第4件目 『冒険商売』
※注意※この物語はフィクションです。実在の人物、団体、事象とは無関係です。
「…ッ…ぁ…え?…誰?おまえ…今のは……」
「━━━気付いてたんですか。…今のは…すみません、勝手に魔法をかけて。…一応、貴方が危ない人だったら困るから動けなくしたんです」
女の子は背の低い背筋をスッと伸ばしてそう言った。フードの奥の目蓋をやや伏せたが、大きな目は俺をじっと見据えている。
今俺が動けなかったのは、俺が眠っている間にこの少女が仕掛けた”身動きを封じる魔法”だ。この場でこれが魔法だと断定できるほどの異様な感触が体と心にあったから解る。
魔法の内容なんてよく知らない俺でも被験すればそれが魔法だと解るものなのだ。体を動かそうとする意思を煽るような感覚━━━━━動こう動こうと、必死に身動きしようとするほどに逆に体がビクリとも動かなくなる異様な感じ。目の前の変な少女。状況的に考えて察しやすいだろう。
そんな分かってる事を敢えて俺は身動きせずに聞いてみて、それに少女が答えたことや力みの無い様子から俺は判断がついた。
俺はこの子から逃げる必要はない。
この娘は別に俺を害する気はないのだ。俺はすっかり眠ってしまってて、目が覚めたら魔法をかけられてたとか正直焦ったけど。
ただ、━━━━━
「私は薬草とか呪物の材料を採集してるところで…今日は魔物が萎縮する安息日の伏魔間だから夜も安全だし、月相は第一の月が細月、第二の月が半月、第三の月が新月ですよね。だから火吹き草の根っこを取るのにいいんです。……あ、私はこの山の向こうの海辺にある魔法学校の生徒ですよ」
「……」
ぼそぼそ喋る女の子が小さな口をちまちまと動かして自己紹介してくれたように、この娘は魔法使いだろう。それも真夜中の森を単独で歩く魔法使いだ。彼女が魔法の白光で照らす森はかなりの広範囲を明るくしているから他に誰もいないのがよく分かる。
月がどうたら、根っこがどうとか、今聞いた知識は俺の知らない話ばかりだけど、そういうのは田舎で村付きの魔法使いババアやジジイから少し聞いたことがあるから魔法学系統の知識であることは分かる。
ただ普通はそういう知識は秘伝なのでペラペラ喋らないものだから、この娘はほんとにまだ学生さんなんだろう。
しかし、うら若い少女とはいえ魔法を巧みに使えるなら一瞬で人を殺す力があると見た方がいい。
魔物が現れない”魔物の安息日”だからこそ、人間種達はその森に夜でも入る。
ただし、魔物が出ないと言っても夜の森に分け入るような人は普通の感覚の人ではないだろう。魔物が出なくても野山は十分に危険で、簡単に人の命を奪うのだ。熊や蛇や昆虫といった動物は危険なものが多いし、植物には触れるだけで毒に被曝する恐ろしい草木もある。それらに覆われた山や谷の凸凹した地形はただそれだけで危ない。そんな所へ足を踏み入れるのは何かよほど職務上の都合があるか、───精神異常者か、悪人ではないか。
そんな中で少女が一人歩きというのは戦闘に余程の自信が無いと無理だろう。
俺は一応の警戒心を保つことにした。
羊歯草に腰まで埋もれて立っている少女は制服らしい軽装に黒っぽいフードコートを羽織っただけで杖しか持ってなくて森の景色から浮いている。これも旅人の装備では無いことから、魔法の上手だと察しがつく。
「あ、あの…?」
「━━━ん、あぁごめん。今何時?日付が変わったら魔物が動き出すの?日が登ったらじゃなくて?」
「…?…そうですよ。魔物は人間じゃ無いんだから、日が登ってからなんて…。あと一刻ほどで、第三の太陽が子午線を切ると思います」
「…ふむ……」
さっぱり分からん。”シゴセンヲキル”とは如何なる意味か?俺は学校行ってないから難しいな。でも一刻、と言うと…ん〜たぶん森の入り口からここまで歩いたのと同等の時間だろう。あんま時間ないぞ。
こうなったらその辺の大木に登って森の上から町の方角を見るしか無いだろう。真夜中でも月明かりの中でなら風景は見える。
最初からそうすべきだったかと思いつつ立ち上がり巨木を選んでキョロキョロしていると、俺の姿を少女がじろじろ見ているのに気がついた。
「あの、貴方はこんなところで何を?」
「おぉ俺はね、ユピテリアから来たんだ。ゴブリン討伐の依頼を受けて……ぁ。…………」
「え、魔物の安息日なのに?」
「…」
「………間違えて……遭難したんですね………」
「…」
「……魔物が出ない日だと気づかずに森に入って、それで、…なかなかゴブリンが出なくて、…それでもゴブリンを探して森の奥へ…気づかないままずっと………」
「……ゲフンッ!……あ〜、……この森広いね……木も多いし……」
「……」
「……」
俺はキョロキョロして知らんぷりするしかなかった。
少女は微妙に言いづらそうに俺の失敗を指摘して、しかも重ねて言うように俺の失敗を吟味したから俺は困った。困った子だよこの子は。
そうだよ失敗したよ俺は。馬鹿丸出しだ。まあいいけど。
とはいえ、もう安息日と分かればこうして森の中に他にも人が居るだろうと思えてきた。大声で助けを呼ばっても魔物は来ないから、人を探して一緒に帰らせてもらうこともできるなと思って俺はちょっと気が抜けた。いや、とはいえ流石にこんな時間に人がいるわけないか。
でも、ゴブリン討伐は━━━ここからが冒険と燃えたけど、一旦出直しだな…。
「まぁなんとかして帰るよ」
「え、私がユピテリアの街まで道案内しますよ」
「いやいや…君は山の向こうだろ。もう帰んないとでしょう。それに小さい子が一人で森にいて、…危ない人間に襲われたらどうすんの?あ、そうか。俺が街まで連れていってあげようか?……な〜んてな」
「……」
少女がムッとした顔になったので俺はちょっと揶揄いすぎたと思ってヒヤリとした。見た目が可愛らしいのでつい軽口を叩きたくなるが、彼女はおそらくエグい攻撃魔法を使うだろうから舐めてはいけない。単独の魔法使いが恐れられる理由は、その攻撃性にあるらしいのだから。
俺は彼女を無視してさっきの作戦を実行するべく近くの大木の幹の瘤を掴むとどんどん登り始めた。急がないとやばいからね。
俺は空腹でも動けるし、木登りぐらい道具がなくても全然余裕だ。こういう体力も力も何故か必死になるほど湧いてくる。枝を掴んだり足を引っ掛けて、天高く伸びる黄杉の巨木をほとんど数秒で駆け上るようにして頂まで登り切った。
巨木の先端の頼りない幹にしがみ付いて夜景を見渡すと━━━━━
「━━━…よーしあった!なんとかなるな」
ユピテリアの街を囲む高い堀が遠くに小さく見える。俺は彷徨ううちに結構な距離を歩いてたみたいだった。
だが思った通り、樹高の高い巨木のてっぺんからは森を遠くの景色まで見渡せたのだ。少女の言う通り今夜は半月が一つに細月一つしか出ていないがまあまあ明るいし、森に入ってから地面の起伏を歩くうちに山の傾斜を少し登って来たから標高がやや高いのも見渡すのによかった。
方角が分かったから、あとは街の方角へ向かって走れば到着まで半刻もかからないだろう。
じゃあ帰りますか。そう思ってさっさと巨木を降りようとした時━━━━━一陣の風が強く吹き抜けた。
広々と見渡す森の樹樹がざわめくのが見える。
風が樹々の樹頭を撫ぜるように蠢いて踊るようで、そのザワザワした音が風の軌跡とともに近づいてくる。
(冒険はこれからだろう)
俺にはそう聞こえる。
風と樹々のそれが、俺の中の俺の声に俺には聞こえるのだ。
そうだ、もうすぐ日付が変わる。ゴブリンは今から現れる。
巨木の上、雲ひとつない月夜の景色に佇んだまま、俺はちょっと考えた。
帰る方角はもう分かったんだからいつでも帰れる。飢えも乾きも体力も俺は必死になればどうとでもなる。さっき寝たし眠気もない。もう一刻も経てば安息日が終わり魔物が動き出すことは確定している。
━━━━━俺はゴブリン討伐に来た
というわけで帰るのを辞めた。考えてみれば帰る理由がないではないかと。
俺はなんだか嬉しくなってきて急いで巨木から降りた。
そしたら驚いたことに、さっきの少女がぽかんとした顔で根本に突っ立っているのである。
「お、…おいーっ!まだ居たのか…君もう帰らないと。山の向こうから来たんだろ?…いくら魔法使いでも…」
「━━━すごい。こんなに木登りが早い人間、初めて見ました…獣人じゃ無いですよね?…それに……」
少女は少し興奮した様子で俺に駆け寄ると見上げて、俺の顔に錫杖の光をしつこく近づけてまじまじと見つめてきた。そのビカビカ光ってる杖は武器だろう。怖いから辞めてほしい。
木登りで褒められるとか嬉しくも無いが、体力を獣人ばりと勘定されたのは悪い気がしない。獣人や半獣人は人間の体力を遥かに大きく上回るから。でも俺は人間だしお父さんもお母さんも人間だよ。
俺はゴブリン狩りの前にちょっとやりたい事ができたので少女に構っていられないが、でもこの娘に一言を言い忘れてるのに気がついて顔向きを改めた。
「さっきは起こしてくれてありがとう。俺は冒険者のスザリオ。覚えといて。あぁ、あと人間だから俺」
「━━━冒険者…スザリオさん……。パーティメンバーも居ないのに……何も装備してないのに……。あっ!は、裸足じゃないですか」
「ぐっ、…君、痛いとこ突くの上手いね。才能あるよ」
今日の昼に冒険者登録したばかりのホヤホヤの新人だとバレただろうか。俺はこの小さい娘の畳み掛ける言い草が苦手だ。裸足くらいいいだろ別に。伝説の旅人フルーティンは全裸だったんだぞ。
とにかく、俺はさっそく戦いの準備に取り掛かろう。
まず何よりも俺は退路を重視する。死んだら冒険は終わりだからな。
さっき巨木の上から望んだ街の方角は覚えているが、樹から降りるともう森の中で何の目印もない。だから街の方角への目印をこさえないといけないのだ。
「えーっと、…これでいいか」
「え、…?なにしてるんですか?帰るんじゃぁ…」
「街への目印にするんだ。町の方角へ向けて木を倒して目印にする」
俺は手頃な拳大の尖った岩を拾って樹高のありそうな立木を探すと、力一杯打ち付けて抉るように削った。
斧で伐木する時みたいに倒す方向に切り込みを入れる感じでやるんだけど、俺は石ころで十分だ。力と勢いでやってしまう。普通は石ころで出来るわけないんだが俺は昔やってみたら出来たからいつもこれだ。
生木を打ち付ける痛々しい音とともに木屑が盛大に飛び散った。目を細める魔法少女の顔面にめちゃめちゃ木屑がぶっかかってるが俺は気にせずやってしまう。
10回ほど抉って切り込みが出来たら反対側から押して揺すると、背の高い立木がゆっくりと街の方角へ樹頭を向けて倒れ込むとともに生木の割れる叫ぶような音が聞こえる。周りの木々に留まって寝ていた鳥たちが一斉に飛び立って騒がしいが、鳥にも樹木の精霊にもすまんなと思いつつ利用させてもらおう。合掌。お詫びにゴブリンをお供えするからな。
「━━━スザリオさん。ゴブリン呼びましょう」
「は?」
一拍の間を置いて背後から声がした。それが妙なセリフだったので俺は変な声が出てしまったが、目を開けて振り返ると半身を木屑まみれにしている魔法少女が立っている。帰れっつったのに。
「お前━━━」
「戦ってるところを見ててもいいですか?」
「…なに?……」
「これ、見物料です。どうぞ」
「━━━む、……」
「スザリオさんの冒険を買います」
俺が何かいう前に少女は一方的に提案してきて、挙句に結晶貨幣の金角小片を3枚くれた。
これは街の宿屋に3ヶ月は逗留できる金額だ。その有無を言わせぬ押し付けに俺は困惑したが、つい受け取ってしまってぐうの音も出ない。
でもこの魔法少女はどこかおかしい。ゴブリンを呼ぶとか殺し合いを見たいとかなんなんだろう。しかし魔法学校の生徒さんってのはこんなに金持ってるものなんだろうか。
「…とりあえずこれは返す。後払いでいいよ。俺は財布も無いし服のどこにも袋が無いからな。唯一あった巾着袋は炒豆ごと骸骨にあげちゃったし…」
「骸骨…?」
そうして俺は、名前も知らない魔法少女からの依頼を引き受ける格好になった。
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