魔王の涙
魔王の目が丸く開かれ、そして、安心したかのように緩んだ。事実、安心したのだろう。その声も緩く、柔らかいものになっている。
「魔術師の派遣は聞いていたが、『安眠の加護』持ちも、こんなに早く来てくれるとは……」
「国王陛下直々の頼みでしたので……」
一部、我々の安全の為に至急派遣すべきだ、と騒ぐ貴族もいたが。わざわざ魔王に話すことではない。
「では、お願いしてもいいだろうか」
「はい」
実の子を他人に任せるのは不安がるかと思ったが、今は藁にも縋りたい気持ちなのだろう。魔王はあっさりと私にニュイを抱かせてみる、と判断を下した。
「……防御魔術の準備もできました」
「こちらも大丈夫だ」
ただ、ニュイが嫌がった時の対策はしっかりと行ってから、魔王からニュイを受け取った。
暖かく重い体を抱き留めて、なるべく穏やかな声で話し掛けた。
「初めまして、ユイです。怖くないですよ」
ニュイは魔王と同じ、真っ赤な瞳を見開いて。丸い目をぱちくりと瞬かせ、ゆっくり目を閉じた。
ずしり、と腕に掛かる重さが増した。もしかして、これは。ニュイの顔を覗き込むと、オリバー様やアッシュ様、魔王もニュイの様子を窺う。
「……泣いていないな。というか」
「眠ってますね……」
呼吸も一定で安定している。近くで私たちが喋っても身じろぎもしないので、よく眠っているようだ。
「疲れていたんでしょうね。疲れている人には、『安眠の加護』はよく効きますから」
「実感のこもった発言ですね?」
アッシュ様の指摘に、オリバー様は無言でそっぽを向いた。今は毎日しっかり眠っているので、そんなことはないだろうけど。
「これが『安眠の加護』の力です。どうでしょうか、魔王陛下」
オリバー様は誤魔化すように、魔王に意見を求めた。すると、魔王は感極まったように声を震わせながら答えた。
「素晴らしい。初対面の相手が触れても魔術を放たず、泣き喚かず、その上、眠るとは……」
「泣いてますね……」
「子供が泣かないと思ったら、こっちか」
「それだけ疲れていたんでしょうね……」
気が緩んだのだろう。魔王の涙腺は完全に決壊しており、涙が滝のように流れ続けている。
魔王は涙を拭わないまま、素早い動きで、しかしニュイを起こさないようそっと私の肩に手を置き、言った。
「ユイ殿、と言ったか。貴女は魔界の救世主だ……!!」
「いえ、そんな大袈裟なものでは」
ひとまず座ってくれ、と豪華な椅子を勧められる。どう考えても、魔王の執務用の椅子なので少々躊躇うが、赤子を抱えたまま立ちっぱなしは辛いので、ありがたく座らせてもらった。
「今のうちに、各地の天候を落ち着かせるよう指示を出そう。一度眠れば、暫く目を覚さないはずだ」
早速、指示を出しに行こうとする魔王を、オリバー様は呼び止めた。そして、私の方を見る。
「ユイ、スキルで睡眠時間の予測はできるか」
「あっ」
「……忘れていたな?」
完全に忘れていた。そうだ、私は睡眠時間の予測もできるし、睡眠状態を見ることもできるのだった。
最近、オリバー様もぐっすり眠れているようなので、スキルを使っていないので忘れていた。
慌ててニュイの睡眠時間の予測を確認する。
「はい……。ええと、三時間ですね」
「そんなにか!!」
二時間も眠れば万々歳というのに、と魔王は更に涙を流した。涙は全く止まる気配がない。そろそろ脱水症状が心配である。
「ですが、今回は疲れ切っていたというのもあるので、次からは寝かしつけも時間が掛かるでしょうし、睡眠時間も少し短くなるかもしれません」
「そうか……。それでも、助かることに変わりはない」
今回は触れるだけで眠ってくれたが、次は子守唄を歌ったり、疲れさせるために少し運動をさせたほうがいいかもしれない。
それに、赤子の睡眠周期は短い。寝ている間に何かしようとしても、すぐに起きてしまう時もあるだろう。
「アッシュ。一般的な赤子の睡眠時間は?」
「なんで僕に聞くんです?」
「良く孤児院に行っているだろう」
「ええと、多分、一時間から三時間だったかと」
シスターに聞いたことがあるので、間違い無いと思います。アッシュ様の言葉に、私もそのくらいだと思います、と同意した。
「短いな」
「寝て起きてを繰り返すんですよ」
オリバー様は、だから天候が不安定なままなのか、と納得したようだ。
下手をしたら、指示を出す前にニュイが起きてしまう。ニュイが起きて仕舞えば、作業が水の泡どころか、他人の魔力を不快に思ったニュイの機嫌が悪化する恐れがある。
睡眠時間の予測なんて、私のスキルを使わなければできないのだから、中々本格的な作業には乗り出せなかったのだろう。
「少しでも天候が安定すれば、後続部隊の到着も早まるだろう」
私のスキルで眠ってもらえる事はわかった。後続部隊が到着し、封印魔法の調整をすれば、ニュイの魔力も封印できるはずだ。
後は、ニュイが自分で魔力のコントロールができるようになるまで、魔王の座を守って貰えばいい。
「取り敢えず、指示を出されたら、魔王様は休まれてください。今迄、ずっと一人でお世話していたんでしょう?」
「すまない……。感謝する」
何かあったら、レイヴに言ってくれ。そう言い残して、魔王はフラフラと部屋を出て行った。
次回は来週末に更新予定です。




