番外編 2022年12月26日 その3
「寒いー! もうやだー!」
ぐちゃぐちゃの雪道を歩きながら香苗ちゃんが泣き喚く。
コートを着ていない状態のまま連れ出したのだから、寒いのは当然である。とても可哀想なことをしている気もするが、今更あの家に戻れる状況にもない。
「どーすんだよ、そいつ」
イコちゃんが呆れた顔をしている。
「どーしようね」
若さ故のノープランでの行動だった。
「そいつと友達になるとか言ってたな」
「うん」
「……あんたがそうしたいってんなら止めはしないけどさ、あたしはパスだぞ」
「だろうね」
「優にも佳織にも近づけるなよ。そいつは周りの人間関係を壊すタイプだ」
友達想いだねぇ、イコちゃんは。
「それを言うなら私も同じタイプだからねぇ」
「あんたは違う……とは言えないか」
言ってくれてもいいのに、素直な子だった。
おまえのそういうところ、嫌いじゃないぜ。
私が一人でニヒルな笑みを浮かべていると、背後から誰かが駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。
「……忘れ物よ」
楓さんだった。
香苗ちゃんのものであろうコートと鞄を両手に抱えていた。
誰かが届けてくれるかもとは思っていたが、楓さんが来るのは予想外だった。
「……楓」
香苗ちゃんがずびずびと鼻をすすりながら荷物を受け取る。
「……香苗、暁くんのことは忘れなさいって何度も言ったじゃない」
「……無理だよ、だって世界にひとりぼっちだったあたしに生きる場所をくれたのは暁だもん」
「だとしても、暁くんの隣はもう空いてないの。そこはあなたでも私でもなく、優ちゃんの席なのよ」
「……そんなの分かってるよ。で、それが何?」
香苗ちゃんは受け取ったコートを羽織り、吐き捨てるように言った。
これはブーメランになるからあんまり言いたくないけど、メンヘラにはまともに話が通じねぇんだよなぁ。
「だから忘れろって? 諦めろって? 絶対やだよ。あたしは暁がいいの。暁じゃなきゃ嫌なの。楓みたいに、他の誰かを代わりにできるならもうやってるよ」
「……私は新一くんを暁くんの代わりにしたつもりはないわ」
「……じゃあ、あたしと楓はそもそもタイプが違うんだよ。全部を自分の価値観で話さないでよ。楓はいつもそうだったよ。自分だけが正しいみたいな顔して、正論ばかり言うんだもん。正しくなきゃ生きてちゃいけないの? 道を踏み外したらもう終わりなの? ……ああ、うん、そっか、終わりだよね、だからあたしは今こうなってるんだから」
香苗ちゃんが饒舌に病み病みトークを繰り広げる。
イコちゃんは呆れてため息を吐いていたが、楓さんは真剣な面持ちでその話を聞いていた。
「……あたしもう帰るわ。卯月、さっき言ったこと忘れんなよ」
さっき言ったことというのは、香苗ちゃんを自分たちのグループに近づけるなという話だろう。
「ほーい、気ーつけて帰ってねー。あ、イコちゃん、優ちゃんとこに戻る?」
「ああ、優への報告はあたしがしとくよ。あんたがバカやろうとしてるってことも含めてね」
「そか、サンキュー。じゃ、そっちは任せるよ」
イコちゃんはぶっきらぼうにひらひらと手を振りながら去っていった。
さて、あとはこの二人だけど、どうしよっかな。
「楓さんは香苗ちゃんに言いたいこと、まだあります?」
私の問いかけに、楓さんは一瞬悩んだ表情を見せたが、目を伏せてから首を横に振った。
「……いいえ、もうないわ」
「香苗ちゃんは?」
「……あたしも、ないよ」
決裂。これでもう二人は友達から赤の他人。
楓さんは香苗ちゃんを追ってきた。絶対に許せないはずなのに、それでも追ってきた。友情の可能性を信じたのかもしれない。自分の言葉で、香苗ちゃんが変わってくれるのならという祈りがあったのかもしれない。
けど、香苗ちゃんはそれを蹴った。蹴ってしまったからには、もう後戻りができない。
二人が互いに背を向け、それぞれの道へと歩き出した。
人間関係に永遠はない。離別にせよ死別にせよ、いつか必ず終わりが来る。二人の場合はそれが今だった。
……私は香苗ちゃんの後を追おう。
「……卯月ちゃん。香苗を、お願い」
楓さんのつぶやきを、私は聞こえないふりをした。
そもそも私が勝手にやってることなのでお願いされるような筋合いではないし、期待に応えられるとも思わない。
◇◆◇
ふらふらとした足取りで歩く香苗ちゃんの後ろをついていく。
「香苗ちゃんどこ行こうとしてんの?」
「……あたしの勝手でしょ、ついてこないでよ」
「そんなこと言わないでよ、唯一の友達に」
「あんたなんかと友達になった覚えはない! てか唯一って何!? うざいうざいうざい!」
めちゃくちゃキレられてしまった。
フレンドリーアピールをしたつもりが、煽りと捉えられてしまったようだ。仕方ないね、だって私コミュ障だもの。
「……ごめん、煽ったつもりはないんだよ」
「……あたしなんかに構ってたら、卯月ちゃんも友達いなくなるよ。あたしなんかと仲良くして、優ちゃんが許すと思う?」
「うーん、許してくれないかも」
冷静に考えて、自分の彼氏に手を出そうとした女と友達になろうとしている私を許してくれる気はしない。下手をすると絶交案件かもしれない。
今こうなっているのは、勢いに任せたところが大きい。
香苗ちゃんを見捨てて、優ちゃんがいるあの喫茶店に戻ればまだ後戻りはできる。
今日までほぼ絡みのなかった香苗ちゃんと愛しの優ちゃんとどっちが大切か、比べるまでもない。どうするのが正しいのかなんて、考える必要もない。
だというのに、私は何故だか香苗ちゃんを放っておけなかった。
「……もう、さ、放っておいてよ。あたしは一人になりたいし、卯月ちゃんにとってもデメリットしかないでしょ」
「そーだね」
そんな適当な相槌を打ちつつも、私は香苗ちゃんの後ろを歩き続けた。
それから一時間以上は経っただろうか。
香苗ちゃんはどこへ向かっているのやら、気がつけばもうすっかり辺りは薄暗くなり、人の気配がない街のはずれまで来てしまっていた。
「……何でまだついてきてるの? 邪魔」
「何でかなぁ、私にも分かんない」
「ねぇ、ふざけてる? それともバカにしてる?」
香苗ちゃんはようやく足を止めて振り返ると、こちらを睨みつけてきた。
「……ふざけてないよ。お話がしてみたいんだと思う。香苗ちゃんと私、多分だけど似た者同士だから」
「あはは……意味わかんない……何それ……何……? 何だよ、それ!」
香苗ちゃんが激昂する。
……やべぇ、まずったかも。
「似た者同士? あたしとあんたが? ……勝手なこと言わないでよ! 分かったようなこと言うな! みんなみんなみんな、人のことを何でも知ってるかのように喋ってくれるけどさぁ! おまえらが! 健常者とか、普通の人とかいう連中がさぁ、あたしのことなんか何一つ分かるわけがないんだよ! あたしのことを分かってくれるのは暁だけ! 暁だけなんだよ!」
逆鱗に触れたらしい。地雷を踏んだとも言う。完全にぷっつんさせてしまった。私ってやつは、つくづくコミュニケーションが下手くそだ。
「もういっか……もういいよね………………どうせ死ぬ……なら…………しても……いいよね…………」
何やら、ぶつぶつと物騒なことを言いながら鞄の中を漁り始めた。
香苗ちゃんが取り出したのは、刃渡り二十センチほどの包丁……いや、ナイフだ、あれ……ナイフ!?
マジ? こんな展開になる? もっとハートフルな感じになるルートはなかった? いや、違うって、ふざけたことを考えてる場合じゃない、ここからは何か一つでも間違えたらマジでやばい。
「か、かっこいいナイフだねぇ、どしたの、それ」
「これ? ふふ、これね、暁が持ってたやつとお揃いなんだよ? 暁はもう失くしちゃったみたいだけど……でもね、あたしはこれを暁だと思って肌身離さず持ってるんだ! あはっ!」
お巡りさん、こいつです。てか暁パイセン、あんな物騒なもん持つ趣味あったの? あいつもあいつでやべぇな。
香苗ちゃん、目がイッちゃってる。前言撤回。私はファッションメンヘラだが、香苗ちゃんはガチのガチモンだった。似た者同士とか言ってマジごめん。
ていうか、よく見ると所々に赤黒い染みがある。使ってる、この人使ってるよ!
「卯月ちゃん、あたしと友達になってくれるんだよね? 友達なら一緒に色々やってくれるんだよね? じゃあさぁ、リスカとかどうかな? やったことあるかな、卯月ちゃんは? 最初は痛いだけなんだけどさ、慣れてくるとね、脳がどばーってなるの! それがたまらないの!」
……逃げた方がいいかな、これ。
対応案その一、一目散に逃げる。
だが、運動神経には自信がない。
香苗ちゃんの運動神経がどんなもんかは知らないが、少なくとも私は同年代で自分よりも足の遅い人間にはお目にかかったことがない。
対応案その二、彼氏が格好良く登場してピンチの私を助けてくれる。
……そんなアニメみたいな展開になるか、バカ。そもそも対応案ですらない。
「ねぇ、何とか言ってよ……寂しいじゃん、卯月ちゃん」
右手にナイフを持ったまま香苗ちゃんが近づいてくる。
向き合ったまま同じ歩数だけ後退し、間合いを空ける。
「逃げないでよ」
「…………」
いつものノリで何か軽口を叩こうと思ったが、恐怖心からかパクパクと口が動くばかりで声を発することができなかった。呼吸が苦しい。
いきなりナイフを持った人間と対峙させられたら、きっと誰だってこうなる。私はこんな急展開でもクールに対処できるような万能系主人公ではない。
考えてる暇はない。
今すぐ逃げろ、逃げないと死ぬ。
生き物としての本能が警鐘を鳴らしていた。
「……っ!」
意を決して踵を返し、地面を思いっきり蹴った。
勢い余ってぐちゃぐちゃの雪道に足を取られ、転びそうになる。転倒はイコール死だ。咄嗟に斜めになった体勢を立て直して駆け出した。
「あはっ! あははっ! あははははっ! 鬼ごっこだ! あたし鬼ごっこは好きだよ! 缶蹴りのがもっと好きだけどさぁ!」
香苗ちゃんが狂気的な笑い声をあげながら追いかけてくる。
どうにか、誰か人がいるところまで逃げられれば!
「卯月ちゃん遅いよぉー! はいターッチ!」
香苗ちゃんの声とほぼ同時、右の太腿に鋭い刃物で切られたような痛みが走った。切られたようなというか、実際切られている。
そのままバランスを崩して、前のめりに盛大に転んだ。死ぬ、そうか、私は死ぬのか? なんで? やだ、いつも死にたい死にたいと思っていたけど、こんな死に方は嫌だ! ようやく色んなキラキラしたものが手に入って、人生これからだってときに、私はまだ死にたくない!
「卯月ちゃん、大丈夫だよ! そんな深くは切ってないからまだ走れるよ! 頑張ろうよ! あたしは卯月ちゃんの味方だよ! あはっ!」
ふっっっざけんな! すっげぇ痛くて足に力が入らないんですけど!
「あはっ! 早く続きやろーよー! それとも次は缶蹴りにする!? おまえ缶な! あははっ! 頭を蹴られるときっと脳がどばーってするよ!? あ、そうだ! 三十秒だけ待ってあげるから! ほら立って立って!」
……子供に玩具にされる虫ってのは、こんな気分なんだろうか。
香苗ちゃんがいーち、にーい、とカウントを始める。
歯を食いしばり、どうにか立ち上がるが、とてもじゃないが走れるような状態じゃなかった。死にたくないの一心で不格好に右足を引きずりながら、必死に歩みを進める。
「にじゅーご、にじゅーろく」
やばい、もう来る。
振り返ると、香苗ちゃんはいつの間にか両手にナイフを持っていた。怖すぎて吐きそうになる。
「さーんじゅー……あはっ! よーいスタート!」
両手にナイフをぶら下げた香苗ちゃんが全力で走ってくる。もう逃げる気力も失い、私は固く目を閉じて死を覚悟した。走馬灯は見えなかった。一回でいいから見たかったな、走馬灯。
……死ぬ瞬間までこんなくだらないことを考えるのか、私は。
けど、私らしいと言えば、らしい。
痛いのやだな。どうせなら一思いに即死させてくれ。
体を丸くしてビクビクとしていたが、背後から香苗ちゃんの足音がしなくなっていることに気がついた。その代わりに私の前方から誰かが歩いて来る音が聞こえてきた。
も、もしかして、彼ピッピが私のピンチに駆けつけてくれた的な……!
「……暁? え、なんで……? ううん、暁だ! あはっ! あたしのこと追いかけてきてくれたんだ!? 嬉しい! どうしよう、あたし今すごく嬉しい!」
香苗ちゃんの狂喜乱舞する声に薄目を開けると、息を切らせた暁パイセンがすぐそこに立っていた。




