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第三章‐3:記録官の信仰

翌朝、支部の廊下は依然として静かだった。

壁際の照明が不自然なまでに均一な光を放ち、まるで都市の時間そのものが止まってしまったかのようだった。


私はカリム・イシュヴァルの姿を探していた。

彼の言葉が、ずっと耳の奥で反響していたからだ。

「記録されなかったものは、最初から存在しなかった」

あれは忠告だったのか、皮肉だったのか、それとも――ただの諦めだったのか。


書庫の最奥にある個別観測室。

そこにカリムはいた。仄暗い光の中、ホログラム画面をいくつも浮かべながら、無言で作業をしていた。

私はためらいながらも声をかけた。


「ひとつ、訊いてもいいですか」


彼は画面から目を離さずに応じた。


「ああ。どうせお前さんのことだ、また妙な話を持ってきたんだろう」


「“記録できない死”というものを……あなたは、信じているんですか?」


彼は少しだけ手を止めた。

画面がゆらぎ、構図の断片がいくつも空間に浮かんでいた。

それは私が昨日重ね合わせた画像と、ほぼ同じものだった。


「……信じているわけじゃない。だが、“信じるしかなかった”と言う方が近いな」


「それは……つまり?」


カリムはようやくこちらを見た。

彼の瞳はどこか疲れていて、けれどその奥には揺るがぬ芯のようなものがあった。


「俺もかつて、本部からこの街に来た記録官だった。今と同じようにな。

最初は、お前と同じく、“記録が歪むなんてありえない”と思っていた。

だがな、どれだけ正確に観測しようと、何度も、何度も記録が消えていったんだ。

ある日、俺の同期がこう言った――

“この街では、事実よりも祈りの方が強い”ってな」


私は息を呑んだ。

祈りが、記録に勝る?

そんなことが――だが、この都市ならば、あり得てしまうのかもしれない。


カリムは続けた。


「祈りとは、信仰とは、“忘れること”でもある。

この街では、人は死を見ないようにする。見たくないものは、記録に残さない。

それを繰り返してきた結果、いつのまにか“見えない死”が生まれ、今も都市をさまよっている。

お前が出会ったのは――そのひとつ、だ」


私は口を開こうとして、何も言えなかった。


「ヘイズ。記録官とはな、正しさを守る職業じゃない。

“何が正しいか”を問う前に、“それを誰が記録できるか”を問わなきゃならん。

この都市では、時に記録官自身が“信仰”を持たなければ、観測すらできないんだ」


信仰――

それは神を信じることではなく、自分の観測を信じ抜く意志なのかもしれない。


私はひとつ頷き、言葉を絞り出した。


「……私は、もう後戻りできないところに来てしまった気がします」


カリムは小さく笑った。


「なら、進むしかないさ。“記録”としてな。どんな形であれ」


そのとき、私の端末に一本の通知が届いた。

“市民医療局より、異常検体の確認要請”

場所は――西側交易街区、第六記憶祈祷所の裏通り。


私は目を伏せ、深く息を吸い込んだ。


祈りが記録に勝つならば、私はその祈りの中から、ひとつでも“事実”をすくい上げるしかない。

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