第9件目 『 魔夜中のカウントダウン・ユース』
※注意※この物語はフィクションです。実在の人物、団体、事象とは無関係です。
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ユピテリアの西の森、暗くて明るい3つの月の下、その黒々とした森の梢の間から無数の光が漏れている。
大勢の人類種達がいるのだ。
皆が手に手にランプを灯し、ある者は杖を光らせ、あるものは宙に光を浮かべて、───たくさんの光源で複雑に照らし出された木の下闇は草木の陰影を斑に浮かべて異様な景観になっている。
その奇怪な光と影の入り乱れる中を蠢く人間・獣人・エルフにドワーフに小人。彼らもまた異様な奇色を帯びているのだった。
というのは─────
「───おーい!お前らも来てたのかぁ!フォウフォーウッ!」
「あぁお前たちもか!ピューピューッ!!」
「ハッハッハw待ってたぜぇ~!」
「この時をよぉー!?ってかぁw」
「ガッハッハw」
「いや~こりゃあだいぶ大袈裟な山狩りになったなぁ!」
「って、…お前ら工場の方はいいのかよ?夜勤があるだろうに」
「そんなの、どこの工場も店もこの山狩りに出払ってるよ!運送屋のお前らも来てるじゃねえか」
「ハハwまあそうなんだが…いやぁ、迷子1人探すのに、こんなに人が…」
「これだけの人数が動くというのは、報酬の特賞が”純粋結晶”ってのはやっぱり本当なんだろうな?」
「たぶんな。くくっw」
「ふふっw」
「ハッハッハww」
「おーい!?なんだ、誰も確認してねえのかよw」
「噂だよ噂ぁーっ!」
「そういう触れ込みじゃねえか。冒険者ギルドの」
「みんな適当だなw」
───などと談笑しつつも剣鉾で草木を薙ぎ払い下草を踏み荒らす彼らの陽気さは、本来ここでは有り得ないものなのである。
行方不明者捜索に参加したユピテリア一般市民達。彼らは全員それなりに軽鎧を着こみ得意の武器を片手にと、魔物に遭遇した場合の戦闘の装備をしてこの深夜の山狩りに参加しているものの、まるで緊張感のようなものが無さげな調子でお喋りしているのだ。
ここは通常、魔物や動物たちの殺伐とした独壇場である深く広い森。それも真夜中ならぬ”魔夜中”の森。
魔物の安息日が終わる直前の夜間を魔夜中というのだが、その刻限の野山には伏魔を思わせる不気味な静けさがあるのである。そのことを彼ら自身が十分に知っているはずだというのに。
しかし今この森を無数に広がり歩く人類種達の賑やかな山狩りが、静寂の張りつめる闇深い森林から邪気を払っているばかりか異様に明るい雰囲気へと変えてしまっているというのが彼ら自身にとっても不思議で気分がおかしくなっていた。
こういうときはまず落ち着かないといけない。この森へ行方不明者の捜索に入った誰もが、そんなことくらいは分かっている。
「ハハw…お、煙草…」
「火ぃ貸してくんね?」
「おれにも一本くれ」
「「「「「…………」」」」」
「…あー、しかしこんなに競争相手が多いんじゃあ…」
「おお。その迷子の〜勇者殿?…スザリオ…なんちゃらって奴はもう、誰かが見つけちまってるかも知れんぜ」
「魔法使い共が捜索に力入れたら、すぐ終わっちまうだろうからな」
「なぁ?」
「ハハ…w」
「まあいいじゃねえの。こうやって冒険者に混じってさぁ、皆んなで一つの依頼に参加するって…」
「そうそう」
「ああ!若い頃を思い出すよ~!」
「一攫千金!人生大逆転!つってな」
「しっかし久しぶりじゃないか?こういう自由参加の街ぐるみの大きな案件って。ギルドはおもしれえ事やってくれたわ」
「そうだぜ。参加報酬も出るんだし、何よりバカでかい成功報酬らしいんだからさ、俺らもおこぼれにあり付けるかもしれんぜー!?」
「ヒュー!」
「なに買おっかなー!」
「バブル到来かー!?」
「ガハハwwヒック…」
「おいおい!呑んでんじゃねえよ!てゆうか喋ってねえで迷子探せお前らww」
彼らは落ち着こうとして談笑するうちに、その気分が却ってあらぬ方向へ膨らんだ。共有するその気分が集まれば、嫌が応にも互いの高揚を煽ってしまうのは無理もなかったかもしれない。
だって彼らは皆、元は冒険者なのだから。───時にそれはハジケてしまうのだ。
それは若かりし頃に冒険の青春へ別れを告げた中年達の滅多にないハジケ祭り。来る日も来る日も食い扶持の為に代わり映えの無い仕事を頑張ってきた彼らにとって「ハジケちゃおうぜ!」という解放の時なのだ。報酬と人助けにかこつけて仕事と家庭から解放される、唐突に訪れたこの瞬間を彼らは”待っていた”のである。
稀にだが時々あるのだ、こういう大人数で挑む巨大案件が。そういう時は無礼講ではないが、仕事も公務も子守も家事もほっぽり出して一般市民まで冒険に参加するのが、この冒険街ユピテリアの風習である。
ユピテリアは別に海や大河に面しているとかいう訳でもないのに栄えている変な街で、山谷と平野部の間にある微妙な凸凹傾斜した土地に人家や市場が広く密集して築かれている。そこに出入りする人々の多くは冒険者で、定住する住人達もまた冒険業を引退して住み着いた者達が多い。
というのは、この街には総合冒険商社ギルドの”アドヴァンズ”、””スターリーオウシャン”、”ボードリィキックバック”という、パングラストラスへリア大陸冒険者ギルド協会の大手3社が各支部所を置いていて三つ巴の激戦区となっているから同業者が集まり賑わっているのだ。
ギルドという巨大組織が依頼案件を奪い合う、冒険家業のシノギを削る競合は膨大な”価値”の利益を産出しているのだった。
だからなのか何なのか、冒険者崩れの市民が多いこの街では市民参加型の変な案件が発布される事態がたまーに有って、それを市民達は普段の生活の間、心の片隅で期待して暮らしている。
冒険─────その波乱含みに挑むというのは、それだけでも人の心を湧き立てる何かが在るのだろう。
それは青春なのだ。
その青春が大挙すれば、立ち上がった人々の胸中に在るそれはある種の異様な高揚に変貌する。
それは過ぎ去った青春の光の再来による心のハジケ───────────
─────というか、これは命の危機にある少年勇者の捜索のはずだろう。
だというのに彼らの態度に真剣味というものが見受けられないのはどういう訳か。
それは、今がまだ”魔物の安息日”という魔物や魔獣の動きが沈静化する時間帯だから安心だよね~とかいう理由だけでもない。
この森には今、どれだけ多くの人員が集まっているのか見当もつかないくらいの大人数なのである。月に一度の神殿斎詣で並みの出入り、毎朝の通勤に市街を行きかう人々と同等の人波───或いは、戦役に徴収された市民が野戦に駆り出された時と同じくらいの風景に見えるほど集まっているのだが、おそらくはそれが全員の気持ちを変に浮き足立てているに違いなかった。
それは主に「自分以外の誰かが」という気持ちなのだ。
万が一、今から”降魔ガ刻”に至り魔物が襲撃してきたとしても、自分達はこの大人数であり、街の兵士や冒険者の強者も多いとなれば物見遊山でも大丈夫だろうと。
そして本当のところ彼らの多くは本気で行方不明者を探す気持ちなんてあんまり無いのだ。どうせ冒険業の本職であるギルド登録者たちがこの行方不明者捜索をさっさと片付けてしまうに決まっているのだと。それがちょっと緊張感が足りず遊び半分になってしまう理由だった。
しかし心配いらない。
元冒険者だった彼らの青春の高揚を落ち着けるも何も、いつしか萎えているのだ。
草を薙いでいた鉾は地を突いて杖になっているし、剣で枝を払っていた手には煙草があって、ゆったりと団欒してしまっている。小瓶を開けて酒も飲んでるしもうダメだ。そもそもなんで酒瓶を持ってくる必要があるのか。
遠き日に青春へ別れを告げたオッサンたちの冒険心はそんなものなのだろうか。ここまで来た元気はカラ元気ってやつだったのだろうか。心のハジケを抑える彼らは臆病な大人なのだろうか。
───そうではない。
「なんにしろ、まあ本業が大事だからな」
「ちげえねえ。生活が大事だ」
「嫁と子供が大事」
「お客さんの命も大事さ」
「そのためには自分の命が大事だね」
彼らには自分の冒険よりも大事な事が有るのだ。仕事や子育てという、命を繋いで誰かの冒険を支える大事な役目が。
洗濯屋の店長と従業員7人。運送屋の社長と社員20人。金物工場の工場長と作業員30人。全員オッサンの集団である彼らはもう気が済んだようだ。
お家へ帰ろう。そしてカミさんの作ったシチューでも食べて、お風呂に入ったら子供と一緒にあったかい布団で眠ろう。さらば青春の光。
「さーてと、明日も朝早いし…」
「ぼちぼちだな」
「そろそろ引き返さねえと、街に着くまでに降魔ガ刻になっちまう。魔物とか相手にしていられないよ、さすがに」
「部下をまとめよう」
「ああ。」
「帰るか。」
「───火を消せ」
「「「「「ッッッ!!!」」」」」
落ち着きを取り戻してダラダラ屯する彼らは背後から刺しこまれた鋭い声に固まった。
森の奥の闇から甲冑の摺れる武者鳴りの音がゾロゾロと聞こえてきて、本格武装の一団が現れたのだ。
ユピテリアの街を守る警官や兵士たち───ではなかった。いつも街の堀塀の外側を守っている軍人達である。
森の中を駆け回る鹿に跨った彼らと随行する徒歩の兵士達はずらりと真横に隊列を広げていて、森の奥から徐々にその布陣を下げてきているのだ。壮観な威圧感である。
普段は街の中で起居している市民達が武装した軍隊に囲まれることは無いものだから全員一瞬で萎縮してしまった。
「火を消せ」
「ぅ…?」
「こ、これは魔除けの煙草で…」
「山中での喫煙は憲法違反だ。消せ」
「帰れ」
「今からここが死分線だ。素人は撤退しろ」
「「「「「「「「「「「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」」」」」」」」」」」
騎上から見下ろす騎士が言ったのは単に山火事を警戒した普通の忠告だったのだが、市民達が震えあがったのは騎士の脇で警護する徒歩の近侍の一言である。
”死分線”というデッドラインが今ここに至ったのだ。
森の奥を捜索中に魔物の安息日が終わり降魔ガ刻に至った場合、この地域一帯の魔物が一斉に”どこからともなく”現れる。その場合に軍人たちが市民達を守りつつ街へ戻れることを保証する最終防衛線が生死を分ける死分線。
捜索に協力している市民達が元々は戦闘経験ある冒険者だった者達だとはいえ、引退した彼らのその戦闘力は全然あてにならない。だから彼ら軍人が守らないといけないのである。
注意されてダバダバ慌てて退参した市民達が逃げ去ると、並み居る軍人達の無駄口の無い沈黙で辺りは静かになった。
「───…」
「報告!市民全員、死分線の内側へ移動しました。多くはそのまま街へ帰らせています」
「現在、魔物の見敵報告は出ていません。森の奥からも同様です」
「うむ。このまま全軍を後退するよう各所に伝えろ。それと、各自、今一度武具を点検しておくよう命じろ」
騎乗から下知を飛ばす面頬の騎士の所へは布陣した軍隊の各部隊から頻りに兵士が走ってきて伝令や報告がもたらされる。命じられた兵士はすぐさま走り去ってゆく。横へ伸びた隊列に灯る魔法の照明が明滅し、面頬の騎士に解るように遠くの状況が信号で伝えられる。
戦況を左右するのは何より情報であると言って過言でないだろう。まだ戦闘は始まっていないものの、この情報網の連結の維持が彼ら人類種全体の命綱であると言っていい程に大切なのだ。これを万全にしておくことが、面頬の騎士である大隊長補佐フレデリック・ジョーイ・ゲッソンリット少佐の仕事─────。
その面頬のフレデリックが始終キョロキョロしているのは他でもない。大隊長ルイス・カグラ中佐がどっかへ行ってしまったからだ。だから彼は凄く焦っていて甲冑の下は全身噴き出した汗と鳴りやまない鼓動でやばい状態である。面頬を付けているから傍から見て彼の引きつった顔が解らないものの、現場経験の浅い若者であるフレデリックの精神状態はギリギリであった。
そんな彼の頭上と足元から現れた者がある。箒に乗って森の上から上空の様子を窺っていた魔法使いと、地下や森の様子を探っていた山岳潜伏組織”ジャンガラ”だ。
「…あれ?」
「…?中佐殿は?状況報告なのですが…」
「大隊長ルイス中佐は急遽別件に赴いている。この場はこの大隊長補佐フレデリック少佐が受け持った。報告せよ」
魔法使いもジャンガラも、さっきまで居たルイス大隊長の姿が見えないのでちょっと困惑したようだ。
だがフレデリックの毅然とした物言いでハッとして向き直ると、彼らの報告が始まった。
「空に異常はないです。どの方面もまだ静かですが、大気と星の陰気は張り詰めています。いつ安息日が終わってもおかしくないでしょう。天候や気温はこのままで、雨風が出たりはしないですね」
「地下の様子も同じだ。…ただ……」
「…?なんだ。申せ」
ジャンガラが状況報告を言い淀んでいるのを面頬のフレデリックは静かに促した。なんであろうと報告をしろと。だが内心は心臓バクバクである。頼むから変な事起きないでくれと。
ジャンガラは顔を上げて続けた。
「いえ、その…ここは西の森でしょう?念のため手薄の東の森の奥も探らせていたんですが、そこで異常が見つかりまして…」
「ほう。申せ…いや待て、近う。」
「(───戦闘の痕跡が見つかりました。ゴブリンの死体です。それと、人糞。あとは魔術のような痕跡がいくつか…どれもここ数時間のものと思われる)」
「ッ──!!!」
フレデリックが念のためにと手招きして近づかせたジャンガラが小声で報告したのは、こともあろうに件の行方不明者スザリオ・エグザイル・ガルマの痕跡と思しきものであった。
これにはフレデリック少佐は面頬の奥で大きく息を吸って動揺してしまい、傍らのジャンガラまでキョロキョロして様子がおかしくなってしまっている。
それはそうだろう。今回のものすごい懸賞金のかかった遭難者の手がかりが見つかったのだ。興奮するに決まっている。
だが大隊長補佐という立場であるフレデリックにはそれくらいの事態は想定内ではある。彼は軍隊として軍務にあたっているだけとはいえ、捜索に関連する作戦なのだから当然そうした報告が自分に上がってくることは有るかもしれないとは思ってはいたのだから。
だけど全然方角の違う街の反対側で行方不明者の痕跡が見つかるなんては思ってもみなかったのだ。
「(ジャンガラ。このことは他に?)」
「(いえ。我らの方から報告したのはフレデリック様だけで。今初めての報告です)」
「───…」
フレデリックは面頬の奥で一瞬の間に色々と考えを巡らせた。
まず、このことを知っている指揮官がまだ自分の他に居ないかもしれないという事。
ならばどうする。
12億モニーの価値ある莫大な懸賞金を手にするために動こうか。
───この考えは即座に霧散した。
フレデリックは軍人。軍務にあたっているのである。公務員みたいなものだから、自分の存在自体が個人では無いのだ。それが所詮は建前であるとは言え、冒険に走ることは出来ない。
それにそんな冒険しなくても今の立場で頑張っていれば上流階級で将来安泰。とはいえ軍人だからいつでも軍務で死ぬ可能性が有るのだが、今の時点でも財産も名声も十分だし欲張る事は無い。
じゃあどうする。
───自分個人が動かないのなら人を動かす。
巨大案件の達成者になれば大手柄ではあるが、それは自分の仕事では無いのだ。
ここは自分以外の誰かに手柄を譲ろう。その判断を今自分がするしかなかった。だって上司の大隊長ルイス・カグラ中佐は急にどっか行ってしまったのだから。この事態は急がなければならないし、フレデリックが現場を任されているのだからいちいち判断のお伺いを立てに使いを出すわけにもいかなかった。ともかくこの事を上層部へ通達せねばならないのだが…
───ちょっと待てよと考えがよぎるのだ。この魔物の現れない伏魔間である”魔物の安息日”にゴブリンとの戦闘の痕跡となると、少佐という階級のフレデリックにも聞いたことのない異常事態である。ジャンガラの報告を少し疑ったが、事実確認をする術も今は無い。
だからこの事態はますます扱いに困る。現状の布陣内容で問題ないのだろうかと。
もしこの異常事態の裏に”魔族”の干渉があったとすればただ事ではないから軍隊主体の戦力配置では手に負えない事態と成りかねないのだ。
が、だからといって誤報を流せばそれはそれでいろいろ大変な始末を被る事態になってしまう。
とはいえとりあえずこの事で自分が直接動くことは無いが、何処かへ通達はしなければならないだろうことは揺るがない。
捜索を迅速に進めさせるためには何処の方面へ通達を───何処の組織へ通達を優先するべきか、その判断が今最も彼には重要なのだ。
そんなの自分のとこの軍上層部にそのまま報告を飛ばせばよさそうなもの、との考えへと思考が元に戻ってくるが、それがやっぱりフレデリックには引っ掛かるのである。誤報や魔族云々とはまた別に。
軍事、政治、宗教、商業、そして裏社会や秘密結社。フレデリック少佐が伝手と貸し借りの在るどの派閥へ情報をもたらすかでこの大手柄による莫大な成功報酬が動く。そうなれば金の入った派閥の勢力が大きくなり、各派閥の力関係が著しく変動しかねない。すると自分自身にも結局は影響してくる。この機会は彼にとって大きなピンチにもチャンスにも成り得るのだ。
───と思った時、傍らから口をはさむ者がいる。フレデリックの側近であり個人的従者でもある”帯刀”ヒョウシマルだ。
「(若、僭越ながら…)」
「(む?聞こえていたのか…?ヒョウシマル)」
「…」
声を潜めるヒョウシマルはフレデリックの問いには答えないが、どうも今の会話を聞いていたらしい。
その上でヒョウシマルはこう言うのだ。「無視しましょう」と。
大隊長補佐であり少佐という階級であるフレデリックは軍内部にもあるややこしい派閥のあれやこれやで敵対者が多く、今得た極秘情報を上層部へ送ったとしてもその秘密は守られず何処かへ漏れてしまい、結果として思わぬ政敵に加担するような顛末になりかねない。だから余計な事をしない方がいいと。
───何も聞かなかったことにして、今の防衛線の任務だけをやる。なるほど。こいつは何を無難な事を言っているんだと、フレデリックは逆に腹が決まった。
「(そんなことは出来ん!司令部の僚長へ密使を───)」
「すみません~!ピザスキー・パン店です~!こちらに、ウーア・ミッフィー様御一行、”美味しさ冒険隊”の4名様はいらっしゃいますでしょうか~?」
「「「「「─────!!!???」」」」」
よく通る元気な大声が街の方角から聞こえて軍隊の全員が振り向いた。
草葉をかき分けてやってきたのは宅配箱を背負ったパン屋の店長と従業員たちである。彼らは軍勢を見ても全然恐れた風でなくて、足早にさっさとフレデリック少佐の騎下までやって来たので近衛のヒョウシマル達が慌てて止めに入った。
「止まれ!」
「止まれ!」
「下がれ!何者だ」
「毎度ご利用ありがとうございます!ピザスキー・パン店店長、ミケラン・ピザスキー・ジェローと申します。ご注文の品をお届けに参りました!」
「パン屋か…」
「パン屋…」
「パン屋?」
「何の用だ」
「一般人はこの死分線より先へは行けぬ。戻られよ」
「申し訳ありません。ご注文の品が冷めてしまいますので、お届けに上がらないと…。ウーア・ミッフィー様はこの辺りにはいらっしゃいませんでしょうか?」
ユピテリア市街に軒を出しているパン屋の店長は軍人たちの詰問にも動じず笑顔で立っている。その表情も態度もなんというか聞き分けの無さそうな感じが凄くて近衛の兵士たちの方に動揺が走った。この店長さんはたぶん、どう命令されても窘められても言う事を聞かないだろうという感じが凄いのだ。
そんな店長と従業員3名が大事そうに背負っている籠や箱が何なのかヒョウシマルは気になった。
「…背負子の中身は何だ」
「それは、お客様のご注文内容ですので…守秘義務。という事になっております」
「怪しい奴───捕えろ」
「待て」
騎上からかけられた鋭い一声でヒョウシマル達は捕縛を中断した。いうこと聞かない奴はとりあえず捕まえるのが常套手段だが、少佐殿は一体どうしたのだろう。
全員が注目する大隊長補佐フレデリックの顔だが、その表情は面頬で隠れて解らない。
だがフレデリックの口元は面頬の下でニヤリと吊り上がっている。
それは彼の有する確かな情報筋から聞いていた、行方不明者の仲間たちの名前。そしてこのパン屋。それらからこの事態を片付ける、いい方法を思いついたのである。
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「ふぅ、さぁてこっからだ。お客さんはもっと奥の方にいるらしい」
ユピテリア市街3丁目にピザスキー・パン店本部店を出している彼、ミケラン・ピザスキー・ジェロ―は軍隊の死分線を通されて出前サービスに直行している。
通されるはずのない境界線を通る事が出来たのは大隊長補佐のフレデリックという騎士の取り計らいによるものだ。フレデリックは通行の際に護衛を付けてやろうとまで言ってきたが、それは断った。ミケラン店長にしてみればフレデリック達の軍隊の1人1人もまたお客さんなのだ。それなのに護衛などとお世話になるわけにはいかない。
という感じの勇敢なミケラン店長さんなのだが、付き従う従業員3名の顔色は優れなかった。
「…大丈夫かな。もう、森の奥へ進むのは危なくないですか店長…」
「そうっすよ店長。もう時間が…」
「店長、やっぱり引き返しましょう」
「──あぁそうだな。普通はそうだ。だが、注文を受けたからには商品を届けないといけないんだよ。俺たち本職は納品を怠ったらお終いだ。覚えとけ…」
「マジっすか」
「行くんですか」
「パン屋も甘くねぇな~」
従業員たちは不安そうな顔をしながら走り続ける。
顔と言えば、戦場に出前を頼む人で無しはどんな顔をしているだろう。正直困ったものである。魔物が出始めたら出前どころでは無くなるのではないだろうか。それでも届けるなんてはさすがに言わないと信じたいが、ミケラン店長はどうするつもりだろう。そのへん何も考えてないのだろうか。客もおかしいが店もおかしいのである。
だけど彼ら従業員たちは今回の出前に高額なお手当を約束されているため頑張るのだ。”仕事”という概念の人心拘束力というのは凄いものである。
そんな彼らがどんどん走って暗い森の奥へと向かうとアチコチに明かりが見え始めた。
各々雑多な衣装で武装した人間・獣人・エルフにドワーフに小人に妖精、その数人づつの集団─────冒険者たち。
と、同業者たち。
「水ぅ〰水~っ!喉を潤す冷たい水は要らんか~?亀甲山の湧水!さっき汲んで神殿で御祓いした清らかな浄水だよぉ!」
「腹へってないかーい!?腹が減っては戦は出来ぬ!弁当屋のスヌープですー!握り飯にサンドイッチにハンバーガー!片手で食えるの色々あるよー!」
「皆さん装備は万全ですか~?万事屋エニシング・ユピテリア店ですー!壊れた籠手に弓の弦、銃器の部品も直せますよー!」
「怪我した者はいないか~!治癒魔法一回3000モニー!疲れてる人には回復魔法!眠たい人には覚醒魔法もあるよー!酔い止め魔法に活性魔法!関節痛に養生魔法!いろいろ出来るよー!」
「呪われた者は我が神に供物をー!信者でなくとも祓って遣わそう。気狂い、憂鬱、神経症に不安症。臆病風に勇み足、身に覚えのない症状には悪霊が悪さをしておる!厄日の者は祝福してやろう!金さえ払えば何とかしてやろうぞー!」
「あいつら…ッ」
ミケラン店長は商魂たくましい同業者たちを見てほほ笑んだ。
一般人はやってこれないはずの森の奥だがなんてことはない。顔見知りがそこらじゅうで商売しているではないか。街の飲食店は網籠や荷箱にサンドイッチとかハンバーガーとか片手で食えるような軽食を詰め込んで森の奥まで売り歩いているし、酒や水の売り子も天秤棒で樽を担いで忙しそうに駆け回っている。医療魔法師や神官法師も部下を連れてやって来ている。冒険者たちの方もそれを見て咎めるでもなく食料や雑貨を購入しているのだ。
「ちょっと高いね~」
「ご購入ありがとうございます。ええ、今回は危険を伴う為にいろいろと経費が掛かっておりまして、価格も相応の設定になっております」
そんな声が聞こえてくる。売れるのだ。高くても売れる。売れると商機を見出せば注文が無くても売りに来て売るのが商人なのだ。だからどいつもこいつも顔つきがギラついている。
彼らはギリギリまでここで商売するつもりだろう。それが彼らの青春なのかもしれない。
彼ら商人がどうやって軍隊の関門を突破したのかミケラン店長にも解らないが、色々手段が有るのは想像がつく。
しかしその事はもういいだろうさすがに。
冒険者だ。
軍隊が張ったデッドラインである死分線より森の奥へは、冒険者ギルドの現役登録者たちであれば通っていい事になっている。その冒険者たちがそこら中に居るのだから、ピザスキー店の出前客である冒険者パーティ”美味しさ冒険隊”もこの辺に居る可能性が高い。
客のウーア・ミッフィーの顔は、街で注文を直接受けたミケラン店長は見て知っている。
「ウーア・ミッフィー?」
「美味しさ冒険隊?…あぁ、アイツらなら───」
道中で尋ねた冒険者たちからの情報では、注文客ウーアはもっと森の奥らしい。
すでにミケラン店長は一人である。従業員3人は道中の冒険者たちから注文を受けてパン箱の中身を売り切ってしまったので帰らせた。ノルマ達成だから。
残る商品はウーア・ミッフィーのものだけだが、さすがに大事な社員たちまで無理をさせるわけにはいかないだろう。降魔ガ刻になれば怪我だけでは済まず、魔物に殺されてしまう可能性が高すぎた。
だがミケラン店長は自分一人なら何とでもなると思っている。
且つての通り名─────”ユピテリアの赤いパン屋”は元冒険者なのだ。
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「「「「────…………」」」」
「ウーア・ミッフィー、ロバーツ・デイミオ、ミルコ・アイザック、キユーギン・モエー・ファルマ…」
「お前たちだろう?スザリオ…なんとかっていう今回の遭難者の仲間」
「パーティー名は何だかいろいろあるんだって?俺が決めてやろうか?」
「てゆうか、どうなんだ?スザリオを見つけ出すあてはあるのか?」
そんな風に声を掛けてくる冒険者たちが多い。同業者間の噂は一瞬で広まるらしいから、ウーアたち4人はスザリオ捜索中に同じ質問を何度も繰り返されることは無いだろうと思っていたのだが、なぜか逆だった。森を行く道中で色んな冒険者パーティに絡まれた4人は正直なところ鬱陶しいくらいだった。
冒険者たちは、このパーティ名の決まっていない新人たちとお近づきになりたいのだ。
それはこの大騒動を作り出した有名人達だからという事なのだろうが、問題はその見え透いた本心にあるのではないか。
「金持ってそうだと思われてるんですかね…」
「真逆なのにね」
「そーそー」
「──…」
ロバーツは何か言いたそうだが一言も発さない。スカーフみたいな布で鼻から口まで覆ったままずっと無言なのだ。それは深刻な理由があるから無理もないのだが、その説明に口を開く事も出来ないときている。
ロバーツが捜索依頼報酬に上乗せした稀石”純粋結晶”。聖石とも称されるそれは差し歯の形状をしている上にロバーツの口中に実装されていた唾液塗れのものだが、その価値は途方もない。中流階級の労働者5人が一生かかって稼ぎ出す財産と同等の価値在る差し歯だった。
おかげでウーアとミルコとモエーの上乗せした装飾品や刀剣類などは「出しても報酬額は変わりませんよ」とギルド役員からやんわり返却されたから彼らの財産はすでに戻って来ているものの、喋り疲れてか口数が少ない。
というのは、ひっきりなしに挨拶にやって来る冒険者たちにいちいち応対していたからで、その間さんざん値踏みされているのが解るものだから精神的にもクタクタになっていたから。
それで肝心のスザリオ捜索の進捗はというと、全く何の手がかりも無い。捜索隊の一番先頭までは突き進んだつもりでいるが、どれだけ西の森の奥へと分け入っても険しい山岳が深まっていくばかり。
彼ら4人はそろそろ決断を迫られているという危機感を背中にひしひしと感じている。
張り詰める伏魔の気配。
スザリオ捜索のタイムリミットが近い─────。
「───口元をどうなされた?」
「君はこの捜索の報酬に巨額の特賞を上乗せした人だね?」
「名前は?見ない顔だ」
「新入りさんだよね」
「この街へは来たばかりか?」
「「「「…………」」」」
またか、と思って4人は疲れた顔を上げた。
5人の冒険者。もちろん見ず知らずの顔ぶればかりだ。”勇者~ず”4人はこの街に一人も知り合いがいないのだから。
「降魔が刻が近い。君たちの仲間を早く探さないと、えらい事になる」
「魔物はこちらの人数が多いほど増えるからな」
「今から戦争になるぞ。準備は出来ているか?」
「…そうですね。」
「うん。ほんとうにそう」
「お腹空いた。まだかな…」
「…」
旅ゆく美味しさ冒険隊の4人はなんだか上の空になっていて生返事している。これは重傷だ。もうただ単に森を彷徨い歩くだけの人になっているじゃないか。たぶん目的もぼんやりしてきてる。これではロバーツの差し歯は戻ってこないぞ。
ロバーツ自身も半ば諦めた風な眼の色をしているが、彼の元気のなさはこの捜索の最初からである。背中も丸まっちゃって年寄りみたいだし、差し歯は元気の源だったのだろうか。
「僕たちは”大海を飛ぶ鵺”。僕はルーロー。よろしく。…っておいおい、元気がないな君たち…”暁の5連星”…だっけ?ごめん」
「いえ、僕らはまだパーティ名決まってないんで…」
「旅ゆく美味しさ冒険隊…」
「違う。私達のパーティ名は、私の考えた───えーと…」
「…」
「ははwごめんね。あちこちで質問されて疲れてるな…じゃあ、単刀直入に言おう。(───スザリオ君の手がかりを出してくれないか。僕は”人探しの魔法”を使える)」
「「「「!!!!」」」」
新人冒険者4人は目を剥いて振り向いた。
彼らに身を寄せてゆっくりとした小声で囁いた男は、古めかしい木製の小杖を懐からチラリと出して見せ、少年のような顔立ちで笑いかけて「魔法使いルーロー・マキシム」と名乗ったのだった。
いわゆる双子の兄弟が数年前に作った漫画動画だけど、よかったらこっちも…
『宝島の冒険』
https://www.nicovideo.jp/watch/sm43631876