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time17.愛しい女

待ち合わせの場所に着いた永市は、自分の目を見張った。そこにはかつて別れたはずの妻、望美がいたからだ。


「あれ……望美……」


あれから五年程の歳月が過ぎたが、永市はすぐに望美だと分かった。

望美は綺麗な女になっていた。化粧とか、外見の綺麗ではない。洗礼された何か、哀愁を漂わす何かが、望美の空気にまとわりついている。自分との離婚や、何より愛美を失った悲しさが望美をより美しい女性へと変貌させていた。あの目、悲しみと憎しみが深く刻まれた瞳。愛おしく思えた。ぼさぼさで手入れの行き届いていない、ミドルの髪も、素晴らしく思えた。自分と望美は数秒間、いや、もっと長い間見つめ合っていた気がする。


撮りたい、この女を撮りたい。目の前のスレンダーな女よりも、かつて自分の女だった望美の方に二つの眼球は動いていた。しかし、望美は自分を拒絶する。それもそうだろう、ずっと望美を放ったらかしにしてきたのだから。


望美と出会ったのは大学生の時だった。気の合う友人。連れ。お互いに何となく付き合いだし、そして結婚した。愛美まで生まれ、順調に行っていた筈だった。望美はよく気が効くし、家事も卒なくこなす。いい妻だった。しかし自分は、望美が何でもやってくれるのをいい事に彷徨い始めた。仕事を理由に家に帰らない事が多くなった。実際カメラマンという職業柄、あちこちの地方に出向いて撮影しなければならない。仕事を理由に、望美から逃げた。望美の何がいけなかったとかではない。自分が一つのところに留まることが出来なかったのだ。


永市は自由になりたかった。たぶん今でもそうだ。だからあてもなくうろうろして、いい商品に巡り会えばシャッターを切る。父親という職業には向いていなかった、それだけの話だ。


「永市さん、ごめんなさい。あたしもそんなつもりで望美さんを連れてきたんじゃなくて……」

 

アイが寒そうに身体を震わせながら弁解する。永市はもういいよと笑って誤魔化した。何せ君は、僕に最高の商品を提供してくれたんだから。


「今日は何処で撮ろうかな。アイちゃんは何処か行きたい所、ある?」


「わかんない、あたし京都来たの初めてだから」

 

永市がそうなの、と驚く。ではこの子は何処で望美と知り合ったのだ。望美は愛美が亡くなって以来、おそらく塞ぎ込んでいたはずだ。顔にそう書いてあった。そう言えばあの女の子は誰だ。望美に妹はいないし、聞いたこともない。親戚にもいなかったはずだ、愛美のようで、愛美でない女の子なんか。


「とにかく寒いから中に入ろう。お腹は空いてるかな?」


「少し。今日沢山歩いたから」

 

アイが遠慮がちに言う。後ろめたさがありありと顔に表示されていた。


「そう。じゃあ何食べたい?パスタ?それともハンバーグかなぁ」


「……パスタ。あの、やっぱり今日は撮影止めにしませんか?会ってすぐに申し訳ないですけど」

 

アイがそわそわした面持ちで永市に訴える。だが、ここで返してはつまらない。望美の事、あの女の子の事を知りたい。永市は食事だけさせてよ、と半ば強引にアイを連れて行った。




夕食時らしく店内は混雑していた。二人掛けの席が空くのを待ってから、永市とアイは腰を下ろした。


「そんなに落ち込む必要はないよ。たまたま街で会った、それだけだ」メニューを開きながら、永市は目を伏せているアイに言った。「とりあえず何を食べるか決めた?」


「はい……はぁ、望美さん怒ってるよなぁ」

 

アイが上の空で、熱いおしぼりで手を温める。永市は注文してから、アイに尋ねた。


「望美とは知り合いだったんだね」

 

意外なことを聞かれたようにアイが目を見開いた。表情が固い。上手くかわす言葉を探しているな、と永市は判断した。


「まぁ……。今は居候させてもらっているというか何というか……」

 

人は嘘を付く時、目を逸らす者が多い。アイもその内の一人だった。元々嘘を付けない質なのだろう。


「居候?……そうか、それじゃ怒らしたら、家に入れてもらえないなぁ」

 

大袈裟に永市がふんぞり返る。


「えーっ、それじゃケイにも怒られちゃう」

 

アイがあたふたと店内を見渡した。ケイとは誰なのだろうか。まぁ誰でもいいか、自分は望美さえ撮れればそれでいい。


「あの女の子も居候しているの?」


「……うん、今は三人で住んでるよ」

 

望美と小学生の女の子に、若いアイちゃん。どう言う組み合わせで居候に至ったのだろうか。面白そうだ、探ってみよう。


「それにしても接点が分からないなぁ」


「接点?」


「望美とアイちゃんの接点さ」

 

アイがうーんと首を傾げている。自分でも分からないと言った感じに。


「たまたま、ですよ」

 

曖昧な返事だ。永市はどうしたものかと水を含む。アイはこれ以上しゃべってはくれないだろう。

それよりも望美だ。今の望美を撮影しなくては。先程の顔を思い出すだけでも身震いがする。何故だ、昔の望美も何回か撮影した事があった。でも、今の望美はその時以上に価値のある女になった。勿体無い事したな、と永市は心の中で呟いた。


「撮影明日にしてもいいけどさ、その代わり望美も連れてくること、出来ないかな?」


「えーっ、望美さんも撮るんですか?」

 

アイが困った表情で、注文したスパゲティを食べる手を止めた。


「そんなにまずい事、言ったかな?」


「まずいよ、望美さん協力してくれそうもないよ」


「そこを何とかしてくれるのが、アイちゃんじゃないの」


「そんなぁ」アイがクルクルとフォークを回す。「……一応聞いてみるけど」


「ありがとう。今日はこれ食べたら帰ろう、撮影場所は僕が決めておくよ。明日の十時くらいに、また京都駅前でいいかな」

 

アイと明日の打ち合わせを適当にすると、永市はアイと別れるふりをして、アイを後ろから尾行し始めた。家はつきとめておいた方がいいだろう。永市はついでにアイの後ろ姿を何枚か撮りながら後を追った。


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