第3話:親友(文学少女モード)の尋問と絶望的な解呪作戦
「だから! 私じゃないってば!」
「『疑いは裏切り者である。我々がしばしば得るはずの善を失わせるのは、試みることを恐れるからだ』……ってね。つまり、疑ってるわよ、全力で!」
目の前でシェイクスピアを引用しながら、ノートにでかでかと「犯人はお前だ!」と書きなぐる親友・彩乃。その目は、クールビューティーの仮面の下で、メラメラと燃えている。……完全に、私、桜井結月をロックオンしている!
こうなってしまった原因は、言うまでもなく昨日の放課後、私が未来ノートに書いた「悠斗くんが図書室の本を忘れずに返す」という、ささやかな願いだ。彼は無事に本を返せたらしいけど(今朝、廊下ですれ違った時に「桜井さん、昨日はありがとう! なんか、本のこと思い出させてくれた気がする!」って、天使の笑顔で言われた! きゅん!……じゃなくて!)、その代償がこれか! 親友の言語中枢バグ!
授業中も大変だった。
現代文の先生に当てられた彩乃は、すっくと立ち上がり、
「『道は開かれている、しかしその先に待つものが奈落か、あるいは楽園か、それは誰にも分からない』……というのが、この一文から読み取れる作者の心境かと」
とか答えるもんだから、先生もクラスメイトも「???」状態。普段の彩乃を知ってるだけに、余計にシュールだ。私が隣で「えっと、つまり、作者は将来に不安と希望の両方を感じてるってこと、だよね!?」と必死にフォローする羽目に。もう胃が痛い。
休み時間には、心配した悠斗くんまでやって来た。
「工藤さん、大丈夫? なんか今日、すごく……詩的だね?」
優しい! 悠斗くん、どこまでも優しい! でも、その優しさが今は辛い!
彩乃は、うつむき加減で儚げに(でも、私には分かる、内心めちゃくちゃイラついてる顔で)呟いた。
「『この世は舞台、人はみな役者』……私は今、悲劇のヒロインを演じているのよ、橘くん」
「え、そうなの? ……お、お大事に?」
戸惑いつつも、なんとなく納得して去っていく悠斗くん。いや、納得しないで! そこはもっと疑って! ……って、ダメダメダメ!
「彩乃! とにかく、普通に喋れるようにしないと!」
「『言うは易く行うは難し』よ、結月。あんたが原因なんでしょうけど!」
ノートにデカデカと「責任取れ!」と書かれる。ですよねー!
こうなったら、やるしかない。原因がノートなら、ノートで解決を……いや、待てよ? また変な副作用が出たら? 今度は私がカエルになるとか? それは絶対に嫌!
「何か、何かノート以外の方法で……!」
私は昼休み、彩乃(もはやジェスチャーと筆談、そして時折飛び出す世界文学の引用で会話するしかない)を引き連れて、藁にもすがる思いで図書室へ向かった。
「民間療法とか、ないかな? 急に喋り方がおかしくなった時の……」
「『知識は力なり』……だけど、こんな状況の対処法は、ベーコンも書き残してないと思うわよ」
彩乃が呆れたようにノートに書く。うるさい! こっちは真剣なんだ!
ネットで検索。「急に喋り方が変わる 病気」……精神的なものが多い。違う。「呪い 解き方」……塩を撒く? やってみる?
「彩乃、ちょっと失礼!」
「『何をする気だ、ブルータス!』って、うわっ!」
私は購買で買った食塩水の小袋を取り出し、彩乃に向かってバッ! と振りかけた。もちろん、効果はない。彩乃の制服がちょっと濡れただけだ。
「……『許すまじ』」
地を這うような低い声(もちろん引用)と共に、ノートに「後で覚えてろ」と書かれた。ヒィィ!
その時、ふわり、と本の影から現れたのは、斎藤先輩だった。
「おや、二人とも。何やら……そう、『錬金術』にでも挑戦しているのかな?」
「せ、先輩!」
「ああ、斎藤先輩。見てください、結月のこの愚行を。『馬鹿は死ななきゃ治らない』とは、まさにこの事……」
彩乃がノートで訴える。先輩は、やれやれというように首を振った。
「過剰な装飾、過剰な言葉……。時には、『沈黙は金』とも言うだろう? あるいは、ただ待つ、というのも一つの『魔法』かもしれないねぇ」
先輩はそう言うと、「そうだ、この間読んだ本に、言葉を清めるハーブティーの淹れ方が……」と、全く関係なさそうな本棚へ消えていった。ヒントのようで、全然役に立たない!
もうダメだ……。ノートに頼るしかない……!
私は覚悟を決めて、彩乃を人気のない廊下の隅へ連れて行った。
「彩乃、ごめん! やっぱり、もう一回だけノートを使う!」
「……『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』。あんたは前者ね。……いいわ、やりなさい。ただし、次におかしな事が起きたら……」
彩乃はノートに、鬼の形相のイラストを描いた。……分かりました!
私は震える手で、未来ノートを取り出した。
『彩乃の喋り方が、すぐに元通りになる』
そう書き込もうとした瞬間――。
インクが、ページに染み込む前に、スゥ……と消えていく。
「え?」
何度試しても同じだった。ページが、インクを拒絶しているみたいに。
(うそ……。副作用を、直接打ち消すことはできないってこと……?)
絶望。顔面蒼白パート2。どうしようもなくて、へなへなと廊下に座り込む。
「……『万策尽きた』って顔ね」
彩乃がノートに書き、ふっと息を吐いた。その、瞬間だった。
「……あ」
彩乃が、自分の喉に手を当てて、小さく声を漏らした。
「……あれ? 普通に……喋れた?」
そう。普通に。いつものクールな彩乃の声で。
「え? ええええっ!? なんで!?」
「さあ……? まるで、魔法が解けたみたいに……って、あ」
彩乃は、ピタリと動きを止めた。そして、ゆっくりと、それはもう、ゆっくりと、私の方を見た。
「……ゆづき?」
「は、はいっ!」
「昨日の放課後、あんたがノートに書き込んだのって……何時ごろ?」
「え、えっと……確か、図書室の閉館時間ギリギリだったから……午後5時くらい……?」
彩乃は、自分のスマホで時間を確認した。現在の時刻、午後5時01分。
「………………」
「………………」
沈黙。重い、重い沈黙。
「……副作用って……もしかして……」
「……持続時間、きっちり24時間……とか?」
二人で、顔を見合わせる。そして――。
「「ありえそうーーーーーっ!!」」
廊下に、私たちの間の抜けた叫び声が響き渡った。
「……はぁ。とりあえず、元に戻って良かったけど……」
彩乃は、ぐったりと壁にもたれかかった。そして、再び私を睨みつける。今度は、文学のフィルターなしの、100%純粋な、怒りのこもった目で。
「ゆづき」
「は、はい……」
「ちょっと、体育館裏まで、お話しましょうか? 例の『ノート』について、ぜーんぶ、聞かせてもらうから」
有無を言わせぬ迫力。もう、逃げ場はない。
(副作用には時間制限があった、か……。それは朗報? いや、でも、彩乃の尋問モードには、時間制限なさそう……!)
私は、これから始まるであろう長い長い(そして、たぶんちょっと暴力的な)尋問を思い、青い顔で親友の後をついていくしかなかった。
(つづく)