新たな出会い
すっかり慣れた鐘の音で目を覚ます。体を起こそうとして、両腕にのし掛かる重みに阻止される。
「もしかして、また……」
寝転がったまま、視線を横に動かす。いつの間にか移動したのか、腕の下、胴体に抱きつくようにミアちゃんとノアくん。肘関節の上に頭を載せているクロエちゃん。指先はエマちゃんに掴まれている。
腕が痺れている原因は、間違いなくこの体勢だろう。それでも熟睡できていたのだから、安眠の加護の効果は凄まじい。
「こんなに集まると、狭いでしょうに……」
ジャックくん以外、私と体の一部が接触しているので、当然みっちりと固まって寝ている。本当に眠れているのか不安になって、睡眠状況確認スキルを使ってみると、現在は『軽睡眠』状態であることと、今迄は無かった睡眠時間が確認できるようになっていた。
「スキルが進化してるのね」
睡眠観測アプリのように、過去24時間で何時から何時まで眠っていたか、その時間の睡眠状態がどうだったのか、グラフのように表示されている。恐らくだが、途中に起きればそれも確認できるのだろう。
一人一人、きちんと眠れていたのかを確認する。
「しっかり眠れたみたいで良かったけれど」
ジャックくんは途中、睡眠が浅くなった時間はあるが目が覚めてはいない。他の子達は朝までぐっすり眠れたようだ。
寝る子は育つというが、そろそろ起こさないと朝の礼拝に間に合わない。
「みんな、起きて」
それぞれの肩を叩いて声を掛ければ、みんなは眠気まなこを擦りながら次々と体を起こす。
「ユイ?」
「おはよう。ほら、急がないと遅れるわ」
少し急いで聖堂へ向かう。扉を開けると、いつもより強い風が木々を揺らし音を立てていた。
◇
「本日も食事の後は各々、仕事をお願いします。昼の鐘の後、ミサを行いますので、其方の手伝いをお願いします」
「はい」
朝の礼拝の後、いつも通り、神父様からそれぞれ仕事を頼まれる。此処に来てから既に2週間。殆どの手伝いは経験したつもりだったが、今日の内容は予想がつかない。
「ジャック、頼りにしていますよ。ユイは初めての手伝いですから、色々と教えてあげてください」
「任せてください、神父様」
「ミアとノアは交代で様子を見ましょう。それでは皆さん、今日も一日、よろしくお願いしますね」
取り敢えず、ジャックくんの指示に従えば大丈夫なのだろう。クロエちゃんとエマちゃんがミアちゃんとノアくんを連れて行ってくれるようなので、私はジャックくんに歩み寄った。
「ジャックくん、今日は何を手伝えばいいの?」
「パンと葡萄酒の用意だよ。いつもは神父様だけで大丈夫だけど、今日は特別な日だから」
「特別な日?」
建国記念日などといった概念が、この国にもあるのだろうか。それとも、正月やクリスマスのような、宗教的な記念日なのか。
「そう。今日は女神様がこの国をつくられた日だから。後は、秋に女神様の生誕祭がある」
「そうなのね」
両方を混ぜたような記念日だった。女神の力によって建国されたこの国は、その記念日に感謝の祈りを捧げているそうだ。全ての国民が最寄りの教会に行って祈りを捧げ、女神様からの恵みであるパンと葡萄酒を戴く日なのだという。
この教会は王都の中でも大きな教会で、中心部に位置しているので沢山の人が訪れるのだという。
「……ほんと、ユイって変なことは知ってるのに、当たり前のこと知らないよな」
「ごめんね、いつもありがとう」
説明の後、そう呟いたジャックくんに謝れば、バツが悪そうに唇を尖らせた。
「別に、迷惑ではないし。他にも何かあったら、ちゃんとオレに聞けよ」
「ええ」
しっかりと頷けば、ジャックくんはいつもの調子を取り戻し、それで良いと笑った。
「特に、今日はお貴族様も来るからな。基本、綺麗な服着てる人は神父様が対応するけど、一応気をつけとけよ」
「気をつけるわね」
私は、ただでさえこの世界の常識に疎いのだ。貴族の前で失敗し、問題を起こさないためにも、なるべく気を付けておかないといけない。幸い、平民と貴族では服装が違うので、見ただけで判断できる筈だ。
肝に銘じ、再びしっかりと頷く。
「じゃあ、厨房行こうぜ。ローザさんが準備してくれてるはずだ」
できる限り、裏方として頑張ろう。その考えは、次の鐘が鳴ってすぐに打ち消されたのだった。
◇
「次の葡萄酒ない?」
「誰か、パン取って」
入れ替わり立ち替わり、厨房に人が出入りする。パンと葡萄酒を持って配りに行っては、籠を空にして戻ってくる。急いで次を籠に入れるものを探して、重たくなった籠を持って出ていく。
「はい。すぐに」
途中、探して来た予備の籠にパンと葡萄酒を予め準備しておいて、空になった籠と交換する方法にしてから準備は楽になった。
しかし、外から聞こえてくる人の声は増える一方で、厨房を出入りする足音も慌ただしさを増すばかりだ。
「配るのが間に合わないよぉ……」
新しいパンの籠を取りに来たクロエちゃんが、泣きそうになりながら言った。どうやら、かなりの人が外で待っているらしい。
パンと葡萄酒を受け取らないと、今日の礼拝は行えない。礼拝の時間は限られているので、配る人員を増やすしかないだろう。
「私も行きます」
「でも、ユイ……」
「エマちゃんより私の方が多く物が持てるから。敬語も大丈夫、ね?」
葡萄酒を配る人数の方が足りていないのだろう。水は重たいので、エマちゃんよりも私が適している。
ちゃんと気を付けるから、と言えば、クロエちゃんは戻ってきたジャックくんの方をチラリと見た。
「……任せたぞ」
「ええ」
ジャックくんからの許可もおりたところで、私は籠を持ち、聖堂の方へと急いだ。
「本当に人が多い……」
聖堂には、見たことがないくらい沢山の人が訪れていた。まずは、葡萄酒を待っている人を探さなければ、と私が周囲を見渡すより早く、1人の男性が手を挙げた。
「すまん、こっちに葡萄酒もらえないか?」
「はい、ただいま」
返事をして男性の方へと向かい、葡萄酒を一杯渡す。すると、周りから次々と声が掛かる。
「お嬢ちゃん、次こっち」
「はい」
「私も」
「こっちも」
「すぐに参ります」
四方八方から声を掛けられ、無くなったら次の葡萄酒を取りに行って。対応に追われているうちに、あっという間に日が傾いていた。
「やっと落ち着いてきたかしら……」
準備していたパンと葡萄酒が尽きる頃には、訪れる人も少なくなってきていた。とは言え、信心深い人たちは祈りを捧げる時間が長く、また、他の人との会話を楽しんでいるようだった。
「ユイ、葡萄酒無くなったから先に戻るわね」
「わかりました」
「ユイも配り終わったら戻って来てね」
「はい」
先に戻って行ったアンナさんを見送り、まだ葡萄酒を渡していない人がいないか、ぐるりと周囲を見渡す。
「神父様は、まだ対応中みたいね」
時間をずらして来た貴族の人も多いのか、神父様の周りには質の良い服を着た人が数人いた。もう暫くは話が終わりそうにない。
「あら……?」
葡萄酒も後一杯分程しかないので、そろそろ戻ろうかと思ったその時だった。入り口に人影が現れた。黒い草臥れたローブを目深に被った人だ。その人はふらふらとした足取りで長椅子に向かい、どかりと座った。
「大丈夫ですか? 気分でも……?」
長椅子に腰掛け、頭を抑えるような姿勢のその人に声を掛ける。目の前にしゃがみ、視線を合わせようとすると、片手で遮られた。
「…………いい、構わないでくれ」
掠れ気味の、低く硬い声。明らかに拒絶されていることが、声からも態度からも伝わってきた。
しかし、体調が悪そうな人を放っておく訳にもいかない。
「そういう訳には……。横になりたいなら、休憩室もございますので」
「平気だ。時間をずらして来たのに、騒がしくて少し、気分が悪いだけで」
確かに、聖堂に残っている人はそれなりにいて、葡萄酒を飲んで仲間と話している人もいる。わざわざ人混みを避けて来るような人には、少々辛いかもしれない。
人が少なくなるまで休憩室の利用を勧めるが、すげなく断られてしまう。
「それよりも、早く葡萄酒をくれ」
「そのような状態で、お酒は……」
長い前髪に隠れて分かりにくいが、顔色も悪い。青白く、今にも倒れてしまいそうなのに、アルコールなんて飲ませられるはずもない。
「最低限口をつけるだけだ。いいから……」
「あ」
強引に、瓶を持っていた手首を掴まれる。が、私に触れた瞬間、男性の手から、いや、身体中から力が抜けていく。
「お前、もしかして……」
徐々に舌が回らなくなりつつ、私に何か言おうとするも、全身から力が抜けて長椅子へと倒れ込む。
恐る恐るスキルを発動させて状態を見ると、『深睡眠』状態になっていることがわかる。
「…………触っただけで、寝てしまうなんて」
ついでに見た情報によると、過去24時間で眠った形跡が全くなかった。先程の顔色の悪さは、寝不足によるものなのだろう。
早速成長したスキルが役に立ったが、原因がわかっただけで問題は全く解決していない。
「どうしましょう……」
倒れるように眠ってしまったこの人を、移動させるなり起こすなりしなくてはならない。
私1人では運ぶことはできないので起こすしかないのだが、やっと眠れたのに起こすのは少々忍びない。
「ユイ、どうかしましたか?」
考えていると、対応が終わったのか、それとも倒れ込んだ音に気付いたのか、神父様が此方に来てくれた。
神父様は横になっている男性を見て、何があったのですか、と冷静に問うた。
「この方が、気分が悪そうだったので声を掛けたのですが……」
「意識は……」
「眠っているだけです」
断言する私に、神父様は少し考えてから、まっすぐ私を見つめ、尋ねた。
「スキルの力ですか?」
「はい。寝不足、だったみたいです」
「ふむ。随分と隈も濃いですし、ユイの『安眠』の加護が作用して突然眠ってしまったのですね」
「そう、だと思います」
「ならば、問題ないでしょう」
呼吸も安定していますしね、と神父様は穏やかに笑った。ほっと胸を撫で下ろし、改めて男性を見たところで、ローブの下に美しいブローチが付いている事に気が付いた。
よく見れば、指輪も付けている。どう見ても平民が手を出せるようなものではない。
顔が青ざめていくのを感じながら、神父様に確認をとる。
「あの、声を掛けた時は気付かなかったのですが、この方、装飾品を身に付けていらっしゃるという事は……」
貴族の方なのでは。その場合、私の対応は罰されるのではないか。
「ああ、それは大丈夫ですよ」
「貴族の方ではないのですか?」
そうですね、と神父様が頷いた。貴族でないのに高価そうな装飾品を着けているなら、豪商や役人なのだろうか。
「ええ、彼は魔術師です。装飾品は魔術の媒体ですね。紋章を付けていないので、貴族ではないはずです」
「魔術、師……?」
予想外の答えである。魔法があるのだから、専門職がいるのは当然なのだけれど。
魔術師と言われると、下手な貴族よりも気難しい印象があるのだが、本当に大丈夫だろうか。
「取り敢えず、客室に移動させましょう。ユイ、足の方を持ってください」
神父様は雑に男性の両腕を持った。せめて、担架か何かで運ばなくていいのだろうか。
「そんな運び方で大丈夫ですか……?」
「魔術師ならある程度鍛えているので、問題ないはずですよ」
「そう、なのですね」
意外と肉体派なのだろうか。研究職のようなイメージがあるのだけど。よくわからないので、取り敢えず神父様の指示に従い足を持ち上げる。
2人掛かりでなんとか客室へと運び、柔らかいベッドの上に横たわらせる。
「後は、起きてから説明する必要がありますが……」
「誠心誠意、謝罪いたします……」
事故とはいえ、不本意なタイミングで眠ってしまった原因は私だ。他の予定などがあった可能性も考えられるし、まずは謝罪するべきだろう。
だが、神父様は大丈夫ですよ、と微笑みを崩さない。
「いえ、その心配はないと思います。どちらかといえば、ユイは感謝される側だと思うので」
「えっと……」
「まぁ、目が覚めるまで待ちましょう。ユイ、様子を見ていてもらえますか?」
「勿論です」
頷いて、ベッドサイドの椅子に腰掛ける。起きた時に何と言われるか少し不安に思いながら、眠り続ける男性をじっと見つめた。
次回は来週末に更新予定です。