第2話:副作用は親友限定の文学少女モード!?
例の「偽札折り鶴シャワー事件」から数時間。私の心はまだ、低空飛行を続けていた。だって、原因不明(私以外には)の珍騒動のせいで、学校中がザワザワしてるんだもん! 先生たちは「近隣校の高度ないたずらでは?」なんて言ってたけど、いや絶対違うし! 原因、この私だし!
「……ねえ、ゆづき」
放課後の教室。机に突っ伏して自己嫌悪に浸る私の隣で、親友の彩乃がじっとりとした視線を向けていた。片付けの手を止め、モデルみたいな綺麗な指で自分のこめかみをトントンと叩いている。
「あんた、昼休みの騒動の直前、なんか変な顔してグラウンド見てたよね? で、鶴が降り始めた瞬間、顔面蒼白。……何か、知ってるんじゃないの?」
「し、知らないってば! ちょっと貧血気味だっただけ!」
「ふーん? 昨日までピンピンしてたのに?」
彩乃の追及が鋭い! さすが、私の数少ない(というか唯一の)親友にして、学園一のクールビューティー(私見)。誤魔化しきれる気がしない……!
その時だった。
教室のドアがガラリと開き、ひょこりと顔を出した人物がいた。
「やあ、まだ残ってたんだね、桜井さん」
そこにいたのは、斎藤先輩。図書委員なのか、ただ図書室に入り浸ってるだけなのかよく分からない、ミステリアスな三年生だ。今日も、古風な学生服をきっちり着こなし、なぜか手にはアンティークっぽい小さな箒とちりとりを持っている。
「せ、斎藤先輩……」
「今日の『空からの贈り物』、なかなか趣があったねぇ。まるで、紙の妖精の祝福みたいだった」
先輩は、ふふ、と意味深に笑うと、教室の隅に落ちていた偽札折り鶴を一つ、慣れた手つきで箒で掃き、ちりとりに収めた。
「紙に書かれた願い事ってのは、時として予想外の形で空を舞うものだから。……気を付けるといい」
そう言い残し、先輩はまたひらりといなくなってしまった。嵐のように現れ、嵐のように去っていく人だ。
「……今の先輩、完全に何か知ってる顔だったよね?」
「き、気のせいじゃない!? きっと!」
彩乃の冷静なツッコミに、私の心臓は早鐘を打つ。まずい、まずいぞ! このままじゃ、ノートの存在がバレるのも時間の問題かも……!
「もう絶対、ノートは使わない! 金輪際!」
私は固く、固く、心に誓ったのだった。……その誓いが、もろくも崩れ去るとも知らずに。
***
翌日の放課後。私はいつものように図書室にいた。静かで、本の匂いがして、ここだけが私の聖域だ。もうノートのことなんて忘れて、読書に集中しよう……そう思っていたのに。
「あー、やべ。明日朝練前に返さなきゃいけない本、家に忘れてきた……」
聞こえてきたのは、悠斗くんの声。彼はカウンター近くで、友達と話していた。
「明日、閉館時間までに来れないんだろ?」
「そうなんだよ……。まあ、一日くらい延滞しても……いや、でもなぁ……」
困ったように眉を下げる悠斗くん。その顔を見てしまった瞬間、私の脳裏に、あの忌まわしきノートの表紙がチラついた。
(……ダメダメダメ! もう使わないって決めたでしょ!)
頭の中で激しく警報が鳴る。でも、心の別の部分が囁くのだ。
(でも、悠斗くんが困ってる……)
(延滞したら、ちょっとだけかもしれないけど、記録に残っちゃう……)
(本を返すだけ。ただ、忘れないようにするだけ。折り鶴みたいに変な副作用、出るわけないって!)
(これは、人助けなんだから!)
悪魔の囁き(いや、ほぼ私の願望)に、私の決意はグラグラと揺れる。
……十分後。
私は、参考書の影に隠れて、こっそり未来ノートを開いていた。
『明日、悠斗くんはちゃんと図書室に本を持ってきて、朝練前に無事返却できる』
よし、書いた! 今度こそ大丈夫なはず! 折り鶴みたいに物理的な何かが出るわけじゃないし、ただ「忘れない」だけなんだから! 私は小さく息をつき、何事もなかったかのようにノートを鞄の奥底にしまい込んだ。
***
そして、次の日の朝。
「おはよー、ゆづき。昨日の数学の課題、ちょっと見せてくんない?」
教室で隣の席の彩乃が、いつものようにクールな表情で話しかけてきた。私は、昨日の“書き換え”が成功したか気になりつつも、平静を装って答える。
「おはよ、彩乃。いいけど……って、あれ?」
何か、おかしい。彩乃の口調が、妙に……芝居がかってる?
彩乃は、すっと立ち上がると、窓の外を見つめて、朗々と言い放った。
「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ……。ああ、でもその前に数学の課題を見せてもらえるかしら、我が友よ?」
「…………へ?」
私はポカンと口を開けた。え、シェイクスピア? なんで今?
「どうしたの、彩乃? 寝ぼけてる?」
「ああ、これは始まりであり、終わりであった……って感じで昨日は寝たんだけどね。で、課題は?」
今度はなんか文豪っぽい! しかも、言ってることとセリフの内容が全然合ってない!
まさか……。
まさか、これって……。
(副作用ぉぉぉぉぉーーーっ!? しかも、なんで彩乃に!?)
私の顔からサッと血の気が引く。本を返すのを忘れなかった代償が、親友の『文学少女モード(強制)』ってこと!? しかも、本人は無自覚っぽい!?
「ちょ、彩乃! あんたの喋り方、変だよ!」
「変? 『事実は小説より奇なり』って言うじゃない? それより、ほら、数学……」
彩乃は、自分の喋り方がおかしいことに気づいていないのか、それとも気づき始めたのか、少し眉をひそめながらも、流れるような(でもやっぱり不自然な)口調で続ける。
周囲のクラスメイトたちも、さすがに異変に気づき始めた。「工藤さん、どうしたんだ?」「なんかキャラ変わってない?」とヒソヒソ声が聞こえる。
彩乃は、ハッとしたように自分の口元を押さえた。そして、ギギギ、と効果音がつきそうな動きで、私の方を睨みつけた。言葉は出ない。でも、その目は雄弁に語っていた。
『……あんた、また何かやったでしょ?』
私は必死に首を横に振る。違う、違うの! いや、違くないけど!
彩乃は、諦めたようにため息をつくと(その仕草まで妙に演劇がかっていた)、自分のノートを取り出し、猛烈な勢いで何かを書きなぐり始めた。そして、私に突きつける。
そこには、大きな文字でこう書かれていた。
『ノート!!!!!!!!』
……バレてる! 絶対バレてる!
私の平穏な学園生活は、未来ノートのせいで、本格的に終わりを告げようとしていた。
(助けて……! 副作用なしで悠斗くんを助けたいだけなのに……!)
心の中で絶叫しながら、私は文学的なジェスチャーで訴えてくる親友から、そっと目をそらした。
(つづく)