案内人
魔界に一歩、踏み入れると。まるで、目の前にフィルターを一枚かませたように視界が一変した。
深い紫色の空。黄緑色の稲妻。黒くひび割れた大地。国境付近の村も十分荒れているように感じたが、魔界はそれ以上だった。
「ユイ、体調は」
「大丈夫です、けど……」
「それは良かったですが、これは、酷い状況ですね……」
魔王城まで、無事にたどり着けるのだろうか。乗ってきた馬車は、魔術をありったけ使っていることもあり移動は早いが、防御力は少々不安が残る。
凸凹の多い大地を安定して走れるのか。そもそも、鳴りやまない稲妻が落ちてきた時、危険は無いのか。
幾らオリバー様とアッシュ様がついているとはいえ、進むのは躊躇われた。
「どうします?」
「引き返し、応援部隊に対策できるものを持ってこさせるしかないだろう」
それまで、魔界や国境付近が持ちこたえられたらいいが。オリバー様は苦々しく言った。
私たちは先発隊。安全が確保できそうにないなら、一度引き返し、後続部隊に状況を伝えることも重要だ。
しかし、そうしている間にも、状況は刻一刻と悪化していくだろう。私は何度も、魔界の中心と、国境へと目を向ける。
「…………い」
何か、良い方法は無いのか。そう考えているうちに、雷で耳がやられたのだろう。変な音が聞こえるようになってきた。軽く頭を振って、帰る提案をしようと思った、その時。
「おーい、あんたら!!」
はるか向こう。黒い大地を動く、点のようなものが。此方に向かって跳ねるように移動して来ていた。
「敵襲か?」
「敵なら奇襲を仕掛けてくるとは思いますが、念のため、ユイさんは下がっていてください」
アッシュ様が前に出て、オリバー様が私を背に庇う。本当に研究職ですか、と聞きたくなるような素早い身のこなしだ。
「攻撃魔術の準備をします。オリバーは防御を」
「ああ」
そして、その点が視認できる大きさになった瞬間。背中に大きく、真っ黒な羽をはやした『何か』に私が驚くより早く。アッシュ様が光の矢を相手に向けて放った。
だが、高速で近付いてくる真っ黒な羽をはやした、浅黒い肌をした少年は、全ての矢を避け。
「おい!! なにすんだ!! あぶないだろ!!」
頬を膨らませながら、私たちの前に足を下ろした。
「せっかく、むかえにきたのによぅ」
彼は、魔王の息子、ノクスの側近だと、そう名乗った。
◇
「案内してくれてありがとう」
「いいってことよ!!」
ノクスの側近は、攻撃しようとした私たちを咎めるそぶりはなかった。あの程度、魔族の脅威ではないらしい。
牽制とはいえ、軽く言われた言葉にアッシュ様が傷付きながら。私たちは彼の案内で城に到着していた。
厳密にいえば、案内というよりは。
「まさか、馬車ごと抱えて城まで飛ぶとはな」
「ちょっとだけ、はりきったんだ!!」
私たちが入った馬車を抱えて、城まで飛ぶという荒技だった。あの稲妻は、魔力同士がぶつかった流れが光っているだけなので、早く移動すれば避けられるらしい。
そんなことを言いながら、人間三人が乗った馬車を軽々抱えて、境からは見えなかった城まで飛んできたのだ。
ちなみに、御者の人は馬と一緒に伝言の為、帰っていった。仕方がないが、私たちの帰る術がなくなったともいえる。
「それにしても、重い馬車を持って飛ぶなんて、大変じゃなかった?」
「たいへんだぞ!!」
「大変ではあったんだ」
アッシュ様の魔術を弱いと言っていたので、魔族は身体強化くらい簡単にできるのかと思った。
「でも、がんばったんだ」
曲がり角で立ち止まった少年は、くるりと振り返り、笑った。
「なんたって、ノクスからの『はつしごと』だからな!!」
側近とはいえ、正式な仕事は初だったようだ。ノクスも姫様と同じくらいの歳だし、彼は更に年下、五歳程度に見える。
「それで、どうして君……」
「レイヴ!!」
「レイヴに頼んだのか、わかる?」
恐らく、魔族の中でも子供なのだろう。言動は幼いし、滑舌もあまり良くない。馬車を持ち上げる力はあったが、体つきはまだ丸っこい。
問題は、そんな子供を、どうして案内役に選んだのか、だが。
「魔王さまは、いそがしいから。ほかのひとも、みんな」
「それは、やっぱり……」
「ニュイが、ずぅっとないてるから」
概ね予想通りの答えだ。魔王をはじめ、一定以上の魔力を持つもの。つまり、魔王の娘、ニュイに近付けるものは、軒並みそちらの対応に追われているのだろう。
「いまもたぶん……。ほら、きこえてきた」
レイヴに言われ、耳を澄ませたのが間違いだった。
「わぁぁぁあああん!!」
ビリビリと振動を感じるほどの、大きな鳴き声と、同時に黄緑一色に窓が染まるのを見て。私たちの不安は一層増したのだった。
次回は来週末に更新予定です。




