10.もうこんな家は嫌い(オデット)
ようやくカミーユが会いに来てくれたのは、
五日もたった頃だった。
「カミーユ!」
「オデット、その顔はどうしたんだ!」
お父様に殴られた頬は赤黒く腫れていた。
男性の力で思い切り殴られたのだから、簡単には治らない。
「……お父様に殴られたの」
「ニネットのことを知られたせいか」
「……それは悪いことしたかもしれないけど、お父様が悪いんだわ。
愛人の子を連れて来て、お母様に育てさせるなんて」
「それはそうかもしれないけど、
ニネットのせいにしてドレスを買ったのは嫌がらせなのか?」
カミーユも全部知っているんだ。
だけど、悪いのは私じゃないもの。
「だって、お父様はニネットになら何でも買ってあげるのに、
私にはワンピース一枚買ってくれないのよ。
私の買い物はお母様の生家に出させるようにって……」
「なんだ、それ……おかしいだろう」
「だから、私……くやしくて」
言っている間に涙がこぼれてきた。
全部お父様が悪いのに、私とお母様のせいにされて、
カミーユまで責めるようなことを言うなんて信じられない。
くやしくて、ニネットが憎らしくて、涙が止まらない。
「……そんなに苦しんでいたなんて、ごめん。
俺はわかっていなかったんだな」
「カミーユ……」
カミーユに抱き寄せられ、その胸に抱き着いた。
婚約者になったなら、誰にも文句は言わせない。
カミーユも私の背に手をまわし、しっかり抱きしめてくれた。
「お母様が追い出されたの……ニネットにひどいことしたって。
たしかに勝手に買い物はしたけど、それだけよ。
離縁するほどのことじゃないわ」
「夫人はグラッグ侯爵家に戻されたのか……」
「お母様、伯父様とはあまり仲がよくないのに、戻されるなんて。
今はどうしているのかもわからないの」
「侯爵は何を考えているのか」
急に離縁して戻されるなんて、お母様は肩身が狭い思いをしているはず。
お祖父様はお母様を可愛がってくれてたけど、
もうすでに当主は伯父様が継いでいる。
そんな家に戻されるなんて嫌に決まっている。
助けてあげたいけれど、私は外出することすらままならない。
それもこれも全部ニネットのせいなのに、
ニネットが帰って来ないから、怒りをぶつけることもできないなんて。
「ねぇ、ニネットが新しい婚約したって本当?」
「……ああ。王宮で父上が新しい婚約者候補を四人も呼んで、
その中から一人選んだんだ」
「は?陛下が四人も呼んで選ばせた?」
「ああ。俺が勝手に婚約解消したせいで、お詫びなんだと思うが……。
義母上にもかなり叱られたよ。
令嬢になんてことをするんだと」
陛下だけでなく、王妃様までニネットのことを。
どうしていつもニネットだけ特別扱いなのよ……。
「新しい婚約者はジラール公爵家のルシアンだ」
「ルシアン様!?」
「そうだ。あの女嫌いのルシアンが、婚約を承諾したんだ。
俺も信じられなかった。
どうしてニネットなんかと」
王家の三人の王子よりも美しい公爵令息。
令嬢たちがこぞって狙っているけれど、誰とも踊らない。
二十半ばになっても婚約者すらつくらない孤高の令息。
そんな人がニネットの婚約者だなんてありえない。
「ニネットは平民の血が流れているのよ。
何の取り柄もなく、精霊術を使えもしない。
そんな人が公爵家の当主夫人になれるというの?」
「俺は無理だと思う。
父上もルシアンに嫁がせるつもりはなかったみたいなんだ」
「じゃあ、どうして」
「四人も相手を用意したから十分に償いをしたと、
そう思わせたかっただけなんだと思う。
侯爵が怒っていたみたいだったし」
「お父様を黙らせるために何人も用意したと?」
「多分ね」
陛下がそこまでしても、お父様は怒っていた。
ニネットがうちから出ていってしまったから。
ニネットが公爵家に嫁いで、私が侯爵家を継ぐ……。
あんなに素敵だと思っていたカミーユが色あせて見える。
王家の色である金色の髪に、金にも見える琥珀色の目。
体格もしっかりしていて、成績もそこそこいい。
誰からも好かれる王子……だったはずなのに。
ルシアン様って、一度だけ遠くから見たことがあったけど、
カミーユとは比べ物にならないくらい素敵だった。
同じ金髪でも、なんていうか質が違うというか。
光をまとっているような、本物の王子様に見えた。
「カミーユと私がバシュロ家を継ぐのでしょう?
……私たちが侯爵家なのに、ニネットが公爵家だなんて嫌だわ」
「俺だって嫌だよ。王族に残る予定だったのに、侯爵家を継げだなんて。
だけど、父上も義母上も機嫌が悪くて、王命を撤回してくれなさそうなんだ。
しばらくしたら撤回してくれるかもしれないけど、
今は大人しく我慢していたほうがいい」
「王命だなんて……どうして」
王命で出された婚約なら、簡単には撤回してもらえない。
こんなことならカミーユに婚約解消なんてさせるんじゃなかった。
ルシアン様が婚約する気があるなら、私が婚約すればよかった。
それに、この家にいるのも嫌になってしまった。
バシュロ侯爵家を継ぐ立場になれば、
ニネットがいなくなれば、私のほうを見てくれると思ってた。
なのに、お父様は私を殴った。
どうあがいても愛情はもらえないのなら、私はこの家を出たい。
カミーユが帰った後、お父様の執務室をノックした。
秘書がドアを開けて、私を見た瞬間、嫌な顔をする。
「どうかしましたか」
「お父様に話があるの」
「今は難しいです。もう少し落ち着いてからにしてください」
「……わかったわ」




