time10.望美とケイ
どうしてこんな事になったのだろう。望美は後ろからぴったりとついて来るケイに、嫌気をさしながら考えていた。
マリアを取り返しに来たのなら、自分から力づくでも取り返せばいい。そんな事くらい容易いだろう。自分まで見張る必要は無いはずだ。もしかして、自分が二人の事を言いふらすのを恐れているのだろうか。いや、それはない。あんな話、誰も信じてはくれないだろうから。
「少し片付けるから待っていてもらえる?逃げたりしないから」
部屋に入るなり急いで鍵をかけ、マリアの部屋を開ける。マリアはやはりゲームをしていた。自分が帰ってきたのが嬉しいのか、笑みをこぼしている。……これもプログラムだと言うのか。先程聞かされた現実味のない事実は、とても信じられなかった。
「作戦変更よ、マリア。今日から友人が泊まりに来ることになったわ。出掛けるのはとりあえず後回し!」
マリアがまとめてくれた荷物を、そのまま押入れに突っ込んだ。マリアがどうすればいいの?とあたふたしている。
「とにかくマリアも会ってくれるかしら。少し挨拶するだけでいいわ」
不安気な顔のマリアを望美は立たせた。顔を見せてあげるだけでいいからと言って、リビングのこたつに座らせる。
「でも、嫌な人なんでしょ?」マリアは顔を強ばらせる。「お姉ちゃん大丈夫なの?」
「大丈夫、隙を見て一緒に逃げましょう。それまでは大人しくすることにしたから」
相手の手の内がわからない以上、逃げるのは難しいだろう。未来人だか軍人だか知らないが、とにかく一週間があちらの滞在期間らしい。逃げるなら最終日辺りを狙うのが妥当だ。望美はマリアを返す気など毛頭ない。あの二人に返せば、マリアが殺されてしまうだろう。それだけは絶対にさせない。
マリアの心配を他所に、望美はかつて母親だった自分の威厳を取り戻そうと躍起になっていた。自分は五年前、夫から愛美を守ったのだ。今回もマリアを守りぬいてみせる。そう決意してから玄関のドアを開けた。
「お邪魔します」
ケイが丁寧に靴をしまって、リビングに上がり込む。マリアと目が合った瞬間、ケイは顔を背けた。
「マリア、この人はケイさん。えっと……」
「君の父親の親友だ。いきなり押し入ってすまない」
ケイが一礼した。マリアも慌てて立ち上がり、同じように挨拶する。
「マリアです。あの……私のお父さんの事、ご存知なんですか?」
「ああ。一緒に戦った戦友だ。実に素晴らしい人だよ」
笑顔で話すケイに、マリアは安心の顔を浮かべた。望美も安心する。
「マリア、ちょっとこの人と話しがあるから、部屋に戻って頂戴。ご飯出来たらまた呼ぶから」
はーい、とマリアはケイを一瞬見てから自分の部屋に篭った。望美はケイを睨む。
「貴方、マリアの両親の事知っているのね」
「勿論、オリジナルの方の話だがな……あの子、自分の名前はわかっていたのか?」
ケイが部屋の向こうを見つめている。望美はマリアにぶら下がっていた金属のタグを見て付けたと説明した。
「そう言えば……1036って、何の数字?」
「ああ、あれは製品番号だ。あの子の前にも人型では無かったが、色々作られた」
「それじゃマリアは物扱いね」望美が冷たい目でケイを見つめた。「私が拾って良かったわ」
「……とにかく保護してくれてありがとう。感謝するよ」
ケイが握手を求めて手を差し伸べる。望美は曖昧に返事をしてその手を握った。どう言う真意なのだろう。
「少し立ち入った話をしてもいいか?貴方の事も知りたい」
ケイが真剣な表情になったので、望美は思わずドキッとした。変なモビルスーツを着ている以外は、普通に格好いい三十代の男だ。そう言えば自分がしばらく男性との接触を避けていたことに気が付いた。夫と別れて以来、男性と二人きりになるのは初めてかもしれない。望美は警戒した。
「私も貴方の事が知りたいわね。こたつにどうぞ。緑茶は大丈夫かしら?」
ケイが何も言わないので、勝手に二人分の暖かいお茶を用意してやる。望美はケイの反対側に座った。
「そう言えば旦那や、お子さんはいないのか?」
ストレートな質問に、望美は嫌な顔をする。この男に遠慮や配慮はないのか。
「……主人とは五年前に離婚しました。娘が一人いたけど、去年の交通事故で亡くなったわ」
「そうか、悪い事聞いたな。……では、あの子が来る前まではずっと一人で?」
ケイが一人暮らしには大きい2DKの部屋を見渡した。
「ええ。他に行く所も無いですし」望美はお茶を啜る。「貴方は結婚しているの?」
「いや、俺はずっと独り身だ。軍隊に属した頃から、そういう煩わしい感情は持たないようにしている」
「へぇ」望美は馬鹿にしたように言った。「だから女性の扱いが下手なのね」
ケイの顔が歪んだ。望美はそれが面白い事のようにもっと言ってやる。
「アイちゃんって子も可哀想。任務じゃなきゃ、誰も貴方と一緒に居たくないわ」
ケイは望美を睨んだ。望美はそれに動じることなく構えている。
「つまり、何が言いたい」
「私は男の人は信用してないって事。先程聞かされた話も勿論信じてない。非現実的過ぎるもの」
「しかし、事実だ。嘘をついてはいない」
「そう。だったら今すぐマリアを連れ帰ったらどうなの?女一人ねじ伏せるのは簡単でしょ?そっちのホテルで監禁でもすればいい話じゃない。どうして私とマリア両方見張るのを選んだのよ」
「…………」
「マリアに、何か特別な思い入れでもあるのかしら」
ケイは望美の質問に鼻で笑った。
「まさか。俺はあの子の好きなようにいさせてあげてもいいと考えたまでだ。手荒なマネは好きじゃない。どの道一週間はこちらにいなくてはならない。ホテルにいようが、ここにいようがどちらでも構わないさ。一週間は自由にしてやるよ、あの子も、あんたもな」
「……但し見張り付きの範囲で、って事かしら」
「そうだ。下手に遠出されては面倒だ」
望美はケイの表情を見た。相変わらず何を考えているかよくわからない。しかし、あのアイって女以上に、ケイはマリアと何かしらの関係がある。それだけは見えてきた。
「……晩御飯の準備をしてもいいかしら。今日は鍋にするけど、貴方もどう?」
「いや、遠慮しておく。それよりここにある本、読んでもいいか?」
ケイがそう言って指したのは、望美が好きで集めていた探偵物の小説だった。どうぞと言って、望美は先程買ってきた野菜をまな板の上に並べる。警戒しているのか、ケイは望美の出したお茶に一切手を付けなかった。
毒なんか盛ってないわよ、失礼な奴。一瞬だけ睨みつけて、望美は野菜を切ることに専念した。




