第六章 仙崖鏡
「で、その王さまってのは、どこにいるんだ?」
満天丸が臥龍童子に聞いた。
「それは言えません」
「へ?」
「正確には、王は、この世界のどこにも存在していないし、どこにでも存在している、と言った方がいいでしょう」
「どゆこと?」
百々丸が首を傾げた。
「王は、気まぐれに現れては、気まぐれに去っていくのです。この世界を知り尽くしている僕ら案内人でも、王が普段どこにいるのか、また、次はどこに現れるのか、見当もつきません」
「ほんとに、神様みたいだね」
百々丸は、そう言うと、何かを思いついた。
「あれ!?それじゃ、王と戦うなんて無理なんじゃない?やっぱり、他の方法を探そうよ!」
満天丸の心変わりに、わずかな期待を込めて、百々丸が言った。
「ただ…」
その百々丸を期待を裏切るような口調で臥龍童子が語った。
「一つだけ言えることは、王は、自身が興味を持ったサムライの前には、必ず現れるということです。過去数回、現れたときは、いずれも、この闘幻境の歴史に残るようなサムライの前に姿を見せました」
「なるほど!まさに、おいらみたいなサムライってことだな」
満天丸の目が、輝きを増した。
「あ〜あ、より、その気になっちゃったよ…」
百々丸は、深いため息をついた。
「これを…」
臥龍童子は、そう言うと、柄鏡を満天丸に差し出した。
「これは?」
「仙崖鏡です。もし、この世界に王が現れていれば、光を放ち、王へと導きます」
「へぇ、便利なもんだな」
満天丸は仙崖鏡を臥龍童子から、受け取った。
その瞬間、鏡面が光を放ち、ある方向に光の道筋が作られた。
「これは…?」
「どうやら、王が降臨しているようですね」
それを聞くと、満天丸の顔に不敵な笑みが浮かんだ。
臥龍童子が、仙崖鏡が放つ光が当たっている壁に向かって、指を鳴らすと、そこに扉が現れた。
「それでは、よい旅を」
臥龍童子が示した扉から、三人は部屋の外へと出る。
「あれ?こんなところに来てたんだ」
彼らは地平線の彼方まで広がる平原にいた。
いま、出てきたのは、そこにポツンと一軒だけ建てられていた大きめの円堂だった。
「さっきの階段をのぼると、この平原にたどり着くのかな?」
百々丸がキョロキョロしながら言った。
視界に入るのは、果てしなく続く平原ばかりで、あの階段がここに続いていたとしても、どちらの方向にあるのか、まるで分からなかった。
辺りは暗かったが、空には月も星もなく、今が夜なのか、それとも、これが、この世界の普通の姿なのか、それも分からない。
満天丸が仙崖鏡を懐にしまった。
鏡をしまうと光は消えたが、自分たちが進むべき方向はすでに分かっていた。
満天丸と剣豪丸の二人は、なんの迷いもなく、そちらへと進み始めている。
「待ってよ〜!ぼくを置いてかないで〜!」
百々丸が慌てて、二人の後を追った。
先ほどまで後方に見えていた円堂が次第に遠くなり、ついには、その姿が見えなくなった。あとに見えるのは、なんの目印もない、ただの広大な平原だ。
それでも、満天丸と剣豪丸の歩みが遅くなることはない。迷いなく進む満天丸たちについていく百々丸は必死だった。
「なあ、気づいているか?」
さらに、一刻ほど進んだとき、満天丸が、歩む速さをおとすことなく、剣豪丸に言った。
「無論」
剣豪丸も足を止めずに、静かに答える。
「エ?なになに?どうしたの?」
二人の会話を耳にした百々丸が、彼らに追いつき、聞いた。
「さっきから、おいらたちと同じ速さで横を歩くヤツがいる」
「え!?」
「しっ!おいらたちが気づいたことを相手に気取られるな。そのまま、自然に歩け」
そう言う満天丸も、隣を歩く剣豪丸も、言葉通り、歩く速さも表情も、全く変わらない。
百々丸も、多少のぎこちなさを残しながら、満天丸の指示に従って歩く。
「さあて、鬼が出るか蛇が出るか」
満天丸の表情に変化はなかったが、内心ではワクワクしていることが、百々丸に伝わった。
三人は平原をそのまま進んでいった。
さらに、小一時間が過ぎたが、何も起こらない。
百々丸には、二人が言うような横を歩く存在を感じることができなかった。そもそも、本当に、そんな相手がいるのか、疑わしく思えてきた。
そのとき。
「そろそろ、こちらから仕掛けてみるか?」
剣豪丸が唇を少しも動かさずに告げた。
「ああ、そろそろ、いい頃合いかもしれね〜。かくれんぼも、飽きてきたところだしな」
満天丸も、口を開かずに答える。
「では行くぞ…」
「一、二の…」
「散!!」
二人は、叫ぶと同時に、左右に分かれて飛んだ。
「え?え?」
後には、突然の出来事に、脳が情報を処理しきれていない百々丸だけが残された。
右に飛んだ剣豪丸は、抜いた刀を腰に構えて左手を添えた。そのまま、自然に体を移動させ、真っ直ぐに進んでいく。
ズンッ!
その体が、何かにぶつかり止まった。
しかし、剣豪丸の眼の前には、何もない空間しかない。
イヤ、よく見ると、剣豪丸の刀は、添えている左手よりも先の部分がその空間に消えて見えなかった。
やがて、そこから、血が落ち始める。
剣豪丸は、添えた左手をそのままにして、右手で刀を引き抜くと、空間から現れた刀の切っ先にも血がついていた。
剣豪丸が刀についた血を横に払うと同時に、何もなかったはずの空間から男の姿が現れ、地面に崩折れた。
剣豪丸は刀を納めたときには、その男は武者札に変わっていた。
「ほお、こいつは避役丸というのか。道理で姿を隠すのが上手かったはずだ」 武者札に書かれた襲撃者の名前を見て剣豪丸が納得したように言った。
左に向かった満天丸も敵と戦っていた。
彼の敵も、その姿を確認することはできない。
しかし、時折、地面の下から、満天丸をめがけて攻撃してくるモノがあった。
それは、いくつかの棒を繋ぎ合わせたモノだった。中国武術で使われる多節鞭と呼ばれる武器に似ている。その先端には鋭く尖った針がついていた。
針のついた鞭は、地下から不意に現れては、ムチのようにしなりつつ、尖った針を満天丸の体に突き刺そうと狙っていた。
ときには避け、ときには刀で払い、無秩序に襲ってくる針の攻撃を巧みにさばく。
何十回となく、満天丸と針の攻防が続き、平らだった地面には、いつしか、針が出てきた穴が無数にあき、かなり足場が悪くなっていた。
「クッ!」
満天丸が、その穴の一つに足をとられ、わずかに体勢を崩す。
その隙を見逃す敵ではなかった。
鎌首をもたげた針が、満天丸に襲いかかる。
「ぐわっ!」
ついに、満天丸の体を針が捕らえた。
「ウッ…」
胸元を押さえてうずくまる満天丸。
それを確認するためか、地中から、針の主が姿を現した。
「前座のくせに、チョコマカと逃げ回りおって」
倒れた満天丸を憎々し気に睨みながら、針の主は言った。
不気味な男だ。地面に溶け込むような暗い茶色の着物を着ており、右手には針のついた多節鞭が伸びる手甲をはめ、左手にはハサミ状の刃物がついた手甲を着けている。
「しかし、これで大人しくなるだろう。なにしろ、この先には、巨象をも一瞬で殺す猛毒が塗ってある」
男が言った。その言葉のとおり、満天丸は倒れたまま、ピクリとも動かなくなった。
百々丸が心配そうな顔で満天丸を見たが、男の妖気に怯え、そちらに近づくことができない。
「さて、それでは、真打といくかな」
男は、剣豪丸を見た。
「俺の名は、蠍丸。避役丸の仇討ちも兼ねて、剣豪丸、お前の首をいただく」
そう言うと、蠍丸は剣豪丸へと歩を進めた。
「誰が、前座だって?」
その歩みを阻む声がした。
「なに!?キサマ!?」
満天丸が立っていた。
「バカな!?俺が特別に調合した毒を食らって、なぜ生きている!?」
蠍丸の目が驚きに見開かれる。
それとは逆に百々丸は満面の笑みを浮かべた。
「おいら、鼻がいいんだな〜。お前の針の先に毒が塗ってあることは、最初から分かっていた。だから、その毒を避ける戦い方をしていたんだよね」
「ナニっ!」
「あ、それと、足をとられたのも、わざとだから。足をとめたら、そこを狙ってくると思ったんだよね。意外と単純に引っかかってくれたけど」
満天丸が意地が悪いニヤニヤ笑いを浮かべながら言った。
「だ、だが、確実に俺の針はお前の体を貫いたはず!?」
「貫く?ああ、そうね。確かに貫いたよ。コイツをね」
満天丸は、そう言うと、懐から仙崖鏡を取り出した。その鏡面の真ん中には、大きな穴が開いていた。
「ナニっ!?」
「あんだけ応酬が続いたら、イヤでも攻撃の癖が分かったからね。トドメの針がどこを狙ってくるか、バレバレだったんでね、鏡に当てるのも簡単だったよ」
「うぅッ」
「さてと、おいらを前座呼ばわりした報いってヤツは受けてもらわないとね」
満天丸がそう言うと、穴があいた仙崖鏡を投げ捨て、腰をしずめて身構えた。
「日輪霊陽流、日脚!」
体内の気が満ちると同時に、そう叫んだ満天丸の体が、蠍丸に向かって、大地を滑るように進んでいく。
蠍丸が慌てて、右手の多節鞭を回し始めると共に、左手のハサミを構えようとした。
しかし、満天丸の動きは、蠍丸に準備をする暇を与えなかった。あっという間に、多節鞭の間合の内側に入ると、ハサミを構えさせる前に、すでに己の刀の間合に入っている。
そして、間合に入ると同時に抜きつけられた満天丸の腰の刀が、蠍丸の右腰から左肩まで逆袈裟に斬りつけた。
肩口まで斬った刀は、その切っ先を天を向けたかと思うと、そのまま、刃を返して、今度は肩から腰まで斬り下げる。
「うグゥ」
息が詰まるようなうめき声とともに、蠍丸も武者札に姿を変えた。
「満天丸さ〜ん!」
駆け寄る百々丸を、満天丸が笑顔で迎える。
しかし。
「バカーっ!」
百々丸の平手が満天丸の頬を叩いた。
「え!え?」
痛さはそうでもないが、不意打ちに驚いた満天丸が頬を押さえながら百々丸を見つめた。
「大事な鏡を壊して、どうすんのさ!」
百々丸が穴のあいた仙崖鏡を指差して言った。
すでに、光を放つことはなくなったばかりか、鏡がもっていた、どこか神秘的な雰囲気も消えていた。誰の目にも、もう使い物にならなくなったのは明らかだった。
「いや、お前、これの光に従って、王のところに行くの嫌がってたやん!」
「それはそれ!これはこれ!」
百々丸の満天丸に対する説教は、しばらく続くのだった。