第3件目 『特別な日』
※注意※この物語はフィクションです。実在の人物、団体、事象とは無関係です。
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━━━━━おかしい
そろそろ、いい加減、本当におかしい。
ゴブリンどころか魔物1匹出て来ないのは、さすがにおかしい。
”何か”がおかしいのである。
この”何か”という違和感を俺はもっと早く追及するべきだった。これだけ人里離れた山林の奥を歩いても魔物と遭遇しないなんてあり得ない。こんなの異常だ。
「あっっれ……?…ぇえ…?」
その違和感にゴブリン討伐の気負いも萎えてきた俺は歩みを止めてしまった。
暗くなりつつある森をいくらキョロキョロ見回しても、青臭い草葉や土の匂いがするばかりである。口から自然と困惑が零れた。
━━━時間をちょっと遡って、その違和感を考える。
たぶん半刻ほど前だと思うが、骸骨にお供物をあげて立ち去った俺はユピテリアの街へ戻るべく方角を調べていた。が、結局わからず感で歩いた。
時には立ち止まって耳を澄まし、匂いを嗅ぎ、遠くの樹間をよく見ては人里の営みの気配を探ったりと努力はした。薪を割る音や炊事の匂いや煙なんかが少しでも分かればしめたものだと。ユピテリアの町は城壁並みに高い石垣の壁で囲まれてはいるが、その外側にも掘っ立て小屋のような住居が多くあって人々の生活があるのは見てきて解っている。だからその気配は多少なりとも漏れて来そうなものだが…。
だというのに、森も山も沈として静まり返っているばかりで全然街の方角が分からなかった。
だからって大声で助けを呼ぶのは魔物を一度に大量におびき寄せるような行為だからダメだ。ゴブリンを討伐はしたいけど先手必勝だし、多勢には無勢となるから流石に死ぬ。注意深く森を観て、俺以外に人が居ないか探ったほうがいい。
でも歩いても歩いても誰も居なかった。誰か人の歩いた後のような下草を踏み分けた跡などもないから、まるっきり道が無くていよいよまずい。
まだギリギリ夕暮れの仄かな明るさが森の天蓋の上には見えるが、夜になればそれこそもう方角も何も目の前すら分からない真っ暗闇になる。そうなれば帰れなくなるどころか身動きできず、魔物に襲われたら反撃もできずに死ぬだろう。一人でゴブリン討伐などとやっているわけにもいかなくなった。
手ぶらで帰るのは馬鹿みたいだし恥ずかしいが、さすがにここが引き際というものではないだろうか。
何とか街へ帰って、今日は街の外の堀塀沿いや橋の下にいる無宿人達に混じってごろ寝するしかあるまい。
━━━と俺は一旦思ったものの、そうは思い切れなかったのだ。
俺には心が二つある。
この遭難しているかもしれない状態の、下手したら死ぬ可能性のあるヤバさを目前にしている俺を心の中の俺がじっと見ている。
その俺に、俺は試されていると感じるのだ。引くのか、進むのかを。
ここが、この俺…えーと、…あ、勇者スザリオ。スザリオ・……〜〜…なんだっけ。ギルドに登録したのは即興で作った偽名だから忘れた。とにかくスザリオの、初めての冒険を引くか進むかの転換点なのだ。この一件で俺の冒険者人生が決まるような気がする。すげーする。
(お前は冒険するのか?しないのか?どっちなんだい!?)
そう自分に呼びかけると、なんとしてもゴブリン1匹は討ち取ってから帰ろうという決意が湧いた。
俺は冒険するのだ。
その決意は命を削るエグい感触がある。削ったそれは”死”の可能性だ。それを呑み込むと、また何ともえぐみが在るのだ。それは冒険者になろうと田舎を飛び出した時と同じ感覚である。だからこれで良いと決心がつく。
死ぬかもしれないけど俺は遣る。それが俺の冒険の引き金、ここからが冒険なんですよと。
━━━━━というわけで、勇んだ俺はどんどん森を歩き出してからやっと違和感の深刻さに気づいたのだ。
こうも魔物が出ないのは出なさすぎる。あまりにも変だと。森に入ってから何度もおかしいと思ってたこの違和感が異常なものだとよ〜やく気がついた。
と言うのは、その現象には何か大事な理由があるはずだとようやく考えが及んだからだ。それでこうして立ち止まって考えているってわけ。
「っかしいな……おかしい━━━━━」
立ち止まり、おかしいおかしいと思って、あれこれ考えを巡らせて、違和感の根っこを知りたくて━━━俺はふと、一つの可能性に思い至った。
今日は”魔物の安息日”なのではないか。
不定期ながら、魔物や魔獣の活動が鎮静化する日というものが在ることを俺は失念していた。
地域によって違いはあるものの、山林や谷や川などの奥深くで魔物の多い場所でも、なぜか魔物が現れないという日があるのだ。
その日は月に1日〜多いと3日はあって、その日はどれだけ探し求めても魔物1匹遭遇しないのだという。稀にばったり遭遇しても魔物は逃げてしまうらしい。
田舎にいた頃の俺は普段それほど意識したことが無かったが、そういう日があること自体は知っていたのだ。
(あの獣人と半獣人の親子━━━そうか、なんで気がつかなかった…)
そういえばそういう日に限って大人達が子供を連れて野山に入ったりしたものだ。大人達は魔物の安息日を「安全に森で草木を採集できる日」として大事にしていたと思う。でも俺はそういうのをお構いなしにしょっちゅう友人達と近所の山野を駆け回って魔物を退治していたから気にしなかったのだ。
でもあの狼人も俺に教えてくれればよかったのに。それが「ゴブリンならまだ奥やぞ」とか言って…
「……………」
暗すぎる。
急に諦めみたいな気持ちが湧いた俺は俯いていたが、その足元はもう暗すぎて何も見えない。
山とか森にいると日が暮れるのが異様に早いのだ。背の高い木々の梢が覆う森の天蓋を見上げると、その梢の間から見える空はまだ仄かに明るみの残滓が残る濃紺ではある。だが、周りの枝葉も幹も真っ黒に見えるし、辺りの木の下闇も真っ暗で夜と変わらなかった。
(俺は遭難してるのかこれ…?)
冒険してるつもりがただの遭難になってしまったかもしれない。でも俺はまだゴブリン討伐中だから遭難じゃないから。
しかしまいったなと思ってこうして立ち止まっていると、ちょっと閃いた。
逆に今はこれが正解なんじゃないか。もう下手に動かずに夜明けを待った方が良いのではないだろうか。そうそう。一旦休憩だよこれは。遭難じゃないから。この辺でアレだ、野宿ね。遭難はしてません。
ちなみに、俺は”虫除けの魔法”なんかも使えないけど森に入る前から一応の対応はしている。
虫除けに薬効のある植物をその辺の草叢や薬草畑から千切り取っては揉み潰して全身に擦り付けているから害虫は寄ってこないし、安心して眠っていられるのさ。
不安なのは魔物の襲撃だが、それが不思議なことにまだ一度も遭遇がないからやっぱり安息日なんだろうさ。やれやれだぜ。
そう切り替えた俺は何だか一人で恥ずかしいやら馬鹿馬鹿しいやらでもう眠ることにした。
寝る場所なんてないからその場に座り込んで大木に背もたれて目を瞑ろう。
するとこれがめちゃくちゃ腹が減って来るのである。さっきギルドで半端に軽食を摂ったばかりに、しかもさっきウンコしたせいもあってか、空腹感がどっと押し寄せて来ている。喉の渇きは俺は意外と大丈夫なんだが空腹は辛い。
最後の食料だった炒り豆はもう無い。
「……」
俺は後悔している。いや、炒り豆のことは別にいい。なんであの骸骨に帰り道とか方角くらい聞かなかったんだろうと後悔している。今から骸骨のところへ戻ろうにも、もうその方角もわからない。
━━━俺は完全に遭難した。しかも魔物は出ない日だ。
そう認めざるを得ないから認めるけど、まあこれも冒険ですよ。はい。
べつに悲観することはない。ただ俺はムカついてるだけだ。ゴブリン退治に来たのに迷子になるなんて、何をやっているのだろう。さっきは”ここからが冒険だ”って燃えたのに。ゴブリン1匹も討伐してなくて、安息日に山で遭難して、そんな勇者いないでしょ。勇者とか書かなきゃよかった。馬鹿か。ギルドの登録とかあんなもんべつに戦士でもなんでもよかったろうに。
「━━━━━クック……w」
思い出したら笑えて来た。だって、あの場にはその馬鹿が4人も居たんだ。
俺も揃って5人だ。すげー偶然。すげー偶然に馬鹿が5人も一部屋に集まってたと思うと笑えてくる。
あの馬鹿達の中で、もしかしたら俺が一番馬鹿かもしれない。
だって俺は、こういう冒険の心得というものを知らないままゴブリン討伐の依頼を受けて一人で山林へ分け入ってるんだから。それどころか単純に山野を旅する際の心得も知識もほとんど無いのに。
俺は3ヶ月くらい前に田舎を飛び出してから、どうにかこうにか山越え谷越え違法に国境を渡り、隣国アルナーニャの峡谷も越えた内陸との境にあるユピテリアの街まで辿り着いたんだが、これまでの道中はかなり運が良かった。
というのは、道中の道々で魔法使いの旅人に出会してはあれこれ世話を焼いてもらったのだ。
━━━雨に濡れて寒ければ暖気の魔法で体を温めてくれた。
━━━喉が乾けば宙に水玉を出してくれたし、腹が減れば飛ぶ鳥を落として丸焼きにしてくれた。
━━━寝場所に困れば土や木々を変形させて安全な寝屋を作ってくれた。
━━━盗賊の襲撃や奴隷商人の詐欺から救助してもらったこともある。
━━━魔物との戦いで片目が見えなくなり足が潰れ高熱が出たのを全部魔法で治してくれた。
━━━谷川を渡る吊り橋が崩壊した時には空飛ぶ箒に一緒に乗せてくれた。
魔法使い自体その存在が少なくて珍しいというのに、俺はかなりの強運だったと思う。
普通、旅をするにはめちゃくちゃ装備がいる。
風雨や寒暖差に耐える衣服の用意。日持ちする食料や飲料水と、その入れ物。夜を越す時間と場所の選定や、火起こしの道具。戦闘には武具に武術。魔石で作った魔道具があれば呪いや傷病にも対応できる簡易魔法が使えて尚いい…というか必須だろう。
そしてお金に、地図に、地域の情報に……と、いろいろな装備と知識がないと旅を続けるのは無理だ。
だが━━━━━
”魔法”はそれらを全て解決する。
服でも食料でも寝屋でも、簡易的な物なら魔法でその場に誂えることができるのだ。だから魔法使い達はほとんど手ぶらで旅をしていたりする。伝説の旅人フルーティンに至っては年中全裸だったという逸話があるほどだ。
ともかく魔法使い達はその便利な魔法で俺によくしてくれて、そのおかげで俺は魔法使いに対する先入観が随分変わった。
本来なら魔法使いというのは恐ろしい存在のはずなのである。
何しろ、老若男女誰でも魔法さえ使えれば一瞬で人を殺せてしまうのだから。
魔法使いは離れたところから相手に豪火を放ち、雷を落とす。呪いをかけて洗脳し、気を狂わせて動きを封じる。人体を獣や植物に変えてしまう。
そういう怖い話は子供の頃から親や祖父母から何度も聞かされた。
特に一人旅の魔法使いは無鉄砲かつ屈強だから近寄ってはならないとも。
だから家出の旅で最初に魔法使いに出会った時の俺はめちゃくちゃ警戒したのだが、幸いなことに、どこで出会った魔法使いも皆俺に親切にしてくれたのだった。グロワという名の魔法使いなどは獣耳半獣人だったが、性格が短絡的な傾向のあるはずの種族にしては思慮深く、俺にそれとなく旅の注意点をいろいろ教えてくれたものだ。あんまり覚えてないけど。
そういえば、不思議に思ったことがある。
俺の出会った魔法使い達は俺に魔法の対価を求めなかった。ふつう、魔法使いが魔法を施す時にはそれなりの対価を要求するもので、無料というのは俺は聞いたことがなかったから不気味だった。
でも、どこで出会った魔法使いも俺のことを「勇者だ」って言って笑ってて、それで対価は要らないとか言ってたな。
それが何でかは分からないけど、でも、だから俺はギルドの登録用紙に”勇者”って書いたんだったっけ。俺は冒険ができれば何だっていいんだけど。
てゆうか、勇者ならギルドで4人も見たな。いやあいつらは嘘だろうけど、でも何であいつらは勇者とか名乗ってるんだろう。
あいつら今頃は何してるんだろうな。
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「━━━…?」
急に目の前が明るくなったのに気が付いた。
草が擦れる音が耳にふれた俺は飛び上がって身を躱そうとして━━━全然体が動かなかった。
目蓋も上がらない。座ったまま全身が硬直して、浅く息をするのがやっとだ。
ただ顔の前に何かの気配があるのが分かって━━━━━
「━━━こんなとこで何してるんですか?」
「……」
「危ないですよ?日付が変わったら、魔物が動き出すんですから。…こんなとこで寝てたら…生贄みたいですよ?」
俺は体が動くようになってからもその場に座ったまま動かなかった。
やっと上がった目蓋が開張した景色の中には、俺の顔を覗き込む女の子がいる。
少女が掲げる長柄の杖の先が眩く白光して辺りを照らし、この場を昼間のように明るくして森の緑を際立たせていた。
━━━━━魔法使いだ。
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