1.グレース視点
五歳。
宰相である父に連れられて、初めて王宮に上がった。
「おはつにおめにかかります。こくおうへいか。グレースともうします」
何回も練習した挨拶を必死に間違えないように言って、習ったばかりのカーテシーを披露する。
大丈夫かな、ちゃんとできてるかな、って思いながら、陛下の言葉を待つ。
「はんっ! つっまんねーおんな!」
でも聞こえたのは、こんな言葉。
いいと言われてないけど、頭を上げる。
「こら、グリフィン! 何を言う!」
陛下が慌てたように言った先にいたのが誰か、すぐ分かった。
国王陛下の長男、グリフィン殿下。
これが、私グレースとグリフィン殿下の、初顔合わせだった。
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十歳。
私は貴族の子息が入学する初等科に入学した。
もちろん、グリフィン殿下も一緒だ。
「おい、女!」
「女じゃないです。グレースです」
「女じゃないなら、無礼者だ!」
「なぜ?」
「オレは王子だぞ! 王子のオレに遠慮して、テストの点を取らないのが当たり前だろ!」
入学直後のテストで、一番を取ったのは私だ。
そして、グリフィン殿下は二番。
「つまり、殿下は私にわざと負けてもらわないと、勝てないってことですか?」
「ふざけるな! オレがお前なんかに負けるわけないだろう! 見てろ! たった一回の勝利を威張れるのは、今だけだからな!」
別に威張ってない。
反論しようと思った時には、もう殿下の背中は遠かった。
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「フッフッフッフ。見たか! 女!」
「女じゃなくて、グレースです」
十四歳。
初等科、最後のテスト。
初めて殿下に抜かれた。
殿下がここぞとばかりに大いばりしている。
――別に競ってたつもりはなかったのに、なんかものすっごく腹が立つ。
「おかわいそうに、殿下。たった一度勝利しただけで、そこまで威張るなんて」
殿下はポカンとしている。
「ああ、そうでしたわね。殿下はバカですものね。このたった一度の勝利、どうぞいつまでも誇っていて下さいませ。自分はたった一度だけ、勝てたんだぞ、とね」
ここで高笑いでもすれば完璧だったけど、そこまでのスキルはなかった。
でも、殿下はプルプルして、顔が真っ赤だ。
「たった一度だと! いいか、見てろよ! この先の勝者はオレだけだ!」
「どうぞ? 口で言うだけでしたら、自由ですわ」
バチバチ火花が散った。
ここから、私はさらに勉強を頑張った。
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十五歳。
高等科に入学。
入学後のテストは、殿下とまさかの同率一位だった。
「ちっ、オレも堕ちたものだ。同率とは」
「全く。私の調子、いまいちでしたわ。まさかおバカと同率とは」
そして、再び火花を散らす。
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十六歳。
とんでもない話が持ち上がった。
「婚約!? 殿下と!?」
「そうだ」
忙しい父が珍しくお茶を共に、というので楽しみにしていたら、まさかの話だった。
イスをガタンと立てて立ち上がった私に対して、父は冷静に頷く。
「お前と殿下は、仲が良いと……」
「良くありません! 相性最悪です! 絶対、嫌です!」
父の言葉を遮る。
私の心の底からの叫びを、しかし父は冷静なままだった。
「陛下からの申し出だ」
「うぐっ」
その言葉に誰が逆らえようか。
陛下からの申し出。
命令ではないのだろうが、だからといって嫌と言えるわけない。
「…………承知致しました」
渋々頷いた。
ちなみに、その数日後に婚約者同士としての初めての顔合わせ。
セッティングされたお茶の席にて、現れた殿下は顔全体に「不本意だ」と書いてあった。
私も同感だ。
結局お茶を飲むだけで、お互いにそっぽを向いたまま、一口もしゃべらずに終わった。
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十八歳。
高等科の卒業を控えたある日。
国王陛下が崩御された。
同時に、グリフィン殿下の国王即位が決まった。
グリフィン殿下は、青ざめていた。
父親の死を悲しむ間もなく、自らが国王として立たなければいけないのだ。
私が顔を出しても、いつものような減らず口がない。
ただ震えていた。
「グレース」
思えば、この時初めて、名前を呼ばれたかもしれない。
私は、殿下の手を取った。
「殿下。……いえ、陛下。私でよろしければ、微力ながらお力添えさせて頂きます」
返事はなかった。
ただ、ギュッと力強く手を握られた。
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十九歳。
前王陛下の喪が明けてすぐ、私はグリフィン陛下と結婚式を挙げ、王妃になった。
「い、いいか、グレース! しょうがなく! 世継ぎを作らねばならないから、しょうがなくだな! お前を、だ、だ……」
「ああもうっ! そこで真っ赤になるんじゃないわよ! こっちが恥ずかしいわ! あんた男でしょ! いいからズガンと来なさい! ズガンと!」
……お耳汚しを、失礼致しました。
何の時の会話かは、どうか察して下さい。
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二十一歳。
「ど、どどどどどどどどどど……ど、どうしたら……!?」
「いいから……! 医者、呼んでこい!!」
妊娠十ヶ月。
朝食中に陣痛が始まった。
一緒に食事してたグリフィン様に怒鳴りつける。
弾かれたように、走って去っていく。
「あ、陛下! 今、呼びに行って……!」
侍女がグリフィン様の背中に叫んでる。
そりゃそうか。
グリフィン様がどもっている間に、当然侍女が動いてる。
グリフィン様は医師を担いで戻ってきた。
何やってんだ、と言いたかったけど、お腹が痛くて無理だった。
およそ十時間後。
私は無事に男の子を出産した。
ちなみにこの日は、まったく政務が進まなかったそうだ。
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三十歳。
何となく体調がおかしい。
医師に診てもらったけど、原因は分からなかった。
「……大丈夫なのか?」
グリフィン様の不安そうな目が向けられる。その目が、前王陛下が亡くなった時とよく似ていて、苦しくなる。
「平気よ」
だから、そう言って笑い飛ばした。
あなたに、そんな目はしていて欲しくない。
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三十二歳。
私の姿は、床にあった。
「おい、グレース」
「なに?」
「……なんでもない」
私の手を握って、弱々しくつぶやいた。
「ねぇ、グリフィン様」
本当は顔に手を持っていきたいけど、もうそんな力はないから、グリフィン様の手に重ねる。
「私、少しは力になれた?」
泣きそうな目が、私の目を見る。
「子供は三人産んだわ。男の子二人と、女の子一人。とってもいい子に育ってる。そして、あんたの周りには優秀な側近が揃ってる。そのおかげで、あんたは賢王だって民に慕われているわ」
「生意気言うな。優秀な側近が揃ってるのも、オレが賢王と呼ばれているのも、子供達がいい子に育ってるのも、お前の力じゃない」
冷たい言葉だ。
口から出る言葉は冷たいのに、目から流れ出てるものは、すごく熱い。
「だから……だからなっ、お前はまだ! オレの側にいなきゃ、駄目なんだ!」
「……うん、そうね」
私は笑った。
そしてこの十日後、私は息を引き取った。