第二章‐7:もうひとつの余白
その日、支部の記録端末は妙に静かだった。
報告も少なく、通達もなく、まるで都市全体が息を潜めているような空気が漂っていた。
私は非公式記録フォルダに残された画像群を、あらためて見返していた。
《untitled_00》から《untitled_03》まで──
四枚の絵は、どれも異なる死を描きながら、不自然なほどの一貫性を持っていた。
そして、そのすべての構図を重ねて浮かび上がるのは、中央にぽっかりと空いた“余白”だった。
人物たちは、ある一定の中心から外れた場所に配置されている。
構図の重なりに合わせて並べると、中心には――**何も描かれていない“空間”**が浮かび上がるのだ。
まるで、“そこに最後の死を置くために”、それまでの死が周囲を囲んでいるかのように。
私は背筋を正した。
これが犯人の“キャンバス”だ。
これまでの死は、完成のための“下地”だった。
そして、次が“中心の死”だ。
昼頃、支部に外部配送便が届いた。
署名のない封筒が、私の席に無言で置かれていた。
白い封筒。ロゴなし。差出人不明。
私はすぐに検閲用装置にかけたが、危険物反応は出なかった。
中身は、絵の複製だった。
だが、それはこれまで私が見た《untitled_03》とは違っていた。
見覚えのある構図。だが、角度が違う。
私は気づいた。
――これは、私の視点から描かれている。
第三の死を、私自身が見下ろした位置から再現したかのような構図。
しかも、絵の右下には、これまでにはなかった“印”が描かれていた。
それは、サインだった。
曲線が重なり合い、幾何学のようでもあり、祈祷文字にも見える不思議な印。
私はすぐに、分析端末にそのマークを読み込ませた。
照合率はゼロ。
登録なし。引用例なし。未分類象形記号。
けれど、私は知っていた。
これは、絵を描いた者の“署名”だ。
そして、これは警告でもあり、招待状でもある。
“君は観測者であり続けることができるか?”と。
その夜、再び夢を見た。
砂に沈む都市の地下、閉ざされた空間の中心に、
巨大なキャンバスが立てかけられていた。
そこには、これまで私が見てきたすべての死が、正確に描かれていた。
そして中央には、ただ“白い余白”があった。
誰の姿もなく、光さえも届かない虚空のような余白。
だが、そこに近づくほどに、私は奇妙な感覚に囚われていった。
――“その場所には、自分が立っていた”ような気がしたのだ。
私は朝の帳の中、記録にこう記した。
《中心の死。構図に残された最後の余白。
犯人は、絵を完成させようとしている。
そして私に、その構図を“見せる”ことを選んでいる。》
ページの下部に、私は新しい見出しを付けた。
《対象の署名──仮称「印章Δ」》
それが、私の非公式記録における最初の「犯人ファイル」だった。
都市は静かだった。
けれどその静けさの下で、
確実に、何かが描かれつつあった。