美容の意識
「よし。準備万端」
鏡の前に立つ。髪型は崩れていないか、服装は乱れていないかを確認する。
「…………大丈夫、よね」
自分では後ろ姿や、遠目から見た姿を確認できないので少々不安が残る。思わず、ワンピースの裾を握りそうになった手を慌てて離した。
自分で自分の手を掴んでいると、控えめなノック音が響いた。
「ユイ? そろそろ支度はできたか?」
「はい。大丈夫です」
これ以上、オリバー様を待たせる訳にもいかない。もう一度だけ鏡を確認してから、扉を開ける。
無言である。じっと見られていることは分かるが、オリバー様は何も言わない。
「どう、でしょうか」
着る途中で間違えただろうか。髪型がこの世界の常識とは食い違っているのか。どこか、失礼な要素があったのか。
それとも、純粋に、似合っていないのだろうか。
内心、焦っていたのだが。オリバー様は、ふ、と柔らかく息を吐いた。
「…………よく、似合っている」
「あ、ありがとうございます」
いつもより、声に感情が乗っている気がして。返事の声が上擦ってしまい、俯いた。
少し考えたら社交辞令だと分かるのに。顔を軽く仰いで、熱を冷ました。
「どこからどう見ても、貴族のご令嬢だ」
「それは流石に言い過ぎですよ」
取り敢えず、見た目は問題ないようだ。後は、オリバー様に借りた本による、付け焼き刃の礼儀作法が通用すると信じるだけだ。
「……本当に一人で平気か?」
「大丈夫です。呼ばれているのはお茶会ですし、オリバー様に同行してもらう訳にもいかないでしょう」
不安はある。だが、今日の招待は令嬢との茶会という名目になっている。男性は基本立ち入れない。
そんな話をしているうちに、玄関で呼び鈴の音が鳴る。アーロン子爵家から、迎えの馬車が来たようだ。
「では、行って参ります」
「ああ」
馬車に乗るまで、オリバー様に見送られ。アーロン子爵邸へと向かった。
◇
「此処が、アーロン子爵邸……」
門が開き、そこから更に、馬車で移動すること少し。ようやく辿り着いた玄関は、普段見慣れて屋敷に比べ、はるかに豪華だった。
オリバー様の、上位魔術師に与えられた屋敷も、教会近くの平民の家に比べて広い。だが、それとは桁違いの豪華さである。
これが、貴族の屋敷。圧倒的な差に気押されていると、屋敷の中から身なりの整った男性が現れた。
「お待ちしておりました」
執事らしき男性に誘われるまま、ホールへと入る。床まで美しく磨かれたホールの中央に、目的の人物は立っていた。
美しく波打つ金髪。長いまつ毛に縁取られた緑の瞳。深い青色のドレスが、吊り気味の瞳と合わさって落ち着いた印象を与えている。
「ユイさん。今日は来てくださってありがとう」
丁寧なお辞儀をするミュリエルさんは、正直、同性である私も思わず見惚れるほどの美しさだ。
外見はもちろん、細部の所作が美しさを形作っている。これが、貴族というものなのだろう。
心の中だけとはいえ、さん付けで呼んでいたことを後悔するほどだ。
気を引き締めながら、自身ができる最大限のお辞儀を返した。
「ミュリエル様。こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
「早速、中庭に案内するわ。ついて来てちょうだい」
「はい」
ミュリエル様に連れられ向かった中庭は、様々な花や木が植えられており、どこを見ても絵になる光景だった。
少し開けた場所に、ガゼボ、というのだったか、休憩用の小さな建物があり、そこでお茶をするようだ。
「そのワンピース、とても似合っているわ」
「ありがとうございます」
少し何か言いたそうだったが、ミュリエル様は小さく首を横に振る。
そして、にこりと微笑みながら椅子に座るよう促された。控えていた侍女がお茶を注ぎ、別の侍女がテーブルにケーキを並べたところで、ミュリエル様が口を開いた。
「早速だけれど、本題に入るわね」
「はい」
「悩みというのは、以前話した通り、睡眠不足の事よ。夜会の知らせと、婚約者からの手紙が来てから1週間、眠りが浅くなった気がするの」
最初は、久しぶりの逢瀬が楽しみなだけで、すぐに落ち着くと思っていたらしい。
しかし、徐々に肌の調子が悪くなり、眠れないことへの焦りがでてきたのだという。
「今は、万全でない状態を、あの方に見られるとなると気が塞いでしまって……」
「更に寝つきが悪くなった、と」
「……ええ」
完全に悪循環に陥ってしまったようだ。肌の調子は化粧で誤魔化せるから気にしなくても、と他人が言っても、本人にとって重大なことだ。
「色々と、睡眠に良いと言われているものも、試してみたの。でも、あまり効果がなくて」
そう言いながら、ミュリエル様がカップに口をつける。流れで私も口を付け、あることに気付いた。
「……今日のお茶もハーブティーですね。最近、飲まれることが多いのですか?」
「ええ。ジャスミンティーは美容にも良いというでしょう?」
確かに、ジャスミンティーはリラックス作用や血流改善、腸内環境改善や抗菌効果がある。
「ミュリエル様。このお茶は、寝る前にも飲んでいるのでしょうか?」
「ええ。どうしたの?」
ジャスミンティーには、一つ、注意点がある。それは、カフェインが含まれていることである。
次回は来週末に更新予定です。




