第五話 元婚約者は友人の第二王子に王命について聞く。
「ああ、そりゃ君をうちの妹の婚約者にしたくなかったからだよ」
朝の教室で声を潜めて尋ねると、第二王子カルロはあっさりと答えた。
同い年だがエルネストとは違って、彼には妙な色気がある。
マルティネッリ侯爵令嬢ベアトリーチェという婚約者を持ちながら奔放な女性関係で知られ、彼女の異母妹にもちょっかいを出しているという噂も聞く。エルネストは何度か窘めたのだが、カルロに聞く耳はなかった。
「カルロの妹姫は、僕がアリーチェと婚約したときは生まれたばかりだったじゃないか」
幼なじみで遠い親戚でもあるので、エルネストはカルロに対して気安い口調で話すことを許されている。
そうでなくても基本的にこの学園では身分の差なく平等に接することが推奨されていた。
もちろんそんなこと守られてなどいないのだけれど。
「貴族の政略結婚なら十歳くらいの年の差普通だよ。君の父親は傲慢だが有能だ。父上は君を王女の夫にして、そのまま公爵家に王家を乗っ取られるのが嫌だったのさ」
エルネストの三人の姉はカルロの兄、第一王子と同年代だが彼の婚約者候補にされたことはなかった。
勢力図が偏り過ぎないように、だと聞いている。
モレッティ公爵家はこの王国一の権勢を誇っているのだ。
「君が産まれなかったら、逆に俺が公爵家へ婿入りして乗っ取ってたかもね。父上と公爵はお互いに相手を食い殺したくて仕方がないのさ。まあ妹は隣国の王子との婚約が決まったから、今なら婚約破棄も認められると思うよ」
「……そうか、教えてくれてありがとう。このことは秘密にしてもらえるかい?」
「秘密にしたいなら両家で書簡を交わすべきだったね。学園の裏庭で話しておいて秘密に出来るはずないだろう?」
「え?」
エルネストが首を傾げたとき、アリーチェの席のほうで声がした。
「アリーチェ様、あなたエルネスト様に婚約を破棄されたのですって?」
カルロが苦笑を漏らす。
「おー、俺の婚約者が頑張ってるね」
「止めないのか、カルロ」
「マルティネッリ侯爵令嬢と言っても、ベアトリーチェの母親は平民の出だ。そもそもマルティネッリ侯爵家は潰れかけてた。潰れかけるほど情けない侯爵家が平民の商家の援助を受けて立ち直ったんだ。アリーチェ嬢を共通の敵にして、ほかの高位貴族の前で見世物にして甚振るくらいしなくちゃ仲間に入れてもらえないよ。というか、エルネストだって止めたことないだろ。婚約を破棄する前からさ」
「……アリーチェに問題があるから絡まれているんだと思ってた」
「俺の婚約者は下手くそだけど後ろの取り巻きは上手いからね。先に攻撃しておいて、相手が反撃したら被害者面するのが」
同じように身分違いの婚約でも、ベアトリーチェに対する風当たりは弱い。
それはカルロの女性関係が乱れていることへの同情だと思っていた。しかし彼女はアリーチェを生贄にすることで自分の安全を確保していたらしい。
今さらながらどうしたら良いのかと悩むエルネストの前で、アリーチェは満面に笑みを浮かべて言った。
「そうなんですよ!」
「はい?」
「私、ロセッティ伯爵家のアリーチェはモレッティ公爵家のエルネスト様に婚約を破棄されてしまったんですの!」
アリーチェは教室を見回して言葉を続ける。
「エルネスト様狙いの方々、今が好機ですわよ! 私は年上で黒髪で、王都の社交界に顔を出すような身分ではない方と結婚することになりましたのでお気になさらないでくださいませ!」
教室に沈黙が落ちた。
だれも反応出来ないでいる。
エルネストも呆然としていた。カルロが楽しそうに小声で囁く。
「うわー、昨日の今日でもう新しい相手が決まってるんだ。アリーチェ嬢も身分違いの婚約を破棄したくてたまらなかったみたいだね」
「……」
「エルネスト?」
自分から婚約を破棄したくせに、エルネストは泣き出したい気分になっていた。
今のアリーチェは、遠い昔十歳のエルネストがひと目惚れしたときと同じ顔で笑っていた。明るく朗らかで──優しいかどうかはわからないが、無邪気な顔で。
変わっているのは、あのクルクルした髪型だけだ。昔は自然のまま、ふわふわした金髪を風に遊ばせていた。
驚愕から覚めて獲物を見つけた狩人の目になった貴族令嬢達の視線に晒されながら、エルネストは俯いた。垂れ下がって視界に入ってきた自分の髪は黒色ではない。