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第三章‐2:構図の欠片

アトリエには入らなかった。

あの扉の前で、私はただ立ち尽くしていた。

扉の隙間から、古びた絵具の匂いと、油に焼かれた麻布のようなにおいがわずかに漂っていた。


それはどこかで嗅いだ記憶がある――そう思ったのは錯覚だった。

この街で感じた“既視感”のようなものは、すべて実際には「記録されていない記憶」に過ぎない。

形を成さず、言葉にならず、ただ感覚の底にこびりつくもの。


私は支部に戻ると、自席に着き、端末を起動した。

正式な報告ではなく、私的な観測記録フォルダの方だ。

そこには、ここ数日間で記録された死体の画像がすべて保存されている――“まだ消えていない”うちに。


私はそれらを一つひとつ開き、目を凝らした。

単に姿勢や角度を確認するだけではなく、彼らの“配置”そのものに意味があるのではないかと感じていた。

死体の傍らにあった落書き、塀の模様、割れた石畳、捧げられた花の向き――

ひとつの現場では偶然でも、複数の現場で共通するとなれば、それはもう“構図”だ。


私は画像解析ソフトを起動し、それぞれの死体画像を重ね合わせる作業を始めた。

透過レイヤー処理を用い、位置や傾きを調整していく。

都市の構造が異なるため、完全な一致はしない。

だが、それでも首の角度、手の向き、視線の流れ、そして影の差し方――

そういった微細な要素が、まるで共通の“設計”に従っているかのようだった。


何かが集まってくる。


そう感じた瞬間、私は手を止めた。

いくつもの死体が、視線を中心に向けている。

まるでその“中心”に、誰かが――あるいは“何か”が存在するかのように。


私は全画像を重ねた中央に、仮想的な一点をマークした。

その点に、すべての視線が集中していた。

首のひねり具合、手の角度、死体の向きまでが、計算されたようにその点を中心に据えていた。


――これは完成していない。


全身に冷たいものが走った。

この構図は、まだ完成していない。

あと一人。いや、あと“ひとつ”。

中央に置かれるべき存在が、まだ欠けている。


私は何度もレイヤーを入れ替え、順序を変え、構図を確認した。

角度も修正し、幾何学的な分布を測る。

しかし、結果は変わらなかった。中心は空白のままだ。


ふと、ある想像が頭をよぎった。


――この構図を“内側”から見ている者がいるとしたら、それは誰なのか。


オスカー・ヘイズ。

自分の名が、内側から響いたような錯覚があった。


観測者が、観測される側に回ること。

それは記録官として最も忌避される立場だった。

だが、私の動きと観測が、この構図の完成に必要だとしたら?


私は深く息を吐いた。

それは妄想だ。単なる被害妄想に過ぎない。

だが、恐怖というものは、証拠がないときこそ最も強く心に根を張る。


視界の隅に、外の風景が映った。

支部の窓から見える祈祷塔の影が、都市の壁に長く伸びていた。

どこかで祈りの声が混じる。言葉ではない、ただ“音”として染み込んでくる、古い宗教的旋律。


私は端末を閉じ、記録フォルダを暗号化した。

すべてが消えてしまう前に、少しでも形を残しておかなければならない。


この構図の意味を、私はまだ言語化できない。

だが、死は“記録されていないだけ”で、確実に都市を形作っている。

そしてそれを描こうとしている誰かが、この街の中にいる。


私は、自分がその“最後の筆致”にならないことを、ただ願った。

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