time1.クリスマスイブ
鼓膜が破けるほどの大きな爆発音が後ろではじけ、激しい衝撃で前に突き飛ばされた。同時に白い何かが目の前に飛び出す。それがエアバックだと気付いた時にはもう、小中望美の身体は思い通りに動かせなくなっていた。
全身が酷く痛い。何とか頭だけを起こすと、目の前には粉々になったフロントガラスと、大きくへしゃげたガードレールが見えた。頬に何かがつたる。望美がそれに触れると、べっとりとした血のような物が付着した。
何の冗談だろうか。
「愛美っ!」
望美は後部座席に居るはずの娘、愛美を探して振り返ろうとした。しかしエアバックと座席に身体を見事挟まれて動けない。
「愛美っ……愛美っ!」
自分の痛みに耐えながら、叫ぶ。首だけでも後ろを向かせようと躍起になっていると、突然ドアが開いた。
「大丈夫ですか!今助けますから動かないで下さい!」
赤い服の人が無理矢理座席を引っ張り上げると、もう一人の赤い服が望美を車内から外へ引きずり下ろす。白服の人も現れて望美をタンカーに乗せてその場から離れようとする。
その時望美は信じられない光景を目の当たりにした。
自分の乗っていた車がトラックと衝突していたのだ。しかも車の後ろ半分は原型が無いほど押し潰されている。
「愛美――――っ!愛美――――っ!嫌ぁ――――っ!!」
気がつくと望美は全身に汗をかいていた。鼓動が随分早くなっている。胸に手を当てると、見慣れた茶色い天井に焦点が合う。
またこの夢か。望美はゆっくり身体を起こすと、すぐ側に置いてあるデジタル時計を見た。午前四時四七分。とんだ真夜中に目が覚めたものだ。
パジャマが汗を含んで気持ちが悪い。布団から一歩外に出ると底冷えするような寒さで、一秒でも早く元の暖かな布団に潜りたい。べたつく髪を掻き上げると、素早く床に脱ぎ捨ててタンスから新しい下着とパジャマを取り出した。
ふと窓の外を見ると景色が白に変わっていた。雪が降っているらしく、雨よりも遅い白粒が空から止めどなく落ちてきている。どうりで寒いわけだ。望美はゆっくりと落ちる雪を目で追った。京都の、しかも南でここまで積もるのも珍しい。マンションの四階から見える東寺の五重塔が、もみの木に見えなくもない。
今年は数年に一度のホワイトクリスマスになるようだった。
愛美が亡くなってからもう一年が経とうとしていた。そして週に一度、あの時の夢を必ず見る。
望美は未だ去年のクリスマスイブから抜け出せずにいた。あの日は雪なんて幻想的な物は降っていなかったが、この寒さは殆ど変わらない。
望美は愛美と二人でクリスマスプレゼントを買いに市外にあるショッピングモールに出かけていた。愛美と遠出したのは随分と久しぶりの事で、当時小学四年生の愛美は大はしゃぎでおもちゃ屋を駆け巡っていった。
結局プレゼントを一つに絞ることが出来なくて、愛美は駄々をこねて全部買わせようとした。
「お母さん、これも欲しいなぁ。ねぇ、三個まで買ってもいい?」
「もう、仕方ないわね……今回だけよ、そんなゲームばっかり買って。冬休みの宿題もしなきゃ駄目だからね」
望美はカゴの中に入っている箱を睨みつけた。
「勿論やるよ!やった!」
愛美が嬉しそうにまたゲームコーナーへと走っていった。愛美がゲームに走るのも、自分が家に居ないせいなのだ。その事を十分に理解していた。
望美はシングルマザーだった。愛美が小学一年生の時に旦那と別れて以来、愛美を女手一つで育ててきた。普段はパートで朝から夜まで働き詰めの毎日。愛美と一日一緒にいてやれるのも久しぶりだった。
「お母さん……あとこれも欲しいんだけど……」
そう言って抱えていたのは大きなクマのぬいぐるみ。望美はもう全部買ってあげるわよと笑ってぬいぐるみとゲームソフト、合わせて五点を買いあげた。
そんなご機嫌な愛美と家に帰る途中の事故だった。原因はトラックの運転手による居眠り運転。その怒りをぶつける相手すら、この世から居なくなっていた。勿論愛美もいない。
あの事故のあった日から、望美は何をするわけでもなく、まるで抜け殻のようにその日暮らしをしていた。進む道も、戻る道も見当たらない。立ち尽くしている内に一年という時間だけが過ぎてしまった。
あの夢からどうにも寝付けなくなった望美は、もういっその事起きてしまおうと布団から這い出た。寒さで身が縮む中、こたつとテレビを付ける。テレビのニュースでも今年はホワイトクリスマスなどとほざいていた。
望美はクリスマスだからと浮かれている世間に、憤りを感じてリモコンを投げ飛ばした。それは激しく音を立てて落ちる。リモコンの電池が飛び出してしまった。それがあの時の事故を関連付けているかのように感じて、望美は涙を流した。
愛美が死んだと言うのに、世間はクリスマスだと浮かれている。許せなかった。何が許せないかと言うと、あの事故で自分だけが生き残ってしまったのが許せなかった。いっそ愛美と死ねば良かった。一緒に天国まで行って遊んでやれば良かったのに。それも出来ずに自分は、今までだらだらと生きて過ごしている。
愛美が近くで自分を責め立てているに違いない。でなければあの夢を頻繁に見るはずもなかろう。望美は全て原因が自分にあるように思えてきて、朝から大声で泣いた。
今年のクリスマスイブはそうして始まった。




