仕事の手伝い
鐘の音が、響いている。ぱちり、と目が覚め、体をゆっくりと起こす。
「朝……?」
教会では朝の鐘、仕事始めの鐘、昼の鐘、仕事終わりの鐘、夕の鐘が鳴らされる。時間で言えば、午前6時、午前9時、正午、午後3時、午後6時のタイミングだ。貴族は時計を持っているが、庶民には普及していない為、教会の鐘の音に従って生活しているらしい。
「みんな、起きろ。遅れるぞ」
「ジャックくん、遅れるって?」
エマちゃんの肩を揺らしているジャックくんに問いかける。教会を開ける時間は店などに比べると早いとは言え、まだ少し余裕がある。朝食は買い置きのパンとミルクの筈なので、準備に時間は掛からない。
「朝の礼拝だ。毎日、女神様に感謝を捧げないとな。他の人たちが来る前に、オレたちは済ませとかないと」
「そうなのね」
だから急がないと、とエマちゃんを立たせたジャックくんが、私の方に目を向け、ポカンと口を開けた。
「クロエが……」
「まだ、ねてる」
めずらし、と呟くジャックくん。普段は鐘が鳴ったら、というか、鳴る前から目を覚ましていたクロエちゃんは、私の手を握ったまま、すやすやと寝ている。
「クロエちゃん、起きて」
手を離し、軽く声を掛けると、ゆっくりと瞼が開いた。
「ん……、おはよう、みんな」
「おはよ。寝れたみたいだな」
「……そうね。ちょっと、びっくりしてる」
言いながら、クロエちゃんはゆっくりと体を起こした。見たところ、顔色は悪く無い。
「気分はどう?」
「あれから起きることもなかったし、体がとっても軽い気がする。ユイのおかげよ」
「それは良かった」
もしかすると、私が気付かなかっただけであの後も起きていないか不安だったが、きちんと眠れていたらしい。ありがとう、と明るく笑うクロエちゃんに、本当に良かったと笑顔を返す。
「また夜中に起きたのか?」
「一回だけよ。もう大丈夫」
ジャックくんは一度目が覚めたという発言に眉を顰めたが、今日からは起きることもないと思う、という発言に渋々納得して引き下がった。
「ほら、早くしないと遅れちゃう。私はミアを連れて行くから、ユイはノアをお願い」
「任せて」
まだ半分瞼が閉じているノアくんを抱き、裏庭を抜け聖堂へと向かう。扉を開けると、既に神父様たちが揃って此方を見ていた。どうやら、待たせてしまったようだ。
すみません、と頭を下げながら入ると、神父様は優しく笑った。
「おはようございます、みなさん。よく眠れましたか? 特にユイさんは慣れない場所でしたが……」
「おはようございます、神父様。お気遣いありがとうございます。私は快適に眠れました」
安眠の加護は素晴らしいスキルと思う。マットレスに羽毛布団、夏はクーラー、冬は暖房が当たり前だった現代人が、藁ベッドでも熟睡できたのだから。
「オレたちも元気です。クロエもよく眠れたみたいで」
「おや、良かったですね、クロエ。皆、貴女を心配していたんですよ」
「ありがとうございます、神父様。ユイのお陰です」
「ユイは、安眠スキルを持っていますからね。ユイがこの教会に来たのは、女神様のお導きだったのでしょう」
確かに、女神様に貰った加護の内容と昨日の出来事を考えると、偶然とは思えない。女神様もクロエちゃんが心配だったのなら、解決できて良かった。
「さあ、女神様に感謝の祈りを捧げましょう」
「はい」
全員が片膝をつき、女神像に向かって祈りを捧げる姿勢をとる。同じ姿勢をとり、女神像を見上げると、突然、視界の端に文字が現れる。
「…………?」
表示されたのは、安眠の加護に関する説明だ。だが、昨日確認した時よりも、明らかに文章が長くなっている。
もしかして、もうスキルが成長したのだろうか。驚きつつも確認すると、前半部分は昨日呼んだ内容そのままだが、後半部分に新たな効果が追加されていた。
「…………ぇ」
その効果とは、触れている相手にも、僅かながら安眠状態を付与するというものであった。クロエちゃんが良く眠れたのは、子守唄だけでなく、進化した安眠の加護の効果もあったのだろう。
「それでは、朝食にしましょうか」
僅かな、と記載しているのは、今後進化すると効果が強くなっていくのだろうか。他のスキルも、このように進化していくのか。疑問はたくさんある。
「ユイ? どうかしましたか?」
「いえ、大丈夫です」
考えている間に、祈りを捧げる時間は終わってしまったらしい。慌てて心の中で祈りを捧げ、今度は食堂へと移動する。
「食事の後は各々、仕事をお願いします。ジャックは薪割り、クロエとエマは繕い物の手伝いを。ユイはミアとノアをお願いします」
「はーい」
仕事の割り振りは、昨日ジャックくんから聞いた通りだ。いつも通りか、とジャックくんは口を尖らせている。
「ジャック、言葉遣いは丁寧に。偶にとはいえ貴族の方がいらっしゃることもあります。普段から気を付けないと、不敬な発言をしてしまいますよ」
「はい。気を付けます」
「そうしてください」
貴族は事前連絡なく、突然来ることもあるらしい。王都の教会だからか、様々な人が訪れるようなので気を付けておこう。
「ユイ、余裕があれば縫い物の手伝いをしてください。部屋にはベッドがありますので、2人は其方で寝かせておけば大丈夫です」
「わかりました」
「私は礼拝堂にいますので、何かあれば呼んでください。それでは皆さん、今日も一日、感謝を忘れず過ごしましょうね」
「はい」
神父様が締めくくり、各々仕事を始めるべく動き始めたのだった。
◇
正午の鐘の後。ミアちゃんとノアくんが遊び疲れて眠ってしまったので、私は神父様に頼まれていた縫い物の手伝いに行くことにした。
「作業をしているのは、この部屋かしら……」
辺りを見回しながら廊下を歩いていると、丁度向かい側から修道女が1人、歩いて来た。
「ユイ。手伝ってくれるのかい?」
「アンナさん。はい。昼まで遊んで、2人ともぐっすり眠っているので」
「本当。羨ましいくらいだね」
最年長の修道女、纏め役のアンナさんである。重たいだろう、という言葉に大丈夫ですと笑って答える。
「お部屋は此処ですか?」
「基本、縫い物はモニカの部屋でやってるよ」
「わかりました」
3人の修道女には、それぞれ部屋が与えられている。縫い物はモニカさんの部屋に集まって作業しているそうだ。
こっちだよ、とアンナさんが先導してくれる。
「ただ、最近は困ったことも多くてね」
「何かあったのですか?」
「短期間で大量の修繕を頼まれたんだよ」
「それは……、困りますね」
「最近は王都全体がピリピリしてて、余裕がないと言うか、高圧的な態度の人も多いんだ」
寄付から成り立っている教会が奉仕活動をするのは当然、と思って上から要求してくる人も多いらしい。
「原因がわかればいいのですが……」
「殆ど外に出ない私たちじゃ無理だね」
「そう、ですね」
修道女は買い出しくらいしか外に出ることはない。必然的に、王都の情勢にも疎くなってしまうそうだ。
私にできることは、縫い物を手伝って少しでも数を減らすことくらいだ。
「モニカ、手伝いに来たよ」
部屋に入ると、確かに机に大きな山ができていた。何とか机の上に収まっているものの、木の部分が見えないほどに布が積まれていた。
「アンナさん。ありがとうございます。ユイさんも」
布の山の向こうから、モニカさんの声がした。クロエちゃんとエマちゃんは見えていたが、真反対にいたモニカさんは完全に布に隠れていたので少し驚いた。
「何をすればいいですか?」
「最近は、破れた服に当て布をする作業が多いかしら」
机の上に積んであるのが修繕する服。空いている椅子に掛けてあるのが当て布にしていい服らしい。
ミアちゃんとノアくんは、モニカさんのベッドに寝かせていいらしい。2人を寝かせ、早速山から1枚服を取る。
「針は……」
「ユイ、これ」
「ありがとう、クロエちゃん」
当て布を適当な大きさに裁ち、しっかりと縫い付けていく。見た目よりも丈夫さが大切らしい。
暫く、黙々と作業をしていたのだが、終わる気配のない縫い物が嫌になって来たのか、クロエちゃんが小さく溜息を吐き、手を止めて言った。
「ミアもノアもぐっすり寝てるね」
「お昼まで遊んで、疲れたみたい」
朝食の後、お昼までの間はベッドの上を転がり回ったり、ベッドの木枠を持って周りを歩いたりと動き回っていた。
しっかりと遊んで疲れたのか、昼の鐘が鳴ってからは何もしていなくても、ぐっすり深睡眠状態である。
「こりゃ驚いた。今迄は2人が泣くとクロエが掛かり切りになってたのに」
「そうそう、中々泣き止まないのよね」
「此処まで気持ちよさそうに寝てると羨ましいわね」
アンナさんとモニカさんも、疲れて来たのか顔を上げ、お喋りに参加して来た。天使のような2人の寝顔を見て、本当に羨ましいね、とアンナさんがぼやく。
「本当。最近は歳のせいか、寝ても疲れが取れなんだよね」
ぐるぐると肩を回せば、関節が乾いた高い音を立てる。座り作業が長くなると、体が固まって辛いのだろう。
「その上、こんなに服が積まれてると気が滅入るったら……」
「そうですねぇ……」
午後からとはいえ、1人増員しての作業だが、全く服が減っている気がしない。
「昨日より増えてないかい?」
昨日も追加されましたからねぇ、とモニカさんは遠い目をした。作業1日目の私も気が滅入りそうな光景なので、毎日やっている人はもっと辛いだろう。
「偶には刺繍もしたいのに……」
「さすがに、飽きた」
「刺繍も編み物も、やり方忘れちゃいそうだね」
クロエちゃん、エマちゃん、アンナさんが口々に愚痴る。大変ですね、と同意すると、モニカさんが特大の溜息を吐いた。
「私なんて、部屋に置いてるので毎日寝る前に量を見て、明日終わるかなぁって不安になっちゃいます」
「ここまであるとねぇ」
「気分が落ち込んじゃって……」
「でしたら、少し手間ですが、別の場所で保管するのはどうですか?」
突然の提案に、モニカさんは目を丸くした。手を横に振り、大袈裟ですよ、と笑う。
「わざわざ、そこまでしなくても……」
「いえ、寝る前に考え事をするのは、睡眠の質を下げます。仕事と私生活は場所を分けて、しっかりと落ち着けるようにした方が気分が切り替わると思います」
気分の落ち込みも、睡眠の質が落ちている影響かもしれない。そう伝えれば、アンナさんが少しの間の後、口を開いた。
「厨房の隣の休憩室を使おうか。人数もいるし、移動もすぐ終わる」
「ユイが、言うなら」
「そうね。ユイが言うならやってみよう」
エマちゃんとクロエちゃんも賛同してくれたため、あっさりと部屋を移動する事が決定した。
「悪いですよ……」
私の作業が遅いのが原因なので、と引き下がるモニカさん。しかし、既に他3人の意思は硬い。
「モニカ、ユイは安眠のスキル持ちだよ。眠りに関して詳しい筈さ」
「そこまででは……」
聞ける助言は聞いておくべきだよ、というアンナさんの言葉に、モニカさんも納得したらしい。
しっかり眠れば集中力も上がり、作業効率も早くなるとは思うので、一度試してみて欲しい。
「謙遜は程々にね。他にやった方がいいことは?」
「そうですね。仕事とは別に、寝る前に刺繍や編み物をするのはいいかと思います。寝る前に落ち着く作業をすると良く眠れます」
毎日のルーティンとして行えば、更によく眠れるようになるだろう。
「それはいい。とはいえ、全く関係ないことをするわけにもいかないからね」
焦らなくてもいい仕事は何かあったかね、とアンナさんは顎に手を当てた。
「今から冬に向けて編み物でもしようかね。モニカも、秋に大規模なミサがあるだろう。その時に使う、お貴族様向けのテーブルクロスの刺繍を頼んでいいかい?」
「は、はい」
「モニカの刺繍は綺麗だからね」
「そんな、嬉しいです」
モニカさんは刺繍が好きらしい。何を刺そうかな、と呟く声は弾んでいる。好きなことをするなら、リラックス効果も十分発揮されるだろう。
「さ、引越しするよ」
アンナさんの掛け声に、一斉に返事をする。布の山は依然として大きいが、持ち上げたそれは随分と軽く感じた。
次回は来週末に更新予定です。