るような事、何もしてないでしょ」マリアの頭を軽く小突いてやる。「好きだとか言ったけど私……本当は失った物を取り戻したいだけなのかもしれない」

「……失った物?」

「一年前に娘が交通事故で死んだのよ。ちょうどマリアぐらいの年頃でね。それで塞ぎこんでいた所にマリアが現れた。私にとって、マリアは天使に見えたわ」

「天使って」マリアが笑った。「大袈裟だよ」

「自分勝手で悪いけど、私はマリアと離れる気無いから。二人の元には絶対行かせない」

 

再び強く抱きしめる。マリアも強く縋りついてきた。


「お姉ちゃん、マリアの事、嫌いじゃないの?」

「嫌いだったらこんな事しないわよ」

「そっか」

「明日は二人だけでここを出ましょう」

「アイさんはいいの?」

「アイちゃんは……危ないわ、まだケイの部下だもの。今は裏切られて腹を立てているけど、また仲良くなるかもしれない。アイちゃんには悪いけど、ここで留守番していてもらいましょう」望美はマリアと正面で向き合った。「マリアは……あの二人と離れて平気?」

「うん。だってお姉ちゃんと一緒にいたいもん」

「ふふ、ありがと」

 

照れ隠しにマリアの頭を乱暴に撫でてやる。やめてよ、と嬉しそうにマリアが抵抗した。





夕飯を二人で簡単に済ませた後、ケイが帰ってきた。二人で思わず緊張する。マリアは逃げるように部屋に戻ってしまった。

「おかえり」

「……ただいま」


ケイが部屋の暖かさに顔をほころばせ、コートを脱ぐ。望美は食器を片付けながらケイの顔色を伺った。この男が、永市を殺そうとしている。しかし何処か張り詰めた表情からは、失望と落胆が入り交じっているように見えた。


「お腹空いてない?ご飯は食べてきたの?」

「ああ、軽く食べてきたからいい」


ケイは自分用のジャージを買ってきたらしく、袋から取り出して着替え始める。望美はぼんやりとその姿を見ながら言った。


「なら、晩酌に付き合ってよ」


酔えばケイの本音が聞けるかもしれない。アイに止められたが、自分もケイの真意が知りたかった。


「晩酌?……悪いが酒は飲めないんだ」

「あら、そうなの。残念だわ」

やっぱりケイの本音を聞くのは難しいか。望美は諦めて食器を洗い始めた。


「酒はよく飲むのか?」

「最近飲んでないけど、少し前まではね。酔わないと寝付けなかったから」

「そうか。夫婦でも晩酌はしていたのか?」


今のはどういう質問だろう。望美は答えないままでいると、着替え終わったケイが近づいてきた。


「俺に聞かれるのは都合悪いか」

「……そうね、過去を詮索されるのは嫌いだわ」

「でも、その人の本質を知るには過去を辿るしかない……そうだろ?」


ケイが悲しそうに呟く。望美は少し考えてそうかもしれない、と同意した。


「ならケイは、私の本質を知りたいのかしら。私もケイの本質が知りたいわ。慌てて出て行ったけど、今まで何処にいたのよ」

「……いろいろだ。これも買いに行ってた」


ケイがジャージを見せつける。何だか話をそらされたようで、望美は露骨に嫌な顔をした。


「そうやって本当の事を言わないのね。いいわ、私には関係のない事だから」


望美は食器を洗い終えると、ケイの横をすり抜けてこたつに入った。テレビの音量を少し上げる。


「……すまない」

 

どうして皆自分に謝るのだろう。望美は背後にケイの気配を感じていたが、やがて足音が風呂場の方へと向かった。


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